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朝鮮通信使の隠された真実の姿を暴く(笑)

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歴史投稿 朝鮮通信使  朝鮮通信使の隠された真実の姿を暴く(笑)



歴史投稿その1 「朝鮮通信使と鶏」




2006年10月に、ENJOY KOREAという、韓国人に正しい歴史を教えてあげるサイトに、この絵を投稿したところ、いろいろな所で引用され、反響の大きさに驚きました。

これは『日韓中の交流』山川出版社からの引用です。

『船着場から上陸して町の中をうろついていた朝鮮通信使一行が、町人が飼っているニワトリを盗んで逃げようとし、日本人とけんかになっている。』という説明文がついています。

『日韓中の交流』山川出版社 1800円。
図書館で借りて読んだのですが、一応、筋を通して一冊購入しました。笑。


この絵について少し調べてみました。

1748年(延享5)に来日した朝鮮通信使が淀藩領に入った際、接待役を務めたのは家老の渡辺善右衛門という人です。善右衛門は「来聘記」を書き残しました。それには付図(来朝行列図)があり、この図の一部分がこの絵と思われます。

接待役の善右衛門にとって、このケンカ騒ぎは大事件のはずですから、「来聘記」に、この事件についての詳しい説明が書かれていると思います。
翻刻がなされたら、是非読んで見たいです。

このころ、淀藩城下では、『猫は朝鮮通信使の大好物で、町中の猫を彼らがつかまえて料理して食べているので、町から猫がいなくなった』という噂もたっていました。


さて、この図の全体は縦横1.4Mもある大きなもので、複製が教育機関に配布されているようです。残念ながらネット上で見つけることはできませんでした。

しかし、面白い情報を見つけました。
それは、読売新聞2004年5月4日の「朝鮮通信使絵図作者子孫に戻る」という記事です。



http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics297.html

記事の中の「朝鮮聘礼使淀城着来図」は、「来聘記」の付図(来朝行列図)そのものだと思うのです。記事の最後のところに、次の文があるからです。

『藤井教授は「日本の子どもと遊んだり、鶏を一緒に追いかける韓半島人の姿が活き活きと描写され、日本の民衆と交流していた様子がわかる」と話している。』

この文だけ読むと、日本の子供と朝鮮通信使のほのぼのとした触れ合いを想像しますが、実際に絵を見るとぜんぜん違います。



右端には棒を振り上げて韓半島人に向かっていく日本人が描かれていますし、遊んでいる様子とはとても思えません。

藤井教授が天然なのか、それとも、総連、民団が朝鮮通信使を日韓友好の象徴であり、かつ『自分たちの誇り』と位置づけているために、下手なことを言うと人 権問題(笑)になってしまうのを恐れているのか、いずれにしても、このようにして朝鮮通信使の実態が隠蔽されているのです。笑。








歴史投稿その2 「日本人は朝鮮通信使をどう見たのか」


埼玉新聞   www.saitama-np.co.jp/news10/26/09l.html


「あなたもチャングムの衣装で川越市内を練り歩きませんか」
江戸時代に行われていた朝鮮通信使の 行列をまね、町民らが川越まつりで行っていた「唐人揃い」を復活させた仮装行列「復活!唐人揃い―朝鮮通信使―多文化共生・国際交流パレード」が十一月十二日、川越市内で行われる。
日本と朝鮮の平和の象徴だった証の唐人揃いを復活させようと、市民団体「埼玉・コリア21」などを中心に各種団体で組織した実行委員会(江藤善章委員長)が昨年初めて開催した。今年二回目。



「唐人揃い」という唐人行列が、川越で行われるようです。

記事には、次のように書かれています。

『唐人揃いが川越まつりで行われたのは、江戸時代の川越の豪商・榎本弥左衛門が九州から東海、江戸地域で行われていた朝鮮からの文化使節団の行列を見たのがきっかけ。
その後、川越まつりで唐人揃いの仮装行列が取り入れられ、川越氷川神社祭礼絵巻にも記録が残されている。 』

川越氷川神社祭礼絵巻に描かれている唐人揃いの仮装行列を良く見ると、唐人の衣装を着て、魚の作り物を頭に被っている子供の行列であることがわかります。
行列には、「浦島太郎」と「乙姫」を演じる子供がいて、全体として見ると、浦島太郎と乙姫の婚礼行列です。

「唐人揃い」は、朝鮮通信使を真似たものではなく、竜宮城の近くから来ると思われていた琉球使節を真似たものなのです。

つまり、川越氷川神社祭礼絵巻に描かれた、江戸時代、町民らが川越まつりで行っていた「唐人揃い」の唐人とは琉球の人たちのことで、浦島太郎と乙姫の引き立て役として登場しているのです。

