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戦後の朝鮮人暴動後のヘイト禁止が元祖

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1923年(大正12年)9月1日の関東大震災直後の、
いわゆる「朝鮮人虐殺」について。

産経新聞 2010年1月24日

日教組が根拠ない「約6600人」 関東大震災での朝鮮人虐殺。

山形県で行われている日教組の教育研究全国集会で24日、
関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺について、犠牲者数「約6600人」を
前提として中学生に教える授業実践が報告された。

犠牲者数をめぐっては、当時の朝鮮人の人口などから
数千人以上に上ることはあり得ないと指摘されている。

しかし、多くの教科書には「6000人以上」などとする記述が残り、
学校では相変わらず、日本を誇大に悪く描く歴史授業がまかり通っている実態が浮かび上がった。(鵜野光博)

教研集会の社会科教育分科会で行われた報告によれば、
「人権意識を高めること」などを狙いに、
朝鮮人への差別意識を生徒に考えさせたり、
朝鮮人とともに皇太子暗殺を企てたとして死刑(後に無期懲役)判決を
受けた無政府主義者、金子文子元服役囚について学ばせたりしていた。

大正12年9月1日の関東大震災では、
「朝鮮人が襲撃してくる」などの情報が避難住民らに流れ、
住民らは自警団を組織。

過剰防衛で罪のない朝鮮人が殺害されたケースもあり、
当時の政府は犠牲者が233人いたと発表している。

犠牲者数については、大韓民国臨時政府の機関誌、独立新聞が
「6661人」とし、後の研究者らがこれを多く引用。

日本の学者、故吉野作造氏も調査で「2613人」としている。

しかしこの数字は当時の朝鮮人の人口からみてあり得ないことが、
ノンフィクション作家の工藤美代子氏の研究などで判明した。

当時の政府資料などから関東大震災の被災地域には
約1万2千人の朝鮮人が住んでいたとみられ、
震災時に実際にいた人数は約9800人と推定。

震災後の9月17日時点で警察や軍によって
収容・保護された身元が判明していた朝鮮人は、
政府によると総計6797人。
これに犠牲者233人を加えると、残りは3千人足らずだ。

6千人台の犠牲はあり得ず、吉野氏の調査結果でも
震災で焼死や行方不明となった朝鮮人がいなかったことになる。

工藤氏は「233人であっても虐殺があった事実は認めなければならない」
とした上で、「根拠のない数字が教科書に載っていることが問題。
日韓併合100年でもあり、事件を公正に見直す動きが広がってほしい」
と話す。
工藤氏の研究は「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」(産経新聞出版)
にまとめられている。

関東大震災直後の朝鮮人虐殺は、
小学校から高校までの社会科教科書にすべて記述されている。

中学では「およそ7000人」(清水書院「新中学校歴史」)、
高校では「6000人以上」(東京書籍「新選日本史B」)、
「約6700人」(実教出版「高校日本史A」)といった記述のほか、
「数千人」「多数」としたものもある。

小学でも「罪のない数千人の朝鮮人が殺される事件が起きました」
(教育出版「小学社会6上」)などと記述。
小中高とも、「虐殺」についての記述が、
関東大震災についての説明の半分前後を占めている。

学習指導要領や、教科書編纂(へんさん)に影響が
強いとされる学習指導要領解説書には、朝鮮人虐殺についての言及はない。

文部科学省は「過去10年の教科書検定で、
犠牲者数について検定意見が付いたことはない」としている。


工藤美代子著「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」によりますと、

後藤新平は、

「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、
自分は知らないわけではない。
だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、
彼らとてそのままは引き下がらないだろう。
必ずその報復がくる。
報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあったら、
腹を切ったくらいでは済まされない。
だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。
ねぎらいはするつもりだがね。」

と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したといいます。

したがって、関東大震災の時に言われたり報道されたりした
朝鮮人の悪行の中には、デマ(風評)もありましたが、
事実もあったということです。

雑誌「SAPIO」に1年余りに渡り連載されていた工藤美代子著
『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』は、加筆・訂正を加え、
2009年12月2日、産経新聞出版から新刊本として発売されました。

同書では、1923年(大正12年)の関東大震災時にあった
「朝鮮人によるテロ行為や日本人襲撃」や「日本人による朝鮮人虐殺」
のそれぞれの事実について、
多数の資料・新聞記事などから検証しています。

当時の内務大臣・後藤新平が「朝鮮人襲来報道」を抑えた理由や、
後藤新平の命を受けて奔走する警視庁官房主事・正力松太郎の姿などが、
文献や関係者の証言から伝えられています。

下記のブログで、その「SAPIO」の上記連載について一部を紹介しています。

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本当に有った関東大震災における朝鮮人による暴動・破壊・放火・強姦
2009年5月14日
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10260524567.html

雑誌SAPIOで
「本当に有った関東大震災における朝鮮人による暴動・破壊・放火」について
昨年から連載中ですが、量が膨大で中々まとめ切れていないので、
ネット上から集めた当時の新聞記事を集めてみました。

