1945年日本敗戦以後,
SCAPIN 677号によって連合国は独島を韓国の領土で決定
SF条約 1-5次草案, 独島は韓国の領土で記載
SF条約 6次草案, 独島は日本の領土で記載
SF条約 7次 草案,独島は韓国の領土でまた記載
SF条約 8次草案, 独島は日本の領土にまた変わる.
しかし, 連合国の中に独島を日本の領土だと指定した国家はアメリカだけだった.
イギリス, オーストラリア, ニュージーランドを含んだ
すべての連合国は アメリカが作った下書きに反対.
イギリスは 1951年 4月独島は韓国の領土という別途の下書きを 発表する
以後, アメリカとイギリスは 7番(回)の会談を開いて,
SF条約の最終下書きでは独島の名称は条約で完全に削除される
1951年 9月 6日 SF条約が調印.
日本 政府はその結果を新聞を通じて発表
新聞言論社は日本外務省から 受けた情報を 新聞に記載
記載した 地図には独島は韓国の領土で表示
1951年 9月 6日 SF条約が調印以後にも, 日本政府は
独島は韓国の領土だと認識していた.
イギリスの独自の下書き 1951年 4月, 独島は韓国の領土で明示