朝鮮通信使とは全く関係がないのです。

川越氷川神社祭礼絵巻が複数あるのでなければ、市民団体「埼玉・コリア21」は、明らかに嘘をついていることになります。笑。


江戸時代、祭りの仮装行列で演じられた朝鮮通信使行列には、「お約束」の唐人がつきものでした。

その唐人は、「賄い唐人」と呼ばれていました。日本人が創造した架空の朝鮮通信使です。

朝鮮通信使のうち、身分の高い人たちには、幕府からご馳走のもてなしがありましたが、下級身分の人たちは、米・味噌・卵などが支給されて、宿泊先の厨房で自炊していました。
彼らは、支給されたもののうち、いらないものを売って好きなものを買ったり、上役の命令により密かに持ち込んだ朝鮮国の人参を日本の商人に売って金を得たりしました。このような行為から日本の庶民の間に架空の朝鮮通信使「賄い唐人」のイメージが生まれました。

「賄い唐人」は、朝鮮国の人参を売るために使う天秤ばかりと売買を記載する帳簿を持ち、鞍には、仕入れた兎や鶏が入った籠をつけています。

日本各地の祭礼で行われた仮装行列で、朝鮮通信使仮装行列の「賄い唐人」は、道化役として、見物客を楽しませていました。



画像を見てください。
鞍に兎が括りつけられています。
そして、左手に鶏を持ち、右手で引きちぎった羽根を口に入れようとしています。
この兎や鶏は本物ではなく、お菓子で作った作り物です。

賄い唐人は、日本の庶民が持っていた韓半島人に対するイメージを表現しているのです。
密かに朝鮮国の人参を売り、腹が減ると生肉を意地汚く食べ散らかす。
このような肉食の野蛮で滑稽な「賄い唐人」は、江戸時代の日本人が抱いていた「韓半島人のイメージ」のひとつなのです。

実際に、本物の朝鮮通信使が通過した町で、『猫は朝鮮通信使の大好物で、町中の猫を彼らがつかまえて料理して食べているので、町から猫がいなくなった』という噂がたったこともあります。

妙な市民団体が、日本各地で朝鮮通信使を模した唐人行列を復活させても、賄い唐人は決して復活しないでしょう。

今や、朝鮮通信使は日韓友好の象徴であるとともに、韓国人、在日韓半島人の「自尊心」と「優越感」そのものなのです。笑。








歴史投稿その3 「朝鮮通信使殺害事件 前編」





朝鮮通信使殺害事件について書きます。

その前に、「朝鮮通信使と鶏」について、もう少し書き足しておこうと思います。
実は、この鶏強奪事件と殺害事件とは関連があるからです。

私が先週の週末に書いたスレッドに、韓国人のcsk3451さんが良いレスをつけてくれました。



http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72306&st=writer_id&sw=ushirock


csk3451 10-30 02:30----日本幕府の手厚い待遇を受けた朝鮮通信使何が不足で泥棒行為をするの? 朝鮮王の国書を伝達する任務を遂行した朝鮮通信使がお金が不足ヘッウルリもなくて? そんな任務を遂行した朝鮮通信使が盗みをヘッダヌンゴン常識的に理解がアンガンダ..



これは重要な指摘です。
csk3451さんのレスのとおり、日本側は朝鮮通信使に莫大な費用を使って手厚い待遇を与えていました。
上級の身分の者には高級料理を出し、下級の身分の者には米、味噌、卵、魚、野菜などを支給しました。それは、充分な量だったと思います。

しかし、肉の供給量は少なかったと思われます。日本人にとって肉食は一般的ではなかったのに加えて、朝鮮通信使の宿舎が寺であることが多かったからです。
朝鮮の寺では肉食するのでしょうか?日本の寺では肉食は禁じられていました。僧侶は、朝鮮通信使が寺で肉食するのを嫌がっていました。当然、肉の供給量は少なかったはずです。朝鮮通信使は肉に飢えていたことでしょう。

それでは、なぜ、朝鮮通信使は金を払わずに、鶏を盗んだのでしょうか。それは、朝鮮では貴族が平民から物を奪うことが一般的だったからです。

韓国の人たちも、両班の横暴については知識があると思います。

韓国国内限定で朝鮮のルソーと呼ばれている丁若鏞は、地方官の心得を書いた「牧民心書」の中で「王命を受けて地方官になった以上、人々が夷狄禽獣の域に 陥っているのを、座して救おうとしないとすれば、それは自己に与えられた勤めを果たさないことになる」と書きました。

一読すると立派なことを書いているように思えますが、統治すべき人々を夷狄禽獣と書き記しているところに着目すれば、この文は両班が自国の民衆を禽獣視していたことを如実に示しているのです。(『朝鮮からみた華夷思想』 山内弘一 山川出版社)