SAPIOの資料、証言を読んでもとりあえず言えるのは、
「少なくとも横浜~品川において朝鮮人による暴動破壊活動は有った」
という事です。ネット上から集めた当時の新聞記事です。
関東大震災_1

横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、
暴れまわって婦女を強姦していたという事実を追求して行くと
この騒動の実態が見えると思われます。詳細に追求中です。
関東大震災_2

関東大震災_3

横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、
暴れまわって婦女を強姦していたという証言は間違いなく存在します。
何も無ければ記事になる事は有りません。
関東大震災_4

一連の調べで習志野と江東地区で間違いなく
不穏な動きがあった事は間違い無いと思われます。

この記事もその証拠の一つです。
「震災で泣き叫ぶのを聞いて革命歌を歌っていた」と言うのが、
いかにもアカ極左の行動を的確に捉えており、
当時から大バカ野郎だったというのが認識出来ますね。
関東大震災_5

司法当局が朝鮮人の犯罪を報道する事を規制し圧力を掛けた決定的証拠。
10月20日、ようやく自由報道が解禁され、真実を記載し始めた。

幾多の報道されてきた犯罪は事実であると、
さらに下には四ツ木で朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、
荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい記事が書いてある。
関東大震災_6

日本橋の倉庫に朝鮮人が火を放って逮捕。
深川の食糧倉庫が時間を置いて火が立った
のも朝鮮人の同時多発テロだったと言う事を裏付けるひとつの事実である。
関東大震災_7

横浜で実際に有った関東大震災における朝鮮人による暴動・破壊・強姦【1】
2009年5月14日
横浜~品川での朝鮮人による暴動・破壊・放火・強姦の目撃談です。
引用元「SAPIO 2008.5.28」
関東大震災_8

関東大震災_9

関東大震災において朝鮮人が暴動・放火を
行なったのはデマと捏造したのは社会・共産主義の学者
2009年5月19日

SAPIOの連載によると、つまり朝鮮人と社会主義者=アカが
結託してクーデターを起そうと準備していた。

そこに関東大震災が起き、
混乱に乗じて朝鮮人が暴動・ 放火・強姦行為をやった。

特に横浜方面から品川にかけてのエリアで物凄い人数で襲い掛かってきた。
横浜方面だけでなく、深川、墨田他のエリアで
どうみても火災が起きるはずの無いエリアで爆発や火災が発生した。

その情報が警察とかに上がって丸の内とか
外国の要人が居るので朝鮮人の暴動に備えて厳戒態勢で備えていた。
この朝鮮人の暴動に怒り狂った日本人の自警団が
そいつらをとっ捕まえて自衛の為に殺害した。
なかには無実の朝鮮人と朝鮮人に間違われた日本人も居た。

戦後アカが主導になってでっち上げの人数を
6000人とか捏造してデマで殺されたと言い回った。

本当はアカと朝鮮人が結託して
テロ行為を起した事実を知られるとまずいから。
苦し紛れにデマ説を必死で流した某学者は
日本の社会・共産主義の土台を作った一員でも有った
(しかしそのアカの学者でさえ、
実際に朝鮮人の暴動破壊行為が合った事を大筋認めている)
つまり、隠蔽工作である。

朝鮮人が暴動を起していたという証言は多数でありリアリティが有り、
当時の新聞はそれを伝えているが、当時の内務大臣、後藤新平が
「朝鮮人の暴動が有った事は事実だが、自警団による自衛行為は
やめさせてこの混乱を収拾させるべきだ」と考え、
風評の打ち消しに徹した。→それが所謂デマ説の正体。

「それではアカ朝鮮人から市民の安全を保証出来ない」
と読売の正力氏は後藤大の決定に怒り、反発して、
9月末に地方へ転勤願いを提出した。

後藤新平は社会主義者と交友が有り、社会主義への知己も持っていた
(後藤は右翼とも関係が有り、いわば両刀使いだった)が、
一連の暴動をきっかけに、これではまずいと、治安維持法が制定され、
社会共産主義者への弾圧へと、政府は政策を見直し、遂行して行った。

これが大筋の事実です。
朝鮮人の暴動から自衛の為に戦ったという事が歴史の真実です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1426289464

と、2chのコピペが有ったので取りあえず
「デマ説を必死で流した某学者」と言うのを調べてみた。

その学者とはズバリ、吉野作造 ですね。

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つまり、関東大震災時の朝鮮人の悪行には事実もありましたが、
デマ(風評)もあり、民間の自警団による過剰防衛が発生しました。

そんな中、最後は日本政府、そして日本の軍や警察が、
自警団による朝鮮人殺害(過剰防衛)から朝鮮人を守りました。

例えば、警視庁の当時の文書(大正大震火災誌)は、
そうした情報を「流言蜚(飛)語」として、
うわさが時々刻々変化していく様子を記録していました。

また、軍の文書(横須賀鎮守府参謀長あて)も
「真相を確かむるを得ず避難者や青年団より誇大な情報」と書いていました。

更に、戒厳令で出動する軍隊には、

「不逞鮮人ノ動作ニツイテ計画的二不逞ノ行為ヲナサントスルカ如キ形勢ヲ
認メス、鮮人ハ必スシモ不逞者ノミニアラス、
之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルヘカラス」

