ククリット・プラモード氏(タイ国元首相)が嘗て書いた「12月8日」と題されたサイヤム・ラット紙の記事にはこう書かれている。
日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損なったが
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、
いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大な決心をされた日である。
われわれはこの日をわすれてはならない
タイ日本友好記念館
クンユアム旧日本軍博物館

ここクンユアムはタイの北西部に位置し、ミャンマーと国境を接している。ビルマ作戦に於ける重要な兵站基地の一つでもあった。サルウィン河の渡河地点ケマ ピューに道は続いており、さらにトングーにつながっている。この道はインパール作戦後、日本兵が敗走してきた所謂白骨街道といわれている。更にこの地で は、7,000名に上る日本軍将兵が命を落としたといわれる。現地では華僑が宣伝するような悪い噂は無く、大東亜戦争中、日本軍と現地住民との関係は良好 に保たれており、多くの深い人間性のある交流が生まれた。今日に至るも、当時よりの友好と友情の交流は続けられている。
真実の歴史

館長 Pol.Lt.Col.Chiedchai Chomtawat
私は、クンユアム警察に署長として赴任してくるまでは、何の考えもなかった。1995年(平成7年)に赴任してから、いろいろとクンユアムの人々の家に挨拶に回った。
そうしたところ不思議なことにどの家にも宝物みたいにして、日本の兵隊さんのものを一つか二つ必ず持っていた。
水筒、毛布、鉄兜、飯盒等。これが日本の兵隊さんの思い出の品ですよと言う。
私は色々と聞いてみた。昔、日本の兵隊さんが沢山クンユアムに来て、兵舎を作って、4年〜5年くらいここに住んでいたよといった。私は何も知らなかった。
そこから私は本を読んだ。チェンマイの図書館、メーホンソンの図書館にも行って第二次世界大戦のことをいろいろと勉強した。
しかし、クンユアムの日本兵のことは何も分からなかった。
ここクンユアムには、日本兵との思い出が埋もれている。
しかし何事もなかったように、人々は日々の生活をしている。若い人は何も知らない。唯みんなの心の中に思い出が残っているだけだった。
村のおじいさん、おばあさんだけの思い出とするのはもったいないと思った。今何もやらなければ、だんだんと忘れ去られ、いずれ何も無くなってしまうだろうと思った。
私は本気で調べ始めた。メモを取り、またビデオ、カセットテープ、写真も撮って、おじいさん、おばあさんからいろいろと話しを聞いた。日本軍のこと日本兵のこと、当時の村のことを。
そして同時に、私は村人から日本兵の遺品を集め始めた。
私は、もっとやらなければいけないなと思い始めた。
人々の思い出を、これから伝えるために。
この本に書いたことは村人の知っていること見たことを、私が聞いて調べた事実である。
今回の調査には時間がかかった。一人一人思い出が一杯なので整理することが大変であった。タイ人だけ、タイ語だけではない。ビルマ語もあるカレン語もある。
クンユアムの遠い村まで聞きに行った。通訳の人もお願いした。みんな65歳以上で耳も悪いし、大きい声で人々とも話をした。
本当の事を知りたいために。
そうして私は今、タイ国内のいろいろな地域での、第二次世界大戦の歴史を書き留めて欲しいと願っている。
この本を作り上げることは大変であった。しかしこれはクンユアムの皆の思い出で、日本の50年前のことが書いてある。ぜひ学生の皆さん、そして若い人がこの本を役に立ててほしい。
私はこの本の制作に精一杯の努力をした。もし足りないこと、間違いがあればご容赦いただきたい。
ご協力いただいた方々に心からの謝意を表したい。
MR.CHAROEN CHOWPRAYOON

私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない。
I know the last one soldier from the first Japanese soldier who has advanced to KhunYuam from whom everyone
who returns. A Japanese soldier of KhunYuam lived by working with the villager, and cooperating mutually. It differs
from the Japanese army advertised in the museum in Kanchanaburi. I do not forget a gentle Japanese soldier.

敗戦前に日本兵がビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、村の小さな病院などはほとんどいっぱいになった。そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。家の大きさによって違うが、一軒に大体5人〜20人くらいいた。また道のかたわらに野宿する人もいた。
日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。
クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことを嫌だとは思わなかった。
「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」
チューチャイ・チョムタワット著から抜粋