両班は、朝鮮の民衆を人間とは思っていなかったのです。さらに、両班は、日本人を野蛮人とする小中華思想を持ち、朝鮮でしていたことをそのまま日本でも行ったのです。

そのような生来の習性に加え、csk3451さんが指摘した「幕府の手厚い待遇」が朝鮮通信使を一層、傲慢にし、尊大な態度をとらせる原因になっていました。

日本側の外交姿勢にも問題があったのです。

江戸時代、大名たちは、家の格を守るために幕府に忠誠を尽くす必要がありました。戦争があれば武功で忠義を示すことができます。しかし、江戸時代は戦争が ない時代です。大名は、幕府に命じられた仕事を熱心にやり遂げることによってしか忠義を示すことができなくなっていました。

幕府は、朝鮮通信使の接待を大名たちに命じました。大名たちは、幕府のために熱心に朝鮮通信使を接待しました。
また、大名同士の見栄の張り合いから、幕府の想定を遥かに超えた、過剰な接待をしてしまいました。
つまり、朝鮮通信使への「手厚い待遇」は、朝鮮通信使への敬意や大事に思う気持ちからではなく、大名の幕府への忠誠心と大名同士の牽制から行われたのです。

このような大名と幕府の事情は、朝鮮通信使たちは知りません。彼らは、自分たちが偉いから日本人が手厚く接待してくれると誤解したのです。
江戸への旅で、過剰な接待を受け続けた朝鮮通信使の一行は、甘やかされた子供のように、しつけをしていない犬のように、どんどん傲慢になり、有頂天になって傍若無人な態度をとるようになっていきました。それは、もはや不良中学生の修学旅行の一行でした。


そんな朝鮮通信使でしたが、「馬鹿と鋏は使いよう」と言うように、利用価値が無いわけではありませんでした。

幕府は、朝鮮通信使を「朝貢使」として、大名や民衆に見せることで、幕府の権威付けに利用したのです。
現代では、外交交渉の結果は共同声明という形で公にされますし、交渉の過程もマスコミによって、ある程度、明らかにされます。
しかし、400年前の世界では、外交交渉の結果などは支配者層の一部しか知りえません。
朝鮮との外交の詳細は、幕府と対馬藩の上級職の者しか知りませんでしたから、大名も含めて、日本人のほぼ全員が、朝鮮通信使を朝貢使として認識していました。

リチャード・コックス(Richard Cocks  1623年の閉館まで平戸のイギリス商館長)の日記には、「ある人々(それは庶民であるが)は、彼ら(朝鮮通信使)が来たのは臣従の礼を表し、貢物を献 上するためで、もしそうしないと皇帝(将軍)は再び彼らに対して戦争を仕掛けたであろうと噂している」1617年8月31日 とあります。

朝鮮通信使を朝貢使とする見方は、既に1617年の第2次朝鮮通信使の来日頃にはあり、それは、神功皇后の三韓征伐や秀吉の朝鮮出兵と結びつきながら、一般向けの書物を通して、庶民の間に急速に広まっていったのです。

韓国の歴史学者の中には、「18世紀中葉から国学が発達していき、日本書記的な歴史観が再び頭をもたげながら、通信使を朝貢使節視する傾向が一部において 台頭した」などと主張する人がいますが、上記のリチャード・コックス(Richard Cocks)の日記で明らかなように、完全に間違った主張です。 17世紀初頭には、既に大多数の日本人は、朝鮮通信使を朝貢使と見なしていたのです。 (日韓歴史共同研究委員会 第2分科(中近世) 第2部 韓国側報告 第1篇 研究史整理論文 『通信使研究の現況と課題』 張舜順 )


朝鮮通信使が金を払わずに鶏を盗んだ事情と、日本人が朝鮮通信使を朝貢使として認識していたことについて書きました。


さて、朝鮮通信使が盗んだのは鶏だけではありません。そして、それが殺害事件の遠因になってしまうのです。

後編に続く。












歴史投稿その4 「朝鮮通信使殺害事件 後編」





前編では、小中華思想と日本側の過剰な接待により、朝鮮通信使の一行が、甘やかされた子供のように、あるいは、しつけをしていない犬のように、非常に傲慢になり、ついには、日本人から物を盗むことも平気になっていたことを書きました。
これは最重要ポイントなので良く覚えておいてください。


『江戸時代を「探検」する』 山本博文 新潮社 には、次の記述があります。

「通信使の随員の中には、そのような扱いに慣れ、段々と尊大な行動をする者も現れた。出船の時に、前夜出された夜具を盗んで船に積み込んだり、食事に難癖 をつけて、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾 を吐きかけたりするようなこともあったという」