と訓示がありました。

東京日日新聞大正12年9月19日
斉藤「流言飛語は面白くない」、「日鮮融和上影響を及ぼす」
殊に上海にて某々新聞等が盛んに鮮人問題を悪用して宣傅しているが・・・
(中略)目下東京及び近県にては鮮人に対しつとめて保護を加えているが…
関東大震災_10

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日本政府(警察や軍隊)が自警団から朝鮮人を保護した事例

◆神奈川県鶴見警察署の大川常吉署長は、
警察に駆け込んだ朝鮮人(約三百人)を命がけで庇護した。
警察署を包囲する千人の暴徒に対し「井戸水を持って来い」と言い、
その場で飲んで、朝鮮人の潔白を示し、朝鮮人を救った。

◆また、真田さんという人は、朝鮮人一家をかくまい、自警団が押しかけ、
詰め寄っても、かくまい続け、数日後、真田さん宅から
約2キロ離れた寺島警察署(現向島署)まで
従業員の警護をつけて送り届け、化九さん一家は難を逃れた。

このほか、1997年(平成9年)12月12日付け産経新聞夕刊に、
軍が朝鮮人を救ったという資料を載せています。
―――――――
関東大震災直後、戒厳軍が朝鮮人救済。
デマに踊る自警団制す、横須賀で2資料発掘。

大正十二(1923)年九月一日の関東大震災が発生した直後、
神奈川県横須賀市で、旧日本軍がデマによる朝鮮人殺害を懸念し、
二百人以上の朝鮮人を保護するとともに、
延べ千百余人の被災朝鮮人の治療を行い、
希望者を朝鮮半島に送っていたことが、
十二日までに中村粲・獨協大教授の研究で明らかになった。

教科書では、関東大震災が発生した際、
東京都内や横浜で朝鮮人が多数虐殺された事件に関連し、
「旧日本軍も関与した」とする説明が記されているが、
資料では、保護された朝鮮人側が謝意を表し、
震災復興費用を寄付したケースもあるとしている。

噂ハ虚報。虐待スルナ

中村教授によると、旧日本軍による朝鮮人保護を記しているのは、
横須賀市震災誌刊行会が昭和七年に発行した「横須賀市震災復興誌」と、
横須賀市在住の元大蔵省職員、毛塚五郎氏のまとめた
「関東大震災と三浦半島」の二資料。

この二つの資料によると、震災直後、「朝鮮人による暴行があった」
などとするデマが流れているという情報を入手した軍当局が、
「概ネ虚報ナリ」として、朝鮮人による暴行や井戸への毒の投げ込みなどの
うわさは「デマ」であると判断。

市内の重砲兵連隊「不入斗(いりやまず)練兵場」に朝鮮人を保護し、
市内各所に「デマに惑わされないように」
とする掲示を出してデマの鎮静化を図った。

(以下略)

―――――――――――――――――

そして、犠牲者数ですが、
教科書に載っている6600人とか7000人というのは完全な誤りであり、
事実は200人余りです。

『写真 明治大正60年史』(1956年、毎日新聞社)
では数百人となっています。

『朝鮮人虐殺関連官庁資料』
によれば、朝鮮人被害者死亡231人、重軽傷43人。

『関東戒厳司令部詳報』
の兵器使用調査票によれば、震災後一週間の
「治安維持のため」の朝鮮人殺害254人、日本人殺害27人。

大震災による大混乱に乗じて
悪い事をしていた朝鮮人がいて、デマも流れるなか、
民間の自警団が過剰防衛で、
悪い事をしていない朝鮮人たちまで殺害してしまう
事件が起きてしまったので、
日本の警察や軍隊が命がけで朝鮮人を守ったというのが真相のようです。

関東大震災_11

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当時の新聞記事

福岡日日新聞 号外 1923年(大正12年)9月2日
福岡日日新聞 号外 1923年(大正12年)9月2日

下越新報 1923年(大正12年)9月3日
下越新報 1923年(大正12年)9月3日
下越新報 1923年(大正12年)9月3日

小樽新聞 号外 1923年(大正12年)9月3日
小樽新聞 号外 1923年(大正12年)9月3日

荘内新報 号外 1923年(大正12年)9月3日
荘内新報 号外 1923年(大正12年)9月3日

新愛知 号外 1923年(大正12年)9月4日 火曜日
新愛知 号外 1923年(大正12年)9月4日 火曜日

九州日報 号外 1923年(大正12年)9月4日
九州日報 号外 1923年(大正12年)9月4日

大阪 毎日新聞 号外 1923年(大正12年)9月4日
大阪 毎日新聞 号外 1923年(大正12年)9月4日

大阪 毎日新聞 号外 1923年(大正12年)9月5日
大阪 毎日新聞 号外 1923年(大正12年)9月5日

小樽新聞号外 1923年(大正12年)9月5日
小樽新聞号外 1923年(大正12年)9月5日

読売新聞 1923年(大正12年)10月21日
読売新聞 1923年(大正12年)10月21日

名古屋新聞
名古屋新聞

新愛知新聞
新愛知新聞

SAPIO 2008年5月28日
SAPIO 2008年5月28日

SAPIO 2008年5月28日

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「関東大震災」当時、新聞社は東京に一局集中していました。
この頃の新聞は「活版印刷」といって、
一文字ずつ文字を手作業で並べて新聞の印刷をしていました。

