今日、韓国と北朝鮮は、太平洋戦争の被害者と称して、日本に対して謝罪と賠償を求めている。しかし、当時の朝鮮 人は、太平洋戦争を熱烈に支持し、侵略戦争の被害者というよりもむしろ加害者としての役割を果たしていた。では、なぜ反日的なはずの朝鮮 人が、日本の侵略戦争に加担したのだろうか。彼らの戦略のルーツは、元寇での成功体験にまで遡る。
内鮮一体(内地と朝鮮が協力一致すること)で世界の優者になれることを、運動会の二人三脚に喩えた1930年代のポスター。
1. 朝鮮 人はなぜ太平洋戦争を熱烈に支持したのか
韓国の歴史教科書は、朝鮮 人(以下、韓国人を含めた朝鮮民族という意味でこの言葉を使う)が日中戦争や太平洋戦争に従軍したにもかかわらず、それを、もっぱら被害者の視点から描いている。
[新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書, p.397]わが民族は戦争に必要な食糧と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制と徴用令によって日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。
しかしながら、当時の朝鮮 人たちは、必ずしも、強制されて受動的に従軍したわけではなかった。1938年に陸軍特別志願兵制ができて以来、朝鮮 人は日本軍に志願兵として参加することができたのだが、以下の表が示すように、その応募者は、日中戦争の進展とともに、採用数以上に伸び、倍率は、太平洋戦争が始まった年には、45倍に達した。しかも、「血書を書いての従軍志願者が何百という数に上り、中にはその希望が達せられないので自さつした青年まで現れ」[名越二荒之助:日韓2000年の真実, p.435]たというのだから、相当熱心な志願者がいたということである。
西暦(和暦) 採用数 応募者数 倍率 1938(昭和13)年 406 2946 7.7 1939(昭和14)年 613 12348 20.1 1940(昭和15)年 3060 84443 27.6 1941(昭和16)年 3208 144743 45.1 内務省資料による陸軍特別志願兵制設置後の朝鮮 人の志願状況[名越二荒之助:日韓2000年の真実, p.436]1942 年に日本政府が朝鮮での徴兵制の実施を閣議決定した時、『朝日新聞』5月10日朝刊は、「昨年の大東亜戦争開始以後の朝鮮 人の戦争完遂に関する熱意は、献金に、あるいはその他各種の銃後援護に強く表明され、内鮮一体の機運はますます強固なるものがあるので、政府は朝鮮同胞のこの報国の赤誠に応え、朝鮮に徴兵制を施行し」たと報道し、同6月11日夕刊の「朝鮮・徴兵制に感激の波高し」と題した記事では、「大東亜戦争の実戦に参加し得る栄誉を与えられた朝鮮同胞は広大無辺の皇恩に感泣し半島全域の同胞から陸軍省へ寄せられた感謝の手紙や電報は連日引きもきらず遂に数千通の多数に達した」として、それを紹介している[安田将三, 石橋孝太郎: 読んでびっくり朝日新聞の太平洋戦争記事, p.198-199(原文は旧仮名遣い)]。
こうした新聞報道は、必ずしも誇張や捏造によるものではない。1923年生まれの崔基鎬(チェ・ケイホ)が当時を回顧して述べているように、朝鮮 人の大部分は、日本の侵略戦争を熱狂的に喜んでいた。