現在、多くの日本人、韓国人は、何人かの朝鮮通信使と日本の儒学者との間に親交があったと思っています。それは、確かに一つの歴史的事実です。しかし、同 時に、朝鮮通信使の傲慢で尊大な態度と無礼で無法な行為の数々を苦々しく思い、憤りを感じていた日本人が多かったことも、また歴史的事実なのです。

朝鮮通信使は、まるで頭の悪い不良中学生と同じですから、日本の庶民が、朝鮮通信使は猫が大好物であると、彼らを笑い者にするような噂をしても、当然で しょう。布団のように嵩張るものさえ盗むのですから、持ち運びやすいものなどは、すかさず盗んだことでしょう。まさしく朝鮮通信使は国家使節の皮を被った 窃盗団だったのです。



さぁ、みなさん、今日の「その時」がやってまいります。

その時、1764年4月6日。

この日の昼、江戸からの帰途、大阪は長浜の荷揚げ場で、朝鮮の下級官人が鏡を紛失しました。
通信使の都訓導(中級官人)、崔天宗という者が、これを咎め、「日本人は、盗みの仕方が上手だ」というような悪口を言いました。

これに対応した鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)という対馬藩の通詞(通訳)は、紛失しただけで何の証拠も無く日本人が盗ったと言われたのは「日本の恥辱」になると感じ、また、日頃から通 訳として朝鮮通信使のそばにいて、彼らの姑息な窃盗にうんざりしていたので、「日本人のことをそのように言うが、韓半島人も、食事の際に出た飾りの品々 (食器など)を持って帰っているではないか。これをどう思うのか」と言い返しました。


そうです。朝鮮通信使は、食器も盗んでいたのです。

当然、接待役の武士は、このような朝鮮通信使の盗癖を知っていたでしょう。武士たちは、国を代表する使節が宴会で出された料理の皿を盗むのを見て、驚き呆 れてしまったことでしょう。こんな幼稚な人々に下手に関わるよりも、さっさと他領へ送り出せばそれでよいと考えたとしても無理ありません。あるいは、朝鮮 は清の属国であることから、韓半島人を低く見て、可哀想だからと大目に見たのかもしれません。しかし、このような態度は結果として、朝鮮通信使を益々増長 させることになったのです。物を盗むことは犯罪であると教えてあげたほうが、朝鮮通信使のためにも良かったと思います。


鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)に痛いところを突かれた崔天宗は、身に覚えがあったからでしょう頭に血が上り、人々が見ている前で、鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)を杖で何度も打ちました。

鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、下級の武士とはいえ武士です。このままでは、武士として生きていくことができません。思いつめた鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、仕方なく崔を殺すことを決心します。

その夜、鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、崔天宗の喉を槍で突き刺し殺害しました。



対馬藩にとっては、朝鮮との貿易は大きな利益をもたらしました。
また、日本との貿易で大量の銀を得ていた朝鮮は、日本と貿易をしなければ、清との朝貢や私貿易で使う銀に不足し、ますます貧乏国になっていったでしょう。

一方、対馬藩を考慮外にすれば、日本は、朝鮮と外交関係を持っていることに何の利益もありませんでした。
日本と清とは国交が無くても、貿易関係があり、長崎の唐人屋敷や、その周辺に中国人が滞在していました。黄檗宗の僧侶を始め、絵師、学者などの文化人も来日していました。中国文化は、朝鮮経由でなくても、直接、恒常的に入ってきていたのです。

幕府権力が確立し、朝鮮通信使を朝貢使に仕立てることで対外的な力関係を他の大名に見せつける必要がなくなれば、朝鮮通信使は無価値になりますから、朝鮮との外交を止めても良かったのです。
それは、朝鮮通信使の来歴をみれば分かります。江戸時代265年間に、朝鮮通信使の派遣は12回でした。そのうち半数の6回が1655年までの江戸時代初期の50年間に行われ、最後の1811年は江戸には来ず対馬止まりの来日でした。



1607年、 1617年、 1624年、 1636年、1643年、 1655年、 1682年、 1711年、 1719年、 1748年、 1764年、 1811年


1636年、第4回の朝鮮通信使が来日した頃には幕府権力が安定し、朝貢使の役をさせる朝鮮通信使の価値は低下し始め、先例として惰性で続けられたものの、1764年をもって朝鮮通信使は完全に無価値になり、その使命を終えました。