東京にあった新聞社は、ことごとくこの活版印刷のための活字ケースが
地震発生によって倒れ、活字が散乱し、
印刷機能が停止してしまいました。

さらに大火によって、
東京日日新聞、報知新聞、都新聞を除く13社がすべて焼失し、
最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付夕刊を発行するまで、
首都における新聞報道は完全に麻痺してしまっていたのです。

このため、地方新聞の支局員が、関東大震災の模様を取材し、
それを地方にある自社新聞印刷所に連絡し、
これが各地での号外となりました。

―――――――――――――――――

小樽新聞 1923年9月3日 号外第一
『朝鮮人、隊をなして石油 爆弾使い放火』

小樽新聞 1923年9月3日 号外第三
『朝鮮人、各所暴動検束数千名』

大阪朝日新聞 1923年9月3日 号外
『朝鮮人、横浜~王子放火』

荘内新報 1923年9月3日 号外第十八報
『朝鮮人、爆弾 放火 王子横浜で軍隊と衝突』

新愛知 1923年9月4日 号外
『朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪』

名古屋新聞 1923年9月4日 号外第二
『朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白』

福岡日日新聞 1923年9月4日 号外
『朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける』

小樽新聞 1923年9月4日 号外第一
『朝鮮人、爆弾 掠奪 鮮人 銃殺』

九州日報 1923年9月4日 号外第三
『朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、
不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ』

大阪毎日新聞 1923年9月4日 号外第二
『朝鮮人暴挙は完全取締を遂行』

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幻の映像 1923年関東大震災衝撃映像

【関東大震災】「世界に眠る幻の未公開映像」【1】

【関東大震災】「世界に眠る幻の未公開映像」【2】

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전후의 조선인 폭동 후의 헤이트 금지가 원조


1923년(타이쇼 12년) 9월 1일의 관동 대지진 직후의,
이른바 「조선인 학살」에 임해서.

산케이신문 2010년 1월 24일

일본교원노동조합이 근거 없는「 약 6600명 」 관동 대지진에서의 조선인 학살.

야마가타현에서 행해지고 있는 일본교원노동조합의 교육 연구 전국 집회에서 24일,
관동 대지진 후에 일어난 조선인 학살에 대해서, 희생자수「 약 6600명」를
전제로서 중학생에게 가르치는 수업 실천이 보고되었다.

희생자수를 둘러싸고, 당시의 조선인의 인구등에서
수천인 이상으로 오르는 것은 있을 수 없다고 지적되고 있다.

그러나, 많은 교과서에는「6000명 이상」 등으로 하는 기술이 남아,
학교에서는 변함 없이,일본을 과대하게 나쁘게 그리는 역사 수업두꺼비 빌려 다니고 있는 실태가 떠올랐다.(제야광박)

교연집회의 사회과 교육 분과회에서 행해진 보고에 의하면,
「인권 의식을 높이는 것」 등을 목적에,
조선인에게의 차별 의식을 학생에게 생각하게 하거나
조선인과 함께 황태자 암살을 기획했다고 해서 사형( 후에 무기 징역) 판결을
받은 무정부주의자, 가네코 아야코원복역수에 대해 배우게 하거나 하고 있었다.

타이쇼 12년 9월 1일의 관동 대지진에서는,
「조선인이 습격해 오는」등의 정보가 피난 주민등에 흘러
주민등은 자경단을 조직.

과잉 방위로 죄가 없는 조선인이 살해된 케이스도 있어,
당시의 정부는 희생자가 233명 있었다고 발표하고 있다.

희생자수에 대해서는, 대한민국 임시 정부의 기관지, 독립신문이
「6661명」로 해, 후의 연구자등이 이것을 많이 인용.

일본의 학자, 고 요시노 사쿠조씨도 조사에서「2613명」로 하고 있다.

그러나 이 숫자는 당시의 조선인의 인구가 보고 있을 수 없는 것이,
논픽션 작가 쿠도 미요코씨의 연구등에서 판명되었다.

당시간의 정부 자료등에서 관동 대지진의 재해지역에는
약 1만 2천명의 조선인이 살고 있었다고 보여져
지진 재해시에 실제로 있던 인원수는 약 9800명이라고 추정.

지진 재해 후의 9월 17 일시점으로 경찰이나 군에 의해서
수용・보호된 신원이 판명되어 있던 조선인은,
정부에 의하면 총계 6797명.
이것에 희생자 233명을 가세하면, 나머지는 3천명 미만이다.

