北朝鮮の人権については、米国と同様、日本でも「北朝鮮 人権侵害問題対処法」が成立して久しい。韓国ではこの種の法案は約8年間、「店晒(たなざら)し」状態にあり、いまだに成立の日の目をみていない。法案が北朝鮮との対話を困難にすると気炎を上げ、成立を阻む野党勢力はなお衰えてはいない。付言すれば、1992年の中韓国交正常化から二十余年がたつが、韓国が中国の人権状況の改善を求めたとは寡聞にして知らない。
誤解を避けるためにいえば、本論の力点は、韓国に「人権」外交を求めることにも、北朝鮮 人権法の成立を求めることにもない。
韓国があらゆる人権問題から、「戦時下における女性」のみを切り取って標榜(ひょうぼう)する「人権」とは、日本という特定の国の過去の追及という特定の政治目的を果たすために、国際社会の支持を求めて掲げられたものにほかならない。その主張はどこまで「普遍的」か、国際社会に向けて発せられる主張として、果たして「公正」なのかが問われねばならない。
人権が遍(あまね)く追求されるべき価値であることは言うまでもない。とはいえ、「普遍性」の名の下に民族主義と吻合(ふんごう)し、価値を装飾した外交は、時に国家間の利害の調整を不能に陥れる。北朝鮮の人権状況の向上を対話の前提に据えず、また、中国との関係維持のため現下の人権問題を黙過し、「人権」を選別的に主張している韓国こそ、そのことを最も知悉(ちしつ)しているはずである。(くらた ひでや)