こんなにはっきりと!

■韓国が扱った慰安婦こそ本当の「性奴隷」
「自分の事は棚に上げるいつものヤツ("A`) 」
韓国軍は北朝鮮の娘を強制連行して、韓国軍の従軍慰安婦兼女中としてこき使ったのだ。
それに強制的にも詐欺的にも慰安婦を集めたそうで、証拠写真も掲載されている。
同民族と言いながら敵味方での強姦や略奪。
そこで被害にあった女性が、多く慰安婦として合流していったという。
その一部が”慰安婦”に編入されたと言う。
これが本当なら国際条約とか糞とか関係ありません。
韓国軍人はこれら慰安婦に炊事や洗濯・家事、までさせていたという。
で、その結果として戦争が終わってみれば、朝鮮戦争前の私娼数約5万が、戦後には30万人に増えていた、と、ちゃんと話の辻褄が合うわけです。
朝鮮戦争時の韓国軍に慰安婦制度があったことが、
「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会で明らかにされた。
発表したのは韓国・慶南大の金貴玉客員教授。
金氏は韓国の陸軍本部が1956年に編纂した公文書に
「固定式慰安所―特殊慰安隊」
の記述を見つけ、4カ所、89人の慰安婦が52年の1年だけで20万4560回
の慰安を行ったと記す特殊慰安隊実績統計表が付されていたという。
(一人当たり2303回/年ですね。365日換算で1日辺りの性交が6.3回。凄まじい("A`) 。)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=24331&servcode=400§code=400
(中央日報)
オーマイニュース 2002-02-26
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=67635
韓国軍 "特殊慰安隊"は事実上の公娼?ハア?
[創刊 2周年記念発掘特種] 韓国軍も "慰安婦" 運用した ②
記者が忠南論山の
陸軍第2訓練所に入所した 1980年当時までにしても
論山訓練所垣根を越せばいわゆる "毛布部隊"にあえた。
当時、訓練兵だった記者が
"毛布部隊"を直接目撃したことではないが、訓練所助教や期間病たちは、
自分たちが "毛布部隊"と遭遇して "激戦"を行った "武勇談"をよく話したりした。
"毛布部隊"は訓練所垣根の外で
毛布一枚を "武器" にして、訓練兵たちを相対する娼婦たちの俗称。
こんな移動式私娼形態の毛布部隊員話は、美談や神話のように聞こえたりした。
しかし軍が直接慰安部隊を設置して運用したら問題が変わる。
▲韓国軍の朝鮮戦争期間 "慰安婦" 運用事実を
報道した日本 <朝日新聞> 2月24日付け記事.
去る 2月22日 に "韓国軍も慰安婦運用した"と言う
発掘記事の初回分が報道された以後、独自の反応は大きく三種類で分類することができる。
第一、軍医暗い恥部を公開して反省しようということ。
第二、旧 日本軍隊 慰安婦 制度とは違う公娼なので不法ではないということ。
そして終わりは、
公娼でも私娼でも軍が戦時に、士気高揚のために慰安婦を利用したのが何が過ちかと言うのだ。
この 2回分記事は、
主にその二番目反応と直結された返事を盛っている。
この発掘企画記事の初回分でよく見たように、
韓国軍が 1951年頃から 1954年まで "特殊慰安隊"という名前で、
固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したのは否認することができない歴史的事実だ。
そんな事実は陸軍本部が
1956年に編纂した公式記録である <後方戦史)
>(あいさつの方)と目撃者たちの証言に裏付される。
<後方戦史>に積まれた "特殊慰安隊実績統計表"
は 1952年度に 4ヶ牛どおり編成された慰安隊 89人が
年間 20万4560人の兵力を "慰安"したと記録している。
慰安婦 1人が一日平均 6~7人の将兵を慰安したのだ。
またチェ名臣・チァギュホン・ギムフィオなど、
予備役将軍たちも朝鮮戦争期間に経験した慰安婦制度に対して
"現わしたくない恥ずかしい軍部の恥部だが事実だ"と証言している。
もちろん、韓国軍慰安婦制度は
句日本軍 "従軍慰安婦" 制度を真似った跡にもかかわらず二つの制度は本質的に違う。
韓国軍慰安婦は、
慰安婦動員方式や規模などでも
句日本軍従軍慰安婦と比較にならないが、なによりも