6천명대의 희생은 있지 않고, 요시노씨의 조사 결과에서도
지진 재해로 화재로 사망 이나 행방불명이 된 조선인이 없었던것이 된다.

쿠도씨는「233명이어도 학살이 있던 사실은 인정하지 않으면 안 되는 」
(으)로 한 다음, 「근거가 없는 숫자가 교과서에 실려 있는 것이 문제.
한일합방 100년이기도 해, 사건을 공정하게 재검토하는 움직임이 퍼지면 좋은 」
(이)라고 이야기한다.
쿠도씨의 연구는「관동 대지진『조선인 학살』의 진실」(산케이신문 출판)
에 정리하고 있다.

관동 대지진 직후의 조선인 학살은,
초등학교로부터 고등학교까지의 사회과 교과서에 모두 기술되고 있다.

중학에서는「대략 7000명」(시미즈 서원「 신중학교 역사」),
고등학교에서는「6000명 이상」(토쿄 서적「 신선일본사 B」),
「 약 6700명」(짓쿄출판「고교 일본사 A」)라고 하는 기술외,
「수천인」「다수」로 한 것도 있다.

초등학교에서도「죄가 없는 수천인의 조선인이 살해당하는 사건이 일어났던 」
(교이쿠 출판「초등학교 사회 6상」) 등과 기술.
초중고와도, 「학살」에 대한 기술이,
관동 대지진에 개있던 설명의 반전후를 차지하고 있다.

학습 지도 요령이나, 교과서 편찬(거치지 않는씨)에 영향이
강하다고 여겨지는 학습 지도 요령 해설서에는, 조선인 학살에 대한 언급은 없다.

문부 과학성은「과거 10년의 교과서 검정으로,
희생자수에 대해 검정 의견이 붙었던 적은 없는」로 하고 있다.


쿠도 미요코저「관동 대지진『조선인 학살』의 진실」에 의하면,

고토 신페이는,

「쇼리키군, 조선인의 폭동이 있던 것은 사실이고,
자신은 모르는 것은 아니다.
하지만,이대로자경단에 맡기고 힘으로 눌러 부수면,
그들과라고 그대로는 물러나지 않을 것이다.
반드시 그 보복이 온다.
보복의 정면이 만일에도 상으로 향해지는 일이 있으면,
물러난 정도에서는 끝내지지 않다.
그러니까 여기는, 자경단에는 안되지만, 당겨 준다.
격려는 할 생각이지만.」

(와)과 쇼리키에 말해, 쇼리키는 굳이풍문의 부정역에 철저했다고 합니다.

따라서, 관동 대지진때에 말해지거나 보도 되거나 했다
조선인의 악행안에는, 유언비어(풍문)도 있었습니다만,
사실도 있었다고 하는 것입니다.

잡지「SAPIO」에 1년 남짓에 건너 연재되고 있던 쿠도 미요코저
『관동 대지진-「조선인 학살」의 진실』는, 가필・정정을 더해
2009년 12월 2일, 산케이신문 출판으로부터 신간책으로서 발매되었습니다.

동서에서는, 1923년(타이쇼 12년)의 관동 대지진시에 있었다
「조선인에 의한 테러 행위나 일본인 습격」나「일본인에 의한 조선인 학살 」
의 각각의 사실에 대해서,
다수의 자료・신문 기사등에서 검증하고 있습니다.

당시의 내무 대신・고토 신페이가「조선인 내습 보도」를 억제한 이유나,
고토 신페이의 생명을 받아 분주 하는 경시청 관방 주사・쇼리키 마츠타로의 모습등이,
문헌이나 관계자의 증언으로부터 전하고 있습니다.

아래와 같은 브로그로, 그「SAPIO」의 상기 연재에 대해 일부를 소개하고 있습니다.

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정말로 있던 관동 대지진에 있어서의 조선인에 의한 폭동・파괴・방화・강간
2009년 5월 14일
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10260524567.html

잡지 SAPIO로
「정말로 있던 관동 대지진에 있어서의 조선인에 의한 폭동・파괴・방화」에 임해서
작년부터 연재중입니다만, 양이 방대하고 꽤 다 정리할 수 있지 않기 때문에,
넷상으로부터 모은 당시의 신문 기사를 모아 보았습니다.

SAPIO의 자료, 증언을 읽어도 우선 말할 수 있는 것은,
「적어도 요코하마~시나가와에 대해 조선인에 의한 폭동 파괴 활동은 있던 」
(이)라고 말하는 것입니다.넷상으로부터 모은 당시의 신문 기사입니다.
관동 대지진_1

요코하마로부터 시나가와 방면에 조선인의 집단이 칼이나 폭탄을 가져,
날뛰어 돌아 부녀를 강간하고 있었다고 하는 사실을 추구해 가면
이 소동의 실태가 보인다고 생각됩니다.상세하게 추구중입니다.
관동 대지진_2

관동 대지진_3

요코하마로부터 시나가와 방면에 조선인의 집단이 칼이나 폭탄을 가져,
날뛰어 돌아 부녀를 강간하고 있었다고 하는 증언은 틀림없이 존재합니다.
아무것도 없으면 기사가 되는 일은 없습니다.
관동 대지진_4

일련의 조사로 나라시노와 강동 지구에서 틀림없이
불온한 움직임이 있던 일은 잘못해 없다고 생각됩니다.

