
日本飛鳥文化の詩調である百済王人博士は韓半島文化を輸出した先駆け自適な人物だ. 彼は日本天王の招請で論語 10冊と千字文 1冊を持って日本に渡って該博な経書の知識で応身天王の信任を受けて太子の師匠になったと言う.
これが日本文化の起こして建てる重要なきっかけになって, 彼の子孫は代代に学問に関する事を引き受けて日本朝廷に奉事して日本文化発展に大きく貢献した. イルボンウ歴史書である古書期(古書記)にはファイギルサで, 日本書紀には王人だと博士の名前が現われている.
王人博士は論語と千字文は勿論, 技術工芸の伝授, 日本POPの創始などに貢献することで日本王室の師匠であり, 政治顧問になって百済文化の優秀性を知らせた. 日本でも日本文化思想の大人で日本飛鳥(鼻祖: 飛鳥)文化の詩調になった.
日本人たちがいまだに王人博士の祭祀をあげて礼儀を取り揃える祭りを執り行なっている. 王仁博士の出生地で毎年 4月に開かれる王人文化祭りには日本人子孫たちが王人セングがトを訪問するために群がって来る.