日本は、貿易によって対馬藩と貧乏な朝鮮を救うために、朝鮮と外交をしていたに過ぎないのです。

要するに、朝鮮通信使は、外交的に全く意味の無い国からやって来た、妙な音楽を演奏する窃盗団でした。








歴史投稿その5 「朝鮮通信使にいたずら」



朝鮮通信使の行列を描いた屏風には、祭り気分で行列を見物する庶民の姿を見ることができます。

屏風は、先の渡辺善右衛門が描いたような記録絵とは異なり、画家の想像をもとに描かれることが多いのですが、画家や当時の人々の朝鮮通信使に対する知識や意識を反映していると言えます。




若衆遊びで酒を飲みながら見物する破戒僧




通信使を棒で叩こうとする若者




『朝鮮通信使駿州行列屏風』


これは、『朝鮮通信使駿州行列屏風』で、1682年の使節を描いたものです。

見物に群がる庶民の様子が描かれています。

お約束の、笑い、指差しの他に、若衆遊びで酒を飲みながら見物する破戒僧、通信使を棒で叩こうとする若者の姿が描かれています。

残念ながら、カラー画像がないのですが、尼崎市教育委員会が管理していて、時に市の美術館で展示されるようなので、機会があれば見てみたいです。









朝鮮通信使と在日


図書館で「朝鮮通信使」関係の図書を検索すると、大半が在日の朝鮮韓国人の著作です。

1970年代から、在日の朝鮮韓国人の間で朝鮮通信使の研究が始まり、1988年のソウルオリンピックを契機に日韓友好の機運が高まったからでしょうか、1990年前後に朝鮮通信使ブームが起きました。

『今日は通信使ブームであり、多くの人たちがそれぞれの立場から、興味深く書いている。なかには、ちょっと首を傾げたくなる刊行物もある。ブームになると、華やかさばかりが強調されるらしい。』 (『近世の日本と朝鮮』三宅英利1993)

当時、研究において先行していた在日の朝鮮、韓国人たちが必死になって、朝鮮通信使の本を出しまくっていました。

それら在日の朝鮮、韓国人たちとは、辛基秀、李進熙、姜在彦で、特に中心となっていたのは、辛基秀です。辛基秀は学者ではなく、映像作家です。
(参考、日韓歴史共同研究委員会 第2分科(中近世) 第2部 韓国側報告 第1篇 研究史整理論文 『通信使研究の現況と課題』 張舜順 の脚注15)

どの本を読んでも一貫している彼らの主張は、次のとおりです。

1.朝鮮通信使は江戸時代における日韓友好の証である。

2.朝鮮通信使は、朝鮮の先進文化を日本に教えてあげた。

3.日本人は、朝鮮から来た人々を尊敬の念を持って熱狂的に歓迎した。

4.唐人行列や唐子踊りは、本来、朝鮮通信使に由来するもので、朝鮮通信使への感謝を示している。

5.唐人行列や唐子踊りが神功皇后の三韓征伐に由来するとの伝承は、明治時代に帝国主義的妄想から捏造されたものである。


朝鮮通信使ブームが起きると、普通の歴史学者が通信使研究に参入してきます。史料に裏づけされた研究によって、在日の朝鮮韓国人の研究はあっけなく無価値 なものにされてしまいました。在日の朝鮮韓国人の研究者は、古文の理解が不十分な上に、「民族的自尊心」をもって曲解するので、文章に意味不明、矛盾が多 く、読んでいて頭が痛くなることがしばしばです。

在日の朝鮮、韓国人の朝鮮通信使関連本は、歴史捏造本(トンデモ本)として、図書館の片隅で朽ち果てていく運命です。

めでたし、めでたし…

否、残念ながら、それで終わらないのが在日の朝鮮韓国人の執念です。

彼らは、著作活動のかたわら、祭り改変活動を行っていたのです。

上記の彼らの主張

4.唐人行列や唐子踊りは、本来、朝鮮通信使に由来するもので、朝鮮通信使への感謝を示している。

5.唐人行列や唐子踊りが神功皇后の三韓征伐に由来するとの伝承は、明治時代に帝国主義的妄想から捏造されたものである。

この主張より、日本各地に残る唐人行列、唐人踊りから、三韓征伐的要素を消去する作業を行っていたのです。


江戸時代には、多くの日本人は、神功皇后の三韓征伐を事実だと思っていました。

朝鮮通信使や琉球使節の行列を眼にした人々は、単にそれを真似るのではなく、そこに、自分たちが楽しくなる要素を加えて祭りの催し物にしたのです。従っ て、唐人行列、唐人踊りは、発生時には既に三韓征伐や秀吉の朝鮮出兵と結び付けられていたのです。 (『日韓中の交流』山川出版社)

ところが、在日の活動家たちは、「唐人行列や唐子踊りが神功皇后の三韓征伐に由来するとの伝承は、明治時代に帝国主義的妄想から捏造されたものである。日 韓友好のために正しい姿に戻さなくてはならない」という嘘の主張を声高に述べることで、唐人行列や唐人踊りが残る地方の自治体に圧力をかけて、祭りの意味 づけを変えていったのです。




