あ暗黒騎士くらさんのー

Link : 参考動画 宇宙黒騎士の雄姿
「よくわかる
韓国的見えるNIDA
講座ーー♪」

韓国人がよく
「UllungdoからDokdoが見えるNIDA!」

と言う「見えるから領土説」。
毎度日本人からは噴飯物ですね^^

しかし韓国人には、韓国人らしい間抜けな根拠があるのです。
たしかに、
韓国人が根拠だと主張している文献である
「世宗実録」や「新増東国輿地勝覧」には、
それらしい記述があるのです。

例えば「世宗実録(1454年)」には
「二島相去不遠風日清明則可望見」
「二つの島はあまり遠くないので天気の良い日はお互いに見える」
と書かれており
「新増東国輿地勝覧(1531年)」には
「于山島欝陵島一云武陵一云羽陵二島在縣正東海中」
「Usando、Ullungdoは東の海に有る」
「日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」
「天気の良い日は山頂の樹木、その下に渚が見える」
と、書かれています。

なんか、もう既に
「あまり遠くない」とか
「山頂の樹木、その下に渚」とか、
Dokdoではありえない記述が
書いてありますね?
でも、これが彼らの根拠なのです!

しかしまあ、これだけで彼らを責めるのは止めましょう。
安龍福が言ったNIDA説とか西暦512年説とか、
彼らの周りには洗脳の為に捏造された
数々のトンでも理論が溢れているのですから・・・
それでは、粛々と
世宗実録の内容を見ていきましょう。

関連する部分の文章は、こうです。
原文
鬱陵島
于山武陵二島在縣正東海中
二島相去不遠風日清明則可望見
新羅時称于山国
一云鬱陵島地方百里
現代語訳
Ullungdo
Usando、Ullungdoが、東の海にある。
2島はお互い遠くなく風の強くない良い天気の日には見える。
新羅事大はUsan国と呼んだ。
一説には、Ullungdo地方は40kmだと言う。
・・・なんと、Ullungdo - Dokdo 間は90km以上あると言うのに、
Ullungdo地方は40kmだと記述されているでは有りませんか!
一体何故、こんな事に?
この謎を解くには、朝鮮の過去歴史記録を参照する必要があります。

朝鮮歴史書島の数内容 三国史記1145年1島Usandoがある
別名Ullungdo 三国遺事13世紀1島三国史記と同じ事がUllungdoの名前で書いてある 太宗実録1417年1島Usandoとしか書いていない 高麗史地理志1452年1島、2島併記Usan国がUllungdoにある
別々に島があるとも言われている 世宗実録1454年2島Usando、Ullungdoの2つの島がある
上が、世宗実録以前の歴史書に書いてある、UsandoとUllungdoのまとめです。
なんと、歴史上、「Usando」「Ullungdo」が2つの島だと
はっきり書いたのは、この
世宗実録が最初なのです!(笑

特に、僅か2年前の高麗史地理志との関係は深く
関連部分を見てみると
高麗史地理志(巻五八)
鬱陵島
在縣正東海中
新羅時称于山国一伝武陵一伝于陵地方百里
智證王十二年以降太祖十三年其島人使白吉土豆献方物
穀宗十一年王聞鬱陵地廣土肥旧有州県可以居民遣溟州道監倉金柔立往視柔立回奏云
島中有大山従山頂向東行至海一万余歩向西行一万三千余歩向南行一万五千余歩向北行八千余歩
有村落基址七所有石仏鐵鐘石塔多生紫胡蒿木石南草
然多岩石民不可居遂寝其議
一云于山武陵本二島相距不遠風日清明則可望見
世宗実録 地理志 江原道襄陽縣
于山武陵二島在縣正東海中二島相去不遠風日清明則可望見
新羅時称于山国一云鬱陵島地方百里 恃険不服
智證王十二年異斯夫為何琵羅州軍主謂于山人愚悍難以威来可以計服及多以木造猛獣分載戦船抵其国誑之曰汝若不服則即放此獣国人懼来降高麗
太祖十三年其島人使白吉土豆献方物
毅宗十三年審察使金柔立等回来告
島中有泰山従山頂向東行至海一万余歩向西行一万三千余歩向南行一万五千余歩向北行八千余歩
有村落基址七所或有石仏像鉄鐘石塔多生紫胡蒿本石南草
我太祖時聞流民迯人其島者甚多再命三陟人金麟雨為安撫使刷出空其地麟雨言土地沃饒竹大如柱鼠大如猫桃核大於升風物称是
上記の赤い色がついた部分は全く同じ文章です。
緑の所等三国史記、三国遺事等、他の古い書物と同じ記述も見えますし、
どうやら我等の英雄「世宗」大王様閣下は過去文献の内容をまとめる際、
「一伝」の一言を、
書き写し忘れた
様なのです(爆笑
そうでなければ、過去文献に何度もUsan=Ullungdoの構図が出ているのに、
UsandoとUllungdoが別々に有ると、あり得ない馬鹿な間違いをしている事になります(笑

挙句の果てに、1531年の新増東国輿地勝覧では
「2つの島があるけど、別の話では島は1つだと言う」
と、突っ込まれてしまっています(笑
僅か2年で、1つの島が2つに分裂してしまう、
如何にも朝鮮らしいまぬけな失敗だと言えましょう。

次に、その新増東国輿地勝覧(1530年)を読んでみましょう。
本文
蔚珍縣于山島欝陵島
一云武陵一云羽陵二島在縣正東海中
三峰岌 業掌空南峯稍卑風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見
風便則二日可到
一説于山欝陵本一島地方百里
現代語訳
Ullungdo
二つの島が東の海にある。
三つの山があり、天気の良い日は山頂の樹木や渚が良く見える。
風に載れば2日で行ける。
一説には、Usan、Ullungは1つの島である。この地方は40km。
先刻にも指摘しましたが、
「Usan、Ullungは同じ島の事と言われる」と、書かれています。
過去文献見れば明白すぎる事実なので仕方がありません。

というかですね、これ、見たら分るように
「Ullungdoの事」しか書いてないです。
どうやら朝鮮本土から見たUllungdoの事を書いてある様で、
Usando関係ありません(笑
挙句に、こちらでも40kmだと書かれてしまっています。
ちなみに、里をこの様に書く場合、40km四方と解釈します。
これは元々「里」と言う単位が町歩等で表した面積の1辺の長さの単位として使われた為です。

そもそもですね、韓国人は根本的に勘違いしていまして
これら歴史書に書かれている文章中に
「Usando」が現在のDokdoの事と、
確認できる点は一切有りません。
書いてある事は
「UllungdoにUsan国があった事」と、
「時代が進むと二つの名前が二つの島と間違えられた事」、
これだけなのです。

その上ですね。
なんと新増東国輿地勝覧に至っては
1690年代のUllungdo帰属問題の際に
「ここに、朝鮮半島からUllungdoが見えると書いてある」
「だからUllungdoは朝鮮領土である」
と、主張し、Ullungdoを朝鮮領土とする根拠に使ってしまっています。
もう、ここまで来ると呆れるしかありません。

こうして今日も韓国人達は
「見えるNIDA!!見えるNIDA!!」
と、実在はしない、文献の上にるだけの島の、
砂浜や樹木の幻を見ているのです。
それでは今日も平壌運転!
元気でまた会いましょう!BYE!

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