金允侯
下の写真はイメージ

【統率】 87
【武力】 89
【知力】 60
【政治】 45
【魅力】 74
【特殊能力/修正】
【統率チェックポイント】
奴僕身分の民兵を率いて、その士気を高め存分に生かした
【武力チェックポイント】
70日間の蒙古軍の攻撃部隊を前に篭城を完遂した功績は大きい
【知力チェックポイント】
これに関連する資料が無いため、普通の寺の住職としての教養を持っているものとする
【政治チェックポイント】
これも関連書籍が無いので数値判定不可。しかし能力が有ったはずもない
後日、奴僕証文を焼却した事を追及され、追放される。
【魅力チェックポイント】
その統率の方法を見るに、親分肌の人間であったのだろう。
【列伝】
処仁(しょじん)城(京畿道龍仁郡)居住、元は寺の住職。
1232年第2次侵略の際、逃れて城内に居たが、モンゴル将軍サルタイの油断した隙を狙い、倒した。
恩賞をうけ、還俗して金允侯と名前を変え、江華島に招かれて登用された。
1253年第5次侵略では忠州城の司令官に赴任。奴僕出身兵士の前で、奴僕証文を焼却して彼らの士気を高め、その勢いに乗じて反撃、モンゴルを撃退した。
総じて高麗の将はだらしないと後世に批判される中で、市井の人間が国を保たせた好例と言われる。
政治に関わる立場ではなかった為、高麗の元への臣従は防げなかったが、戦術的能力は卓越していた。