
親兄弟にキーセンに売られた慰安婦少女。
これが後のヤンゴンジュ(洋公主)韓国軍従軍慰安婦である!

米軍兵士に媚をうる韓国人慰安婦



大東亜戦争の終結後、米軍は南鮮を支配下に置いた。駐屯する基地は、我が軍の司令部があった龍山(ヨンサン)や、滑走路が整った平沢(ピョンテク)など日本軍から奪い取ったものだった。
そして、米軍が駐屯する基地周辺に出現したのが洋公主だった。ドル目当てに集まった街娼がワラワラ登場したのではなく、日本時代にあった遊郭がベースになっていた模様だ。
慰安婦がそのまま洋公主(ヤンゴンジュ)に変わったのである。客が入れ替わっただけとも言える。そして洋公主は、朝鮮戦争を経て60~70年代にかけて更に数を増やしていった。
▼東豆川の米兵向け歓楽街

ソウルの北方でDMZにも近い東豆川(トンドゥチョン)基地。最近の画像でも淫靡なネオン街が確認できるが、60年代の調査では、この東豆川周辺だけで1万人に達する洋公主が居たという。
研究者によると南鮮政府は当時、洋公主の総数を1万6000人と推計していたが、これは未成年の女性を含まない数で、実態を反映していない。南鮮国内では累計で30万人という見方もある。
年配の南鮮人なら誰でも洋公主という言葉を聞いたことがあるに違いない。そして、捏造された慰安婦と違って「洋公主の活躍」を撮影したフィルムもしっかり残っている。
【実録フィルムの中の洋公主】
北朝鮮サッカーチームの映画で金正日に気に入られた英国のダニエル・ゴードン監督が制作した北3部作の完結作品。それが本邦未公開の「クロッシング・ザ・ライン」だった。
ベトナム戦争中、ソ連亡命を企てて38度線を越えた米兵ジェームズ・ドレスノクの波乱人生を描いたドキュメンタリー映画だ。そこに実物の洋公主が登場していた…
▼米施設ゲート前に立つ女(BBC)

米軍施設のゲート前に立つ女性。これが歴史真実の洋公主の姿である。ゲートには不鮮明だが「レクリエーション・センター」と記されている。慰安所と変わらない米軍娯楽施設だ。
ゲートを潜ると、そこは怪しい店が立ち並び、米兵が正に闊歩する別世界。行き交う米兵に媚を売る洋公主たちの姿もバッチリ撮影されている。BBC所蔵のニュース映像が映画で使われたのである。
戦後の我が国に開設されたRAAと似ているが、南鮮の基地周辺にあるのは、大歓楽街だ。更に、RAAが批判を受けて半年で閉鎖された経緯とは異なり、南鮮の米軍歓楽街は歴史を重ねて今に至っている。
南鮮の米軍慰安婦に関しては橋下騒動の最中の5月に『米韓が作った兵士慰安街』と題して触れた。NYタイムズ紙の告発報道を手掛かりにした記事だが、そこで過去を語る南鮮女こそ典型的な洋公主だった。
▼洋公主時代を語る南鮮女09年1月(NYT紙)
蔑称である「洋公主」というワードがメディアに登場するのは稀で、大方は「慰安婦」に置き替えられてた。ややこしい。ちなみに「洋公主」の朝鮮語版Wikipediaで引用される資料も表現は「慰安婦」だ。
▼UN軍の慰安婦募集記事(東亜日報)

UN軍を相手にする慰安婦の登録実施を伝える記事で、出典もハッキリ判った。1961年9月14日付の東亜日報である。訪南経験の多い加瀬英明氏によると、こうした記事や広告は珍しくないという。
「日韓国交樹立の前年に、韓国をジャーナリストとして訪れてから、足繁く通ったが、『東亜日報』をはじめとする韓国の主要新聞に、米軍のための「慰安婦」を募集する広告を良く目にした」
概ね洋公主=慰安婦なのだが、旧時代の慰安婦と南鮮の洋公主には大きな違いがあった。南鮮政府が、洋公主の管理に深く関与していたのである。
▼南鮮で買春する米兵(BBC)

しかも、米軍向け売春システムを整備した人物が朴正煕だった。
【朴正煕が作った赤線地帯】
1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。
洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、政府間協議が行なわれた。
▼売春施設に群がる米兵(BBC)