「もう限界」95年県民大会から17年
沖縄タイムス 10月21日(日)10時3分配信
8万5千人が集まり基地の整理縮小などを訴えた県民総決起大会。17年たった現在も、沖縄の置かれた現状は当時と変わらない=1995年10月21日、宜野湾海浜公園 1995年に開かれた、米兵による暴行事件を糾弾し、日米地位協定見直しを求める県民総決起大会から21日で、17年がたつ。大会後も県民の目に見える基地負担軽減は進まないどころか、反対するオスプレイが強行配備され、再び米兵による女性への暴行事件も起こった。当時の大会関係者や参加者は、変わらない現状に「もう限界」「基地撤去しかない」と憤りを募らせた。
琉球大学の内海(宮城)恵美子准教授は、17年前、大会開催に奔走した一人。教育界や女性団体などに、「許せない。抗議声明を出そう」「すぐに大会を開こう」と働き掛けた。事件の数日前、北京の国際女性会議で沖縄の女性への性暴力被害を訴えたばかりだった。「人を殺す訓練を受けている軍人に、女性や命を守れと言っても考えきれない。女性が毎日、おびえて暮らしている」と、抗議を貫いている。
在日米軍は19日、全軍人に夜間外出禁止令を出したが、「形だけ。外出していないなんて誰が分かるのか。効果があるわけない」と一蹴(いっしゅう)。「基地がある限り、解決しない。今日もどこかで被害に遭う女性がいるかもしれない。綱紀粛正も何の役にも立たない」と迫った。
県女性団体連絡協議会の伊志嶺雅子会長は当時、大会議長として壇上に上がった。「8万5千人の県民の怒りに包まれた大会だった。悲しみ、つらさ、やるせなさ、憤りにあふれていた」。子どもたちのために平和な世を残したいと必死に取り組んだ大会だった。だが、懸命に訴えた綱紀粛正は、「空文句。何の解決にもならなかった。事件を繰り返されてむなしい」と嘆きながら、怒りもこみ上げてくる。
「日米両政府は、これまでの事件の反省の証しとして、オスプレイの撤去と普天間飛行場の返還を今すぐ実行すべきだ。もう無視されるのは限界」と迫った。
「軍隊のない、平和な島を返してください」。当時、全逓沖縄地区本部書記長として参加した連合沖縄の仲村信正会長は、高校生の訴えに聞き入り、「どう沖縄を解放していけるかを真剣に考えるようになった」と話す。
「平和な島」を取り戻すためには、夜間外出禁止は役立たないと考える。「米軍基地を縮小、撤去させなければ被害はなくならない。まずは米海兵隊を県外、国外へ追い出さなければ」と強調した。