韓国という国家が消滅せず今も存在しているのは、朝鮮戦争(1950-53)で米軍中心の国連軍を率いたマシュー・リッジウェイ将軍の功績が一つの理由だ。同戦争で中国軍(表向きは義勇軍)が参戦してからの、困難な“後半戦”をしのいだ名将は自著「THE KOREAN WAR」(日本語版・恒文社)で、韓国軍のありのままの姿を描写している。
「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。進撃する中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難な、高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」。
同様の描写は度々出てくる。51年5月の東部中央戦区では、中国軍の攻勢に韓国軍が「戦線の遙か後方まで駆逐され」た。そして「退却する韓国軍が放棄した装備は、肩をすくめるだけで済むものではなかった。それは完全装備の数個師団を充分に装備できた」と嘆いている。武器を放り出して敵前逃亡するのは韓国軍の常だったようだ。
にもかかわらず、当時の韓国大統領の李承晩は「非武装の巨大な韓国の人的資源を米国の武器で武装させれば、米軍の兵員は少なくて済む」といった主張を繰り返し、リッジウェイを不快にした。
見下す中国
リッジウェイによれば「李大統領の第一の課題は、彼の軍隊に充分な統率力を確立することであった」が、李大統領自身が、戦争勃発時に民衆や軍を置き去りにして韓国南部へ逃走を続けた人物だ。そんな最高司令官に倣ったのか、韓国軍の敵前逃亡癖はなおらなかった。逃げる上司と、逃げる部下…。2年前のセウォル号沈没事件を彷彿させる。
リッジウェイは「第一線から全ての韓国師団を引き上げ、訓練する時間が必要」と結論づけている。しかし、誰より韓国軍を弱兵と見下し軽蔑していたのは中国軍だった。戦線に突破口を開こうとする際、中国軍は、英軍やトルコ軍、米軍の担当戦線区域ではなく、常に韓国軍の担当区域を攻撃し、もくろみ通り韓国軍は総崩れとなった。リッジウェイによれば「韓国軍1個師団の崩壊によって、他の国連軍部隊の各側面が危険にさらされ、彼らもまた後退を余儀なくされた」。
こんな戦いぶりが3年以上続き、ようやく中国・北朝鮮軍と国連軍の間で停戦交渉が結ばれようとしたとき、李承晩は、“反乱”を起こす。停戦の前提条件のひとつだった捕虜交換を阻止するため、収容所の看守に捕虜釈放を命じ、北朝鮮軍捕虜を市中に解き放ったのだ。反日かつ反共だった李承晩は、朝鮮半島全土が韓国のもの、つまり自分のものになるまで戦争を続けるよう望んだ。
米国だけが残った
国連軍参加各国の態度ははっきりしていた。その声をまとめれば「そんなに戦争を続けたいなら、あなたたちだけでやりなさい」。
第二次大戦を戦い抜いてわずか5年後、地の果ての極東で小国の内戦に縛り付けられる理由がどこにあるのか-。
国連軍は予定通り停戦協定を結び、日本統治も含め極東の安定に責任を持つ米軍を除いて韓国を去った。