後者は強制性を帯びている国家動員体制の一環で施行されたという点が違う。
しかし、その同じ根本的な差にもかかわらず
韓国軍慰安隊は設置同期や運営方式面で
日本軍従軍慰安婦制度を真似って似ている姿をしたことまた事実だ。
言わば慰安所の前で列をなして慰安婦を待つ軍人たちと
戦闘力損失を防止するために定期的に性病検診をする軍医の姿などは
日本軍従軍慰安所の風景と違うところないのだ。
また軍票(日本軍) 大臣にチケット(韓国軍) みたいな
対価が支払いされた取り引き形式に運用された点も外形上に似ている姿だ。
日本右翼はこれを立てて、余分の慰安所制度を一種の公娼制のようなことで正当化したりする。
しかし軍票は日本の主要銀行がいつでもお金で取り交わしてくれる一種の "有価証券"だった。
また公娼制が国家が女性の性を統制した場合なら、慰安所の場合は戦時展示という状況で、
国家よりもっと力強い力を発揮する軍が管理・運営の主体という点で被害女性たちに対する
人権染躪はもっと極甚になるしかなかった。
韓国軍 "特殊慰安隊"は事実上の公娼
ところで注目する事実は当時国軍が設置して運営した
この "特殊慰安隊"、すなわち固定式慰安所の性格が事実上の公娼だったという点だ。
言わば軍医公式記録には "休戦によってこのような施設の設置目的が解消されるに至って、
公娼廃止の潮流に順命して檀紀 4287年 3月これを一斉に閉鎖した"
(<後方戦史> 148~149ページ)つらくてある。
余分の自らが "特殊慰安隊"を公娼と認めているのだ。
短期(檀紀)を西紀(西紀)に換算すれば、慰安所を "一斉に閉鎖"一時点は 1954年 3月だ。
ところで 1947年 11月11日、米軍政庁が公布した公娼廃止領(法律第7号)の発效した時点は 1948年 2月からだ。
明確な記録はないが、慰安所設置時点は 1951年に推定される。
したがって軍は公娼廃止領にもかかわらず 1951年から 1954年まで約 3年間不法で
公娼を設置・運営した犯法行為をほしいままにしたのだ。
結局軍が
"公娼廃止の潮流に順命して慰安所を閉鎖した"と言う記録は、ふと見れば事実のようだが実際では
自分の犯法行為を隠蔽するために事実を巧みに歪曲したのだ。
軍は政府の公娼廃止領にもかかわらず、事実上の公娼を 3年間も不法で運営したけれども
"公娼廃止の潮流に順命して閉鎖"したことのように記録しているからだ。
それなら朝鮮戦争当時、余分の慰安所を設置・運営する犯法行為の主体は誰だろう。
これに対してはまだ明確な記録や証言を捜すことができない。
ただ韓国軍の "慰安隊" 運用事実を初めて申し立てたギムグィオック博士(慶南大北朝鮮専門大学院客院教授)は
<後方戦史>と予備役将軍たちの回顧録そして関連者の証言などを土台でこんなに主張する。
""特殊慰安隊"、すなわち余分の慰安所は陸軍によって設置されたのは間違いない事実だ。
当時、韓国軍の作戦体系上余分の慰安隊の設置及び管理問題に対しての上では
国連軍の最終承認の下に運営されたことに推定されて、下では特殊慰安隊部隊長の責任の下に総括されたことと見える。"
国連軍の最終承認の下に運営されたはずだという推定は 1950年 7月韓国政府が陸・海・空軍の
作戦指揮圏を国連軍総司令官に委任したことに根拠を置いている。
しかし <後方戦史>も明らかにしているように、慰安所運営は電線ではない後方に限っていた。
また慰安隊のさばる作戦指揮圏の範疇に含まれないから国連軍の最終承認の下に運営されたはずだという推定は説得力が劣ったように見える。
しかし当時国防省と陸軍の首脳部はこのような不法行為の責任で自由ではないようだ
(国防省に合同参謀会議の設置された時点は "特殊慰安隊"を閉鎖することわずか一月前の
1954年 2月なので、合同参謀は慰安婦設置・運営の係線上から除かれる)。
▲ チョ_ン・イルグォン前陸軍参謀総長。
朝鮮戦争当時日本軍 "慰安婦" 制度を真似った
"特殊慰安隊"を軍に設置した不法行為の核心責任者中の一人に推定される。
慰安所を設置・運営した時点の歴代陸軍参謀総長は
△5代 チョ_ン・イルグォン中将(1950. 6~1951. 6)
△6代 李鍾賛中将(1951. 6~1952. 7)
△7代 バックソンヨブ大将(1952. 7~1954. 2)
△8代 チョ_ン・イルグォン大将(1954. 2~1956. 6) などだ。