朝鮮王朝末期の1865年に高宗の父興宣大院君が再建し、1868年に国王の住居と政務を昌徳宮から移したが、
1896年に高宗はロシア公使館へ逃げ込み、そこで政務を執るようになり(露館播遷)、宮殿には王が不在となった。
その後正宮は1897年に慶運宮(徳寿宮の当時の名称)に、1907年に純宗の即位で昌徳宮に移る。
1910年、韓国併合条約により大韓帝国の統治が終了すると、王宮としての役割をなくした景福宮に代わり、朝鮮統治を後継した朝鮮総督府の庁舎の建設が景福宮敷地で1912年から始まり、1925年に完成した。
つまり 景福宮を捨てたのは朝鮮人だ!
さらに
また光化門は正面から移設された。この結果、宮殿は正面から見えなくなった。
↓移設された光化門

しかし・・・
1950年の朝鮮戦争で焼失。
また朝鮮人が破壊しましたね!
今あるのは、朴正煕大統領の時の1972年に鉄筋コンクリートで再建されたレプリカ