이 기사도 그 증거의 하나입니다.
「지진 재해로 울부짖는 것을 (들)물어 혁명 노래를 부르고 있던」라고 말하는 것이,
그야말로 아카 극좌의 행동을 적확하게 파악하고 있어
당시부터 대바보 놈이었다고 하는 것이 인식 할 수 있군요.
관동 대지진_5

사법당국이 조선인의 범죄를 보도하는 일을 규제해 압력을 가한 결정적 증거.
10월 20일, 간신히 자유 보도가 해금되어 진실을 기재하기 시작했다.

무수한 보도되어 온 범죄는 사실이라고,
한층 더 아래에는 4트목에 조선인이 소녀를 윤간한 후에 살해해,
아라카와에 던져 던지기 도주했다고 하는 무서운 기사가 써 있다.
관동 대지진_6

니혼바시의 창고에 조선인이 불을 질러 체포.
후카가와의 식량 창고가 시간을 두고 불이 섰다
의도 조선인의 동시 다발 테러였다고 하는 일을 증명하는 하나의 사실이다.
관동 대지진_7

요코하마에서 실제로 있던 관동 대지진에 있어서의 조선인에 의한 폭동・파괴・강간 【1】
2009년 5월 14일
요코하마~시나가와에서의 조선인에 의한 폭동・파괴・방화・강간의 목격담입니다.
인용원「SAPIO 2008.5.28」
관동 대지진_8

관동 대지진_9

관동 대지진에 있어 조선인이 폭동・방화를
행한 것은 유언비어와 날조 한 것은 사회・공산주의의 학자
2009년 5월 19일

SAPIO의 연재에 의하면, 즉 조선인과 사회주의자=아카가
결탁하고 쿠데타를 일으키려고 준비해 있었다.

거기에 관동 대지진이 일어나
혼란을 타 조선인이 폭동 ・ 방화・강간 행위를 했다.

특히 요코하마 방면에서 시나가와에 걸친 에리어에서 무서운 인원수로 덤벼 들어 왔다.
요코하마 방면 뿐만이 아니라, 후카가와, 스미다 다른 에리어에서
어떻게 봐도 화재가 일어나야할 없는 에리어에서 폭발이나 화재가 발생했다.

그 정보가 경찰이라든지에 올라 마루노우치라든지
외국의 요인이 있으므로 조선인의 폭동에 대비해 경계 태세로 갖추고 있었다.
이 조선인의 폭동에 광분한 일본인의 자경단이
그 애들을 꽉 잡아 자위를 위해 살해했다.
(안)중에는 무실의 조선인과 조선인에 오인당한 일본인도 있었다.

전후 아카가 주도가 되어 꾸며내의 인원수를
6000명이라든지 날조 하고 유언비어로 살해당했다고 말해 돌았다.

사실은 아카와 조선인이 결탁해
테러 행위를 일으킨 사실을 알려지면 맛이 없으니까.
난처한 나머지에 유언비어설을 필사적으로 흘린 모학자는
일본의 사회・공산주의의 토대를 만든 일원이라도 있었다
(그러나 그 아카의 학자조차,
실제로 조선인의 폭동 파괴 행위가 맞은 일을 대략 인정하고 있다)
즉, 은폐 공작이다.

조선인이 폭동을 일으키고 있었다고 하는 증언은 다수이며 리얼리티가 있어,
당시의 신문은 그것을 전하고 있지만, 당시의 내무 대신, 고토 신페이가
「조선인의 폭동이 있던 일은 사실이지만, 자경단에 의한 자위 행위는
그만두게 해 이 혼란을 수습시켜야 한다」라고 생각해
풍문의 부정에 철저했다.→그것이 소위 유언비어설의 정체.

「그러면 아카 조선인으로부터 시민의 안전을 보증 할 수 없는 」
(와)과 요미우리의 쇼리키씨는 고토대의 결정에 화내, 반발하고,
9월말에 지방에 전근 소원을 제출했다.

고토 신페이는 사회주의자와 교우가 있어, 사회주의에의 지기도 가지고 있었다
(고토는 우익과도 관계가 있어, 말하자면 쌍칼쓰기였다)(이)가,
일련의 폭동을 계기로, 이것으로는 안되면 치안 유지법이 제정되어
사회 공산주의자에게의 탄압으로, 정부는 정책을 재검토해, 수행해서 갔다.

이것이 대략의 사실입니다.
조선인의 폭동으로부터 자위를 위해 싸웠다고 하는 것이 역사의 진실합니다.
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1426289464

라고 2 ch의 코피페가 있었으므로 우선
「유언비어설을 필사적으로 흘린 모학자」라고 말하는 것을 조사해 보았다.

