昭和五十年代に外務大臣を三度務めた園田直(すなお)という人がいました。
昭和五十六年(1981年)八月の日韓外相会談の席上、
日本に五年間で六十億ドル( 当時、二兆一千六百億円)という法外な政府借款 ( カネを貸せ )や
技術移転を執拗に要求しました。
それに対して園田外相は、
韓国では嫌いな相手から
カネを借りたり、技術を教えてもらう
社会習慣でもあるのか?。
と公式の席で発言しました。韓国ではその当時から
反日教育や反日宣伝を盛んにしながら、
その一方で日本に大量の資金援助、技術援助を求めてきましたが、
園田外相の発言は韓国の非常識で国際儀礼を失した態度を痛烈に批判したものでした。
これに対して
韓国外相は歯がみして悔しがったものの、
まともな反論もできなかったことが
当時話題になりました。
2011年10月、日韓通貨スワップが700億ドルに拡大されたことが大きなニュースとなりました。これまでの経緯について解説いたしましょう。
■2005年、日韓通貨スワップ協定締結「通貨スワップ」とは、通貨危機に陥った際に互いに通貨を融通しあう制度で、日本と韓国とは2005年に初めて通貨スワップ協定を結びました。戦後、日本は通貨危機に陥ったことは一度もありませんが、韓国はアジア通貨危機などで過去に何度か通貨危機を経験しており、事実上、韓国が危機に陥った場合を想定して、日本が救済してあげるための協定です。
■2008年、リーマン危機で限度額引き上げ当初は限度額30億ドル相当(当時約3千億円相当)でした。リーマンショックで韓国経済が危機に陥ったため一時的に200億ドル相当(当時約2兆円相当)に引き上げられました。日本の救済がなかったら、韓国が破綻していたとまでは言えませんが、リーマン危機直後は、アジア危機で事実上経済破綻した97年当時に迫るほど韓国ウォンが急落していましたから、日韓スワップ協定は市場を牽制し、ウォン急落に歯止めをかけて韓国経済を安定化させることに貢献したと考えられます。
■2009年~2010年 韓国ウォン安政策で日本つぶしに成功急速な円高で日本経済がダメージを受けている時、韓国もウォン高圧力を受けていました。しかし、韓国政府は執拗にウォン売り為替介入を実施し、ウォン安政策をとりました。結果的に、海外では円高に負けた日本製品が商品棚からほとんど消えてしまい、代わって、ウォン安に後押しされた韓国製品が所狭しと並べられました。ひと言でいえば、「円高」「ウォン安」により、日本の大手製造業および多数の下請け中小企業の雇用と利益が失われ、それが韓国の雇用と利益に姿を変えたということです。
■2011年夏、ウォン急落で韓国ピンチウォン安政策により飛ぶ鳥落とす勢いだった韓国ですが、欧州危機により信用収縮が起き、ウォンが急落しました。慌てた韓国は、「米国や日本がウォン急落を防いで通貨を安定させる責任がある」と言い始めました。※詳細記事⇒韓国「ウォン安政策で日本つぶしに成功!」→「想定以上にウォン暴落」→「ウォン安を防ぐため国際協調しろ!」
■2011年10月 民主党政府、韓国を助けたくてたまらなくなる 韓国ウォンが急落の気配を見せ始めたことを受けて、将来の急落に備えた安全網という意味で、日本政府は善意で通貨スワップ協定を700億ドル(約5兆4千億円相当)に拡大することで合意しました。この日韓首脳会談については、不可解な点が3つあります。
1)普通は助けてもらう側が出向くのに、なぜ、韓国を支援する立場の日本の野田首相がわざわざ訪韓したのか。
2)リーマンショック当時でさえ200億ドルだったのに、なぜ今回は700億ドルに拡大したのか。
3)これほど手厚い支援を約束しながら、それと引き換えになぜ、日本の国益にプラスになる合意がひとつもなかったのか。
■2011年10月 韓国メディア「ケチな日本が5兆円も!」と大喜び韓国メディアは「ケチな日本が、予想を超える日韓通貨スワップ700億ドルを締結」と報道(※サーチナ・ニュースより)。
日本は
これ以上迷惑をかけられるのは
お断りですから