008年 9月政府は韓・米通話スワップとともに中国日本との通話スワップも同時に推進した. 2中の安全装置を作るためだ. 日本は当時 1ゾダルロ近い外為保有額にもうアメリカと無制限通話スワップ協定を締結した状態だった. 中国は世界で一番多い約 2ゾダルロの外為保有額を積んでおいていた. 韓国は当時外為保有額が 2122億ドルで世界 6位だった.

積極賛成

ひどすぎて反対
二つの国の中で韓国政府が先に接触した所は日本だった. 10月11日韓・仕事財務長官会談を始まりに両国の間 金融危機協力方案に対する論議を本格化した. 一月後最終区 企画財政部 国際金融局長は通話スワップを打診するために秘密裡に日本東京を訪問する. 当時日本大蔵省担当局長が催局長の通話スワップ提案を聞いて出した数字は 30億ドルだった. 韓・米通話スワップ金額の 10分の 1に過ぎなかった. 1997年 12月外為危機当時アメリカから支援を拒否された林チャンヨル副総理が最後に捜した所が日本だった. しかし門前薄待にあって結局 国際通貨基金(IMF) 救済金融を申し込むようになったという疼いて辛い記憶が浮んだ.最終区の懐古. “日本大蔵省局長に英語で ‘Small is much worse than nothing(書いた金額ならかえって夏至アンヌニだけできない)’と言ってくれた.” 翌日帰国したら日本で催局長これから電子メールが来ていた. ‘70億ドル’ 提議だった. 催局長はもう一度侮辱感を感じた.
政府は作戦を変えて中国を先に引き入れる事にした. 催局長が日本から帰って来てから十日後の 10月22日中国北京の迎賓館である造語台. 姜Mansu財政部長官は中国側パートナーであるシェスィラン財務長官と爆弾酒を取り交わしてこんなに言った. “韓・中通話スワップは慰安化が 基軸通貨で細い初歩になることができる.” 追いこみに至った中国との通話スワップ交渉にくぎを打ち込むための言葉だった. この日両側は既存 40億ドルだった通話スワップ規模を 300億ドルでふやすことに合議した. 中国と合意が終わったという事実が伝わると日本の態度が急変した. 日本大蔵省高位幹部は財政部に電話をかけて “私たち(日本)も中国だけはしなければならない”と主張した. 結局韓国は中国日本とそれぞれ 300億ドルずつ総 600億ドルの通話スワップ協定を締結した. 東アジアで中国と日本の競争関係を利用して実利を取りそらえた のだった.