李元植


『それでは、(隣国と善隣友好だった歴史が)いつごろからゆがんでいくかといいますと、だいたい幕末から明治始め にかけてのようです。』

『二十年近く前『李朝の通信使』を書いたときは、これだけ善隣友好の素晴らしい事実を、正反対に蔑視の手段として使うのがやりきれなくて、 まったくの素人が『李朝の通信使』を書きました。』

(『朝鮮通信使と日本人』学生社1992 21ページ)




辛基秀


『岡山県の牛窓では、昨年引退された前町長の新地勇さんがよく慨嘆しておられました。
牛窓では、若い人が出ていって、人口八千七百人となり高齢者が目立ちます。「古老たちは、どうして唐子踊りを神宮皇后の三韓征伐に結び付けて考えるのか。 これを払拭するためにはどうしたらいいんでしょうか。相談に載って欲しい」というお話がありましたが、ご本人も7、8年前まではまったくその虜になってお られました。最近は朝鮮通信使、日韓交流に最も熱心になっておられます。歴史の見方が変わったのです。』

『かつて国際都市・外交都市であった牛窓は、山陽鉄道が通りだして、海の交通手段がさびれてしまうと、神功皇后の「三韓征伐」という神話に江戸時代の朝鮮通信使の置き土産が結び付けられ、歪曲されました。』

『神功皇后の亡霊をいかにして退治するかということで、新地さんに申し上げたのは、「ここだけ見ていたら、孤立してわからなくなるけれども、岡山からさら に足を延ばして三重県の津、鈴鹿、大垣の竹島町に残っている唐子踊り、唐人行列をずっとつないでいけば、 明治以降歪曲され、不都合な部分をぜんぶ隠し、秘密のベールに包んできた歴史の輪郭が見え始めるでしょう。通信使資料館をつくったり、シンポジウムを開い て、一同に会する機会をもってはどうでしょう」ということです。』

(『朝鮮通信使と日本人』学生社1992 146ページから147ページ)





牛窓の唐子踊りの2人の唐子は、神功皇后の三韓征伐の際、連れて来た新羅の王子だという伝承がありました。

江戸時代に、既に、そういう伝承のもとに唐子踊りは行われていたのです。

ところが、辛基秀氏が、歴史に疎い愚かな老人、新地勇氏に、「唐子踊りが神功皇后の三韓征伐に由来するとの伝承は、明治時代に帝国主義的妄想から捏造され たもので、日韓友好のためには正しい姿に戻さなくてはならない」と言って騙し、ついに、公式の解説から、三韓征伐の伝承を削除させたのです。

確かに、牛窓の唐子踊りの起源は歴史学的に見て「神功皇后の三韓征伐」にあるのではないでしょう。しかし、だからといって伝承を切り捨てていいのでしょうか。
牛窓の唐子踊りは「神功皇后の三韓征伐」という伝承と一体になってこそ、牛窓の伝統文化だと思います。伝承を捨ててしまった唐子踊りは、江戸時代から続いてきた唐子踊りではありません。

今では、唐子踊りを踊るの2人の子供たちは、自分たちが何の役で何のために踊るのか知らされないまま、「朝鮮通信使から教えてもらった踊り」という嘘の説明を受け、唐子踊りを踊らされているのです。



唐子踊りの「意味」が消滅したのです。


ボシタ祭りの「名前」が消え、

唐子踊りの「意味」が消え、

そして、四天王寺ワッソが生まれる。

これらは、一連の「活動」の成果なのです。



問

filippa_jさん 11-12 23:53

面白い投稿だとは思いますが 2枚目の画像についての説明は 絵から読み取れる内容と大きく違うと思いますよ。 若者が棒で脅している相手は 通信使の右の 小者に見えます。
どうせなら別の 画像で説明を行った方が 良かったのでは ないですか?


答

その部分は、『歴史を読みなおす 行列と見世物』 朝日新聞社 からの引用です。
小者を脅すようにも見えますが、とばっちりを避けようとしている風にも見えます。
小者を脅す意味がどこにあるのかという点を考えると答えは明らかだと思います。








以下、韓国の人たちから、朝鮮通信使殺害事件の史料などを示して欲しいとのことでしたので、参考資料も含めて整理しておきます。

朝鮮通信使殺害事件の参考資料一覧

朝鮮通信使殺害事件 前編
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=9&nid=72538

1 朝鮮通信使が鶏を盗んだ事件。

1748年、朝鮮通信使の接待役、淀藩の家老、渡辺善右衛門が書いた『朝鮮の人来聘記』 付図『朝鮮聘礼使淀城着来図』(『日韓中の交流』 山川出版社)

