(朝鮮日報日本語版) 新羅はローマ文化の影響受けた? 学術会議で熱い議論
朝鮮日報日本語版 7月21日(日)7時38分配信
(写真:朝鮮日報日本語版) ▲新羅の古墳から出土した西域関連の遺物。左は、慶州鶏林路14号墳から出土した黄金の宝剣。中央は、 隍城洞石室古墳に副葬されていた土俑(どよう)。右は、掛陵の前に立つ武人の石像。/写真提供=東国大学慶州キャンパス博物館
新羅が中国大陸を越えて中央アジアとも交易していた事実は、遺物の分析で判明している。しかし新羅と西域の交流の実像は、まだベールに包まれたままだ。「第2回慶州シルクロード国際学術会議」は、関連各国の学者が新羅と西域の交流に関する疑問点をぶつけ合う場だった。
(1)新羅王室のルーツは中央アジア?
4世紀から6世紀にかけての新羅王室の墓は積石木郭墳と呼ばれるが、この古墳は、古代中央アジアにいたスキタイ族の墳墓「クルガン」とも似ている。このため、新羅王室はこの地域からやって来た遊牧騎馬民族だ、という学説が提起された。
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マジ?