그 학자란 즈바리, 요시노 사쿠조군요.

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즉, 관동 대지진시의 조선인의 악행에는 사실도 있었습니다만,
유언비어(풍문)도 있어, 민간의 자경단에 의한 과잉 방위가 발생했습니다.

그런 가운데, 최후는 일본 정부, 그리고 일본의 군이나 경찰이,
자경단에 의한 조선인 살해(과잉 방위)로부터 조선인을 지켰습니다.

예를 들면, 경시청의 당시의 문서(타이쇼 대지진 화재잡지)는,
그러한 정보를「뜬소문비(비) 어」로서
소문이 시시각각 변화해 나가는 님 아이를 기록하고 있었습니다.

또, 군의 문서(요코스카 진수부 참모장 대어)도
「진상을 확실히를 얻지 않고 피난자나 청년단보다 과대한 정보 」라고 쓰고 있었습니다.

또한, 계엄령으로 출동하는 군대에는,

「불령선인노 동작 니트이테 계획적2 불령노 행위 나산트스르카여키 형세
인메스, 선인하필스시모 불령자 끌 니어 라스,
지악용 센트술 일본인 아르망르헤카라스 」

(와)과 훈시가 있었습니다.

도쿄 니치니치신문 타이쇼 12년 9월 19일
사이토「유언 비어는 재미없는」, 「일선융화상 영향을 미치는 」
특히 샹하이에서 모들신문등이 활발히 선인 문제를 악용 해 선부 하고 있지만 ・・・
(중략) 목하 도쿄 및 근현에서는 선인에 대해 근무하고 보호를 더하고 있지만 …
관동 대지진_10

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일본 정부(경찰이나 군대)가 자경단으로부터 조선인을 보호한 사례

◆카나가와현 츠루미 경찰서의 오오카와 츠네요시 서장은,
경찰에 뛰어든 조선인( 약3백명)을 결사적으로 비호 했다.
경찰서를 포위하는 천명의 폭도에 대해「우물물을 가져와」라고 말해,
그 자리에서 마시고, 조선인의 결백을 나타내, 조선인을 구했다.

◆또, 사나다씨라고 하는 사람은, 조선인 일가를 숨겨두어, 자경단이 밀어닥쳐
다가서도, 계속 숨겨두어 몇일후, 사나다씨택으로부터
약 2킬로 떨어진 테라지마 경찰서(현무코지마서)까지
종업원의 경호를 붙여 데려다 주어 화 9씨일가는 난을 피했다.

이 외 , 1997년(헤세이 9년) 12월 12 날짜 산케이신문 석간에,
군이 조선인을 구했다고 하는 자료를 싣고 있습니다.
―――――――
관동 대지진 직후, 계엄군이 조선인 구제.
유언비어에 춤추는 자경단 제지하는, 요코스카에서 2 자료 발굴.

타이쇼 12(1923) 년 9월 1일의 관동 대지진이 발생한 직후,
카나가와현 요코스카시에서, 구일본군이 유언비어에 의한 조선인 살해를 염려해,
2백명 이상의 조선인을 보호하는 것과 동시에,
펴 수천 수백의 관중 다른 사람의 재해 조선인의 치료를 실시해,
희망자를 한반도에 보내고 있었던 것이,
12일까지 나카무라찬・독쿄대 교수의 연구로 밝혀졌다.

교과서에서는, 관동 대지진이 발생했을 때,
도쿄도내나 요코하마에서 조선인이 다수 학살된 사건에 관련해,
「 구일본군도 관여한」로 하는 설명이 기록되고 있지만,
자료에서는, 보호된 조선인측이 사의를 나타내,
지진 재해 부흥 비용을 기부한 케이스도 있다고 하고 있다.

소문하 허위보도.학대 스르나

나카무라 교수에 의하면, 구일본군에 의한 조선인 보호를 적고 있는 것은,
요코스카시 지진 재해잡지 간행회가 쇼와7년에 발행한「요코스카시 지진 재해 부흥잡지」와
요코스카시 거주의 전 대장성 직원, 케츠카 고로씨가 정리했다
「관동 대지진과 미우라 반도」의 2 자료.

이 두 개의 자료에 의하면, 지진 재해 직후, 「조선인에 의한 폭행이 있던 」
등으로 하는 유언비어가 흐르고 있다고 하는 정보를 입수한 군당국이,
「개네 허위보도 나리」로서 조선인에 의한 폭행이나 우물에의 독의 던지기 포함등의
소문은「유언비어」이다고 판단.

시내의 중포병 연대「이리야마즈(이리야마즈) 연병장」에 조선인을 보호해,
시내 각처에「유언비어에 유혹해지지 않게 」
(으)로 하는 게시를 보내 유언비어의 진정화를 도모했다.

(이하약어)

―――――――――――――――――

그리고, 희생자수입니다만,
교과서에 실려 있는 6600명이라든지 7000명이라고 하는 것은 완전한 잘못이며,
사실은 200명남짓입니다.