2 朝鮮通信使に対する過剰な接待。

『江戸時代を「探検」する』 山本博文 新潮社

3 幕府が朝鮮通信使を「朝貢使」として大名や民衆に見せていたこと。

朝鮮通信使、従事官、李景稷が書いた『扶桑録』に、幕府が朝鮮通信使に「四拝礼」を強制したことが記述されている。

「四拝礼」とは、服従を誓う朝貢の様式である。

朝鮮通信使、正使、趙?が書いた『海槎日記』、金仁謙の『日東壮遊歌』にも、幕府が朝鮮通信使に四拝礼を強制した記述がある。

(『近世の日本と朝鮮』三宅英利 講談社、『日東壮遊歌』金仁謙 平凡社)
日韓歴史共同研究委員会 第2分科(中近世) 第2部 韓国側報告 第1篇 研究史整理論文 『通信使研究の現況と課題』 張舜順 の本文および、脚注46

「近世の日朝関係」荒野泰典『日朝関係史を考える』青木書店1989

4 日本の民衆が朝鮮通信使を朝貢使として見ていたこと。

リチャード・コックス(Richard Cocks)の日記 (「近世の日朝関係」荒野泰典『日朝関係史を考える』青木書店1989)

江戸時代に発行された多数の朝鮮通信使見物用ガイドブックにおける記述

黄表紙



朝鮮通信使殺害事件 後編
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=9&nid=72539

1 朝鮮通信使が夜具を盗んでいたこと。不良行為。

『江戸時代を「探検」する』 山本博文 新潮社

朝鮮王、英祖が戒論の中で、朝鮮通信使使節団に対し、「潜売、飲酒、強慢、不敬」を指摘する。(『近世の日本と朝鮮』 三宅英利 講談社)

2 朝鮮通信使は猫が大好物という噂

『日韓中の交流』 山川出版社

3 朝鮮通信使殺害の経緯

『鈴木伝蔵取調書』(宗家記録 慶応義塾図書館蔵)(『近世の日本と朝鮮』 三宅英利 講談社、『江戸時代を「探検」する』 山本博文 新潮社)

http://www.geocities.jp/kusazoshi/jpnchosen01.htm#jpn01top


翻訳を見る

조선 통신사가 숨겨진 진실의 모습을 폭로하는 (웃음)

역사 투고 조선 통신사 조선 통신사가 숨겨진 진실의 모습을 폭로하는 (웃음)



역사 투고 그 1 「조선 통신사와 닭」




2006년 10월에, ENJOY KOREA라고 하는, 한국인에 올바른 역사를 가르쳐 주는 사이트에, 이 그림을 투고했는데, 여러가지 곳에서 인용되어 반향의 크기에 놀랐습니다.

이것은『일한중의 교류』야마카와 출판사로부터의 인용입니다.

『선 착장으로부터 상륙해 마을안을 배회하고 있던 조선 통신사 일행이, 읍인이 기르고 있는 닭을 훔쳐 도망치려고 해, 일본인과 싸움이 되어 있다.』라고 하는 설명문이 붙어 있습니다.

『일한중의 교류』야마카와 출판사 1800엔.
도서관에서 빌려 읽었습니다만, 일단, 조리에 맞게 해 1권 구입했습니다.소.


이 그림에 대해 조금 조사해 보았습니다.

1748년(연향 5)에 일본 방문한 조선 통신사가 요도번령에 들어갔을 때, 접대역을 맡은 것은 가로의 와타나베 젠우에몬이라고 하는 사람입니다.젠우에몬은「와 빙기」를 못 쓰고 남겼습니다.거기에는 부도(와 아침 행렬도)가 있어, 이 그림의 일부분이 이 그림이라고 생각됩니다.

접대역의 젠우에몬에 있어서, 이 싸움 소란은 대사건일 것이기 때문에, 「와 빙기」에, 이 사건에 대한 자세한 설명이 쓰여져 있다고 생각합니다.
번각이 되면, 부디 읽어 보고 싶습니다.

요즘, 요도번성벽아래에서는, 『고양이는 조선 통신사의 좋아하는 음식으로, 온 마을의 고양이를 그들이 잡아 요리해 먹고 있으므로, 마을로부터 고양이가 없어진』라고 하는 소문도 끊고 있었습니다.


그런데, 이 그림의 전체는 종횡 1.4 M도 있는 큰 것으로, 복제가 교육기관에 배포되고 있는 것 같습니다.유감스럽지만 넷상에서 찾아낼 수 없었습니다.

