日本が築いた農業王国ブラジル、供給先は爆食・中国
2013.8.5 08:45 (1/2ページ)
畜産の飼料だけでなく、食用油、食品の原料に広く使われるコーンスターチなど暮らしを支える商品の生産に影響しかねない問題が今年、表面化した。原因は世界有数の穀倉地帯、ブラジルで起きた異常事態だ。
同国南部のサントス港。内陸から港に至る幹線道路は、穀物を満載にした大型トラックが100キロもの渋滞を作り、港の沖合では、おびただしい数の穀物運搬船が待たされていた。
穀物の増産で90年代後半から飛躍的に輸出を伸ばし、農業大国の地位に躍り出たブラジル。その意外な弱点をあぶり出したのが、昨年の米国の穀物不作だった。調達先をブラジルに移す動きが広がったが、インフラの整備が追い付かず、主要な穀物輸出港が大混乱に陥ったのだ。
「普通なら1週間程度で穀物を積み込むのを40日も待たされた」(関係者)。日本の商社は早めに穀物を確保し切り抜けたが、「予想以上に船が滞り危うく供給が途切れそうになった」と商社関係者は明かす。
混乱の背景には「爆食」中国の存在がある。穀物運搬船の多くが向かう先は中国で、6万トンを運べるパナマックス級(全長約230メートル)なら、大豆だけで年間400隻ほどが太平洋を渡る計算だ。
「中国は大豆の自給をあきらめた。今や世界各国の総輸入量の6割以上を中国一国が占める。安定供給基地としてブラジルに目をつけ、ブラジルも中国の需要に積極的に対応してきた」
資源・食糧問題研究所代表の柴田明夫(62)はこう語る。勢いを増す爆食の受け皿国はブラジルしかなく、その存在がなければ中国の食は破綻していた。そして、ブラジルを農業大国に押し上げたのは日本の国際協力だった。
栄養分が抜け落ちた強酸性の「出がらし土壌」が広がり、見捨てられていたブラジルの熱帯サバンナ「セラード」。日本の国土の5・5倍にも及ぶ不毛の大地は1970年代以降の革新的なプロジェクトで豊潤な大地へと変貌を遂げた。
「ブラジル緑の革命」などと称賛されるセラード農業開発は、日本政府と民間が資金面や技術面で支えた政府開発援助(ODA)の代表的な事業だ。セラードに 集団入植した日系人の血のにじむ労苦があった。20年間も事業に携わり、「セラードの生き字引」と呼ばれる国際協力機構(JICA)客員専門員、本郷豊 (65)は強調する。
「セラード開発には人々の努力はもちろん技術的、制度的イノベーションがあり、日系人の優秀な農家がいた。制度がなければ新しく作ってやろうという気概を持つ人たちも続々と出てきた。だからこそこれだけのことが成し遂げられた」
協力事業は2001年に終了した。ベテラン商社マンは「先人が苦労を重ね、がんばった歴史が日本人への信頼となってわれわれの仕事のなかにも生きてきているのを感じる」と話す。
ただ、別の商社マンは日本の存在感が急速に薄れつつあると感じる。その間隙に入り込もうとするのが中国だ。(敬称略)