『사진 메이지 타이쇼 60년사』(1956년, 마이니치 신문사)
그럼 수백명이 되고 있습니다.

『조선인 학살관련 관청 자료 』
에 의하면,조선인 피해자 사망231명, 중경상 43명.

『관동 계엄 사령부 상세보도 』
의 병기 사용 조사표에 의하면,지진 재해 후 일주일간의
「치안 유지를 위해」의 조선인 살해 254명, 일본인 살해 27명.

대지진에 의한 대혼란을 타
나쁜 일을 하고 있던 조선인이 있고, 유언비어도 흐르는 가운데,
민간의 자경단이 과잉 방위로,
나쁜 일을 하고 있지 않는 조선인들까지 살해해 버린다
사건이 일어나 버렸으므로,
일본의 경찰이나 군대가 결사적으로 조선인을 지켰다라고 하는 것이 진상같습니다.

관동 대지진_11

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당시의 신문 기사

후쿠오카 일일신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 2일
후쿠오카 일일신문 호외 1923연(타이쇼12연)9월2일

가에츠 신보 1923년(타이쇼 12년) 9월 3일
가에츠 신보 1923년(타이쇼 12년) 9월 3일
가에츠 신보 1923년(타이쇼12연)9월3일

오타루 신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 3일
오타루 신문 호외 1923연(타이쇼12연)9월3일

쇼나이 신보 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 3일
쇼나이 신보 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 3일

신아이치 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 4일 화요일
신아이치 호외 1923연(타이쇼12연)9월4일 화요일

큐슈 일보 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 4일
큐슈 일보 호외 1923연(타이쇼12연)9월4일

오사카 마이니치 신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 4일
오사카 마이니치 신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 4일

오사카 마이니치 신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 5일
오사카 마이니치 신문 호외 1923연(타이쇼12연)9월5일

오타루 신문 호외 1923년(타이쇼 12년) 9월 5일
오타루 신문 호외 1923연(타이쇼12연)9월5일

요미우리 신문 1923년(타이쇼 12년) 10월 21일
요미우리 신문 1923연(타이쇼12연)10월21일

나고야 신문
나고야 신문

신아이치 신문
신아이치 신문

SAPIO 2008년 5월 28일
SAPIO 2008년 5월 28일

SAPIO 2008년 5월 28일

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「관동 대지진」당시 , 신문사는 도쿄에 한 판 집중하고 있었습니다.
요즘의 신문은「활판 인쇄」라고 하고,
한 글자씩 문자를 수작업으로 나란해질 수 있어 신문의 인쇄를 하고 있었습니다.

도쿄에 있던 신문사는, 죄다 이 활판 인쇄를 위한 활자 케이스가
지진 발생에 의해서 넘어져 활자가 산란해,
인쇄 기능이 정지해 버렸습니다.

한층 더 대화재에 의해서,
도쿄 니치니치신문, 보지신문, 도신문을 제외한 13사가 모두 소실해,
가장 빨리 복구한 도쿄 니치니치신문이 9월 5 일자 석간을 발행할 때까지,
수도에 있어서의 신문보도는 완전하게 마비되어 버리고 있었습니다.

이 때문에, 지방 신문의 지국원이, 관동 대지진의 모양을 취재해,
그것을 지방에 있는 자사 신문 인쇄소에 연락해,
이것이 각지에서의 호외가 되었습니다.

―――――――――――――――――

오타루 신문 1923년 9월 3일 호외 제일
『조선인, 대를 이루어 석유 폭탄 사용 방화 』

오타루 신문 1923년 9월 3일 호외 제3
『조선인, 각처 폭동 검속 수천명 』

오사카 아사히 신문 1923년 9월 3일 호외
『조선인, 요코하마~왕자 방화 』

쇼나이 신보 1923년 9월 3일 호외 제 18보
『조선인, 폭탄 방화 왕자 요코하마에서 군대와 충돌 』

신아이치 1923년 9월 4일 호외
『조선인, 지붕에서 지붕에 방화 부인 능욕 약탈 』

나고야 신문 1923년 9월 4일 호외 제2
『조선인 우라와 타카사키에 방화 검거 폭탄 소지해 다만 빙상열차 폭파 자백 』

후쿠오카 일일신문 1923년 9월 4일 호외
『조선인, 살인 학살 흉악상진행중의 열차에 폭탄 내던지는 』

오타루 신문 1923년 9월 4일 호외 제일
『조선인, 폭탄랭탈선인 총살 』

큐슈 일보 1923년 9월 4일 호외 제3
『조선인 포박 폭탄 그 외 압수.군대가 치안 유지에 출동했기 때문에,
불령선인은 폭탄을 휴대하면서 각지방에 해산, 진압 진정화에 』

오사카 마이니치 신문 1923년 9월 4일 호외 제2
『조선인 폭동은 완전 단속을 수행 』

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환상의 영상 1923년 관동 대지진 충격 영상

【관동 대지진】「세계에 자는 환상의 미공개 영상 」【1】

【관동 대지진】「세계에 자는 환상의 미공개 영상 」【2】

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