申志鎬、議員が徴用期間を証言。
根拠資料として日帝強制徴用に関する歴史的事実が記録された、 釜山高等裁判所第5民事部の判決文(事件 番号2007と4288)を提示した。
シン議員は「判決文を見ると、日本は戦争により人材と物資が不足すると 1939年7月8日に国家総動員法にともなう 国民徴用令(勅令第451号)を制定したが、
韓半島など外地に対しては勅令第600号に よって1943年10月1日から国民徴用令を実際に適用した」と話した。
シン議員は「初期には日本が韓国人の反発を懸念して国民徴用令を強制施行せず、
飛行機の部品および製鉄溶鉱炉製造者、船舶修理工など特集技能を持った人々を日本に移住させる政策を推進したが、
それも日本の会社中心の労務動員計画によるものだった」として 「1944年8月8日から初めて一般韓国人を対象にした国民徴用令が適用された」と強調した。
彼は「1939年から1941年までは企業体募集、1942年から1943年までは朝鮮総督府 斡旋、1944年からは強制徴用形式だった」と調査により主張。
ハンナラ党シン・ジホ(申志鎬)議員
※シン・ジホ「強制徴用は嘘..家族史まで操作」
http://www.yonhapnews.co.kr/
bulletin/2011/10/10/0200000000AKR20111010156600001.HTML
ハンナラ党のシン・ジホ(申志鎬)議員は、11日、野党系のパク・ウォンスン(朴元淳)候補
(ソウル市長補欠選挙、10月26日投開票)の祖父の代わりに大叔父(祖父の弟)がサハリンに強制徴用として行ったという主張に対して、「パク候補は戸籍操作だけでなく、 家族史まで操作しようとしている。」と主張した。
「飲酒放送」批判でナ・ギョンウォンソウル市長候補選挙対策委員会の報道担当から退いた後、「パク・ウォンスン狙撃手」に変身したシン議員は、この日に国会で行った記者会見で、「大叔父が兄の代わりにサハリンに強制徴用されたというのは歴史的事実関係に符合しない」と指摘した。
彼は、根拠資料として、日帝強制徴用に関する歴史的事実が記録された釜山高等裁判所
第5民事部の判決文(事件番号2007と4288)を提示した。
シン議員は、「判決文を見れば、日本は戦争により人材と物資が不足すると1939年7月8日に国家総動員法にともなう国民徴用令(勅令第451号)を制定したが、 韓半島など外地に対しては勅令第600号によって1943年10月1日から国民徴用令を実際に適用した」と語った。
パク候補側は、先立って、1941年にパク候補の祖父に対する徴用令状が来たが、長男である祖父の代わりに大叔父がサハリンに行き、彼の生しが確認されないのでパク候補の親がパク候補を大叔父の養孫として入籍したと説明していた。
シン議員は、
「初期には日本が韓国人の反発を懸念して国民徴用令を強制施行せず、
飛行機の部品および製鉄溶鉱炉製造者、船舶修理工など特集技能を持った人々を日本に移住させる政策を推進したが、それも日本の会社中心の労務動員計画によるものだった。」
として「 1944年8月8日から初めて一般韓国人を対象にした国民徴用令が適用された 。」と強調した。
彼は、「1939年から1941年までは企業体募集、1942年から1943年までは朝鮮総督府斡旋、1944年からは強制徴用形式だった。」とし、
「パク候補の祖父が1941年に徴用令状を受け取ったというのは偽りの主張であり、大叔父がサハリンに行ったとすれば募集に応じて行ったのであり、兄の徴用令状の代わりに行くということは起きない。」と主張した。
シン議員は、「パク候補の養子縁組が兄弟の兵役免除を狙った『反社会的戸籍分割』であったことは明らか」として「不幸なのはパク候補の家族史でなく、一千万ソウル市民だ。」と語った。
※ 大半、自由意思で居住。外務省、
在日朝鮮じんで発表。戦時徴用は
245人(1959年7月13日 朝日新
聞)
http://s.ameblo.jp/zet-one/entry-11121744546.html?frm=theme http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/060308.jpg
戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮じんは約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮じん徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮じんは総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、 戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。
(1959年7月13日 朝日新聞)