http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067241

漢城大学キム・グィオック女教授は2002年に日本の京都で開かれた第5回 "東アジアの平和と人権国際シンポジウム"で、韓国戦争当時、韓国軍慰安婦がいたという論文を発表した。これは、朝日新聞とオーマイニュースに同時に報道された。朝鮮日報を除く国内主要日刊紙やニュースでも、この衝撃的な事実を扱った。
しかし、韓国軍の恥部に触れたこの論文はすぐに歴史の裏舞台に片付けられた。国防部資料室に備えた韓国軍慰安婦関連資料の閲覧は禁止され、メディアは約束でもしたかのように沈黙した。大学から "気をつけた方がいい"という連絡が来た。
公然の秘密となったこの問題は、 "スクープ"に喉が渇いた各放送局の時事番組担当者には置いておいて我慢できない誘惑である。最近もずっと電話がかかってくる。 "韓国軍慰安婦問題を扱いたい"と。しかし、彼女は拒絶する。
一様に韓国軍慰安婦おばあさんたちの顔公開を要求するからである。扇情的なアングルの横暴からその人たちを守ること、歴史的真実のために個人の犠牲が必要ではないということは、知識人として彼女が守ってきた倫理である。
昼は洗濯婦、夜は慰安婦
1950年、国連軍に逮捕された金さんは、その部隊に慰安婦がいたと話した。米軍と韓国軍は、50年10月に休戦ラインを突破する時に、すでに韓国で女性を集めて連れて行ったという。
その後5年間、キム教授はインタビューなどを通じて、 "直接慰安所を利用したことがある"、 "軍に拉致されて慰安婦になった"など、男女8人の証言を聴取した。最終的に韓国陸軍本部が1956年に編纂された公文書である<後方戦史>にて、「固定式慰安所 - 特殊慰安隊」と書かれた部分を発見した。この本に載っていた特殊慰安隊実績統計表は、1952年にソウル、江陵など4つの小隊に編成された慰安婦89人が、年間20万4560人の兵力を「慰安」したと記録している。慰安婦1人で一日平均6〜7人の将兵を慰安したのだ。
チェ・ミョンシン、キム・フィオなど予備役将軍たちの回顧録も韓国軍慰安婦の実体を支えている。
「当時、私たちの軍隊は士気高揚のために60人余りを1個中隊とする慰安婦部隊を三、四隊運用していた"、 "チケット制で運用された。戦場で勇敢に戦った順にチケットを配った(チェ・ミョンシン著書「死線を超えて超えて」)。」
「私たちの中隊にも週間8時間の制限で6人の慰安婦が割り当てられていた。これは、過去、日本軍の従軍経験のある何人かの連帯幹部たちが、部下の士気高揚のために、わざわざ巨額の厚生費をかけてソウルから調達してきた(キム・フィオ著書「人間の香り」)。 」
50年までは女性が非正規な形で軍部隊と共に移動しながら昼は洗濯、夜は慰安をする形だったがには、戦況が膠着状態に陥る51年から慰安隊の設置が本格化したと金教授は推定した。軍の記録によると、慰安隊設置の表面的な目的は、 "国軍の士気高揚と戦闘力の損失を防ぐこと"である。
左翼容疑者たちを性奴隷にしていた
男性の証言者たちに、慰安婦の女性たちがどんな感じだったか聞いてみた。化粧したり洒落た感じの売春街の女性ではなく、陳腐な容姿の15〜16歳程度の少女だという。もちろん、戦争孤児もいただろうけど、ほとんどは共産主義容疑者と推定される。
共産主義者の疑いをされている少女が、軍人たちへの慰安婦を拒むなんて、それは死を意味することだった。左翼であることを口実に、連れてくることなど簡単だったはずだ。これは根本的羞恥心に触れる処罰で、左翼への暴力的報復であると見ることができる。
ムン某氏(1936年生まれ)は、1951年当時16歳で、ウォンサンの前の海にあるヨドという島で、女性同盟(女盟)会議をしていたが、夜中に諜報工作活動をしていた北派工作員(※韓国が北朝鮮に派遣したスパイのこと)に拉致された。その工作員の一人に体を犯された後、強制的に慰安婦生活を余儀なくされ、子供を二人も生んだ。
苦労して探し回って、彼女を見つけたが、 "戦争の時に子供を産んで・・苦労して・・生き残りました"と、彼女は多くを語らずに口述を拒否した。
1950年当時、医科大学生だった李某(73)氏は、拉致または強要によって慰安婦になるところだった、また別の女性の事例である。
625(韓国戦争)当時、ソウルに残っていたが、人民軍に協力したことで軍に逮捕された李さんは、他の女性医学生3人と一緒に、引き渡された部隊の将校4人に慰安婦として配当された。
李さんは、幸いにも、彼女を哀れに思ったある将校の助けで釈放されたが、他の3人はそれ以来二度と見ることが出来なかった。
慰安婦は週に2回、軍務官の協力で性病検査を受けた。つまり、公娼制度や日本軍慰安婦制度で性感検査を行ったのと同じように、国は、女性の体を管理し、制御することにより、兵士の体を保護する "身体の政治学"を活用したのである。 これらの施設は1954年3月、これを一斉に閉鎖した"と書かれている。
韓国軍慰安婦問題に対して、公娼だと断定して、再論の余地がないとする。国からみれば、公娼だったのかもしれないが、女性の立場から見ると韓国軍慰安婦制度は軍による性奴隷制度だ。
2002年、韓国軍慰安婦問題が公式提起されたが、韓半島は沈黙した。当時、女性界、高度の男性知識人、社会学会を問わず、そのほとんどが日本による悪用を懸念するだけだった。
金教授には、「日本軍慰安婦問題と関連させてはいけない」と、無言の圧力が加えられた。
韓国軍の慰安婦と経験したある男性は、 「韓国軍慰安婦は日本人ではなく韓国人としたのだから、よい方ではないか」と弁解した。)
軍が作成した公式文書がある限り、話をすべきだと思う。しかし、誰も言わなかった。