그러나, 재미있는 정보를 찾아냈습니다.
그것은, 요미우리 신문 2004년 5월 4일의「조선 통신사 그림 작자 자손으로 돌아오는」라고 하는 기사입니다.



http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics297.html

기사안의「조선빙례사 요도성착 와 그림」는, 「와 빙기」의 부도(와 아침 행렬도) 그 자체라고 생각합니다.기사의 마지막 곳에, 다음의 문장이 있다로부터입니다.

『후지이 교수는「일본의 아이와 놀거나 닭을 함께 뒤쫓는 한반도인의 모습이 살아와 묘사되어 일본의 민중과 교류하고 있던 님 아이가 아는」라고 이야기하고 있다.』

이 문장만 읽으면, 일본의 아이와 조선 통신사의 따끈따끈으로 한 만남을 상상합니다만, 실제로 그림을 보면 전혀 다릅니다.



우단에는 봉을 치켜 들어 한반도인을 향하고 있어 구일본인이 그려져 있고, 놀고 있는 님 아이라고는 도저히 생각되지 않습니다.

후지이 교수가 천연인가, 그렇지 않으면, 총연합, 민단이 조선 통신사를 일한 우호의 상징이며, 한편『스스로의 자랑』로 자리매김하고 있기 위해서, 서투른 말을 하면 사람 권 문제 (웃음)이 되어 버리는 것을 무서워하고 있는지, 어쨌든, 이와 같이 해 조선 통신사의 실태가 은폐 되고 있습니다.소.








역사 투고 그 2 「일본인은 조선 통신사를 어떻게 보았는지 」


사이타마 신문   www.saitama-np.co.jp/news10/26/09l.html


「당신도 체금의 의상으로 카와고에시내를 가다듬어 걷지 않습니까 」
에도시대에 행해지고 있던 조선 통신사의 행렬을 흉내내 읍민등이 카와고에 축제로 가고 있던「중국인 갖춤」를 부활시킨 가장 행렬「부활!중국인 갖춤―조선 통신사―다문화 공생・국제 교류 퍼레이드」가 11월 12일, 카와고에시내에서 행해진다.
일본과 조선의 평화의 상징이었던 증거의 중국인 갖춤을 부활시키려고, 시민 단체「사이타마・코리아 21」 등을 중심으로 각종 단체에서 조직 한 실행 위원회(에토선 아키라 위원장)가 작년 처음으로 개최했다.금년 2회째.



「중국인 갖춤」라고 하는 중국인 행렬이, 카와고에에서 행해지는 것 같습니다.

기사에는, 다음과 같이 쓰여져 있습니다.

『중국인 갖춤이 카와고에 축제로 행해진 것은, 에도시대의 카와고에의 호상・에노모토 야자에몬이 큐슈로부터 토카이, 에도 지역에서 행해지고 있던 조선으로부터의 문화 사절단의 행렬을 본 것이 계기.
그 후, 카와고에 축제로 중국인 갖춤의 가장 행렬이 받아들여져 카와고에 히카와 신사 제례 그림 두루마기에도 기록이 남아 있다. 』

카와고에 히카와 신사 제례 그림 두루마기에 그려져 있는 중국인 갖춤의 가장 행렬을 잘 보면, 중국인 의 의상을 입고, 물고기의 모조품을 머리에 감싸고 있는 아이의 행렬인 것을 알 수 있습니다.
행렬에는, 「우라시마 타로우」와「용녀」를 연기하는 아이가 있고, 전체적으로 보면, 우라시마 타로우와 용녀의 혼례 행렬입니다.

「중국인 갖춤」는, 조선 통신사를 흉내낸 것이 아니고, 용궁성의 근처로부터 온다고 생각되고 있던 류큐 사절을 흉내낸 것입니다.

즉, 카와고에 히카와 신사 제례 그림 두루마기에 그려진, 에도시대, 읍민등이 카와고에 축제로 가고 있던「중국인 갖춤」의 중국인 과는 류큐의 사람들의 일로, 우라시마 타로우와 용녀의 돋보이게 하는 역으로서 등장하고 있습니다.

조선 통신사와는 전혀 관계가 없습니다.

카와고에 히카와 신사 제례 그림 두루마기가 다수 있으므로 않으면, 시민 단체「사이타마・코리아 21」는, 분명하게 거짓말을 하고 있게 됩니다.소.


에도시대, 축제의 가장 행렬로 연기할 수 있었던 조선 통신사 행렬에는, 「약속」의 중국인 이 다해 것이었습니다.

그 중국인 은, 「조달해 중국인 」로 불리고 있었습니다.일본인이 창조한 가공의 조선 통신사입니다.

조선 통신사 가운데, 신분의 비싼 사람들에게는, 막부로부터 맛있는 음식의 대접이 있었습니다만, 하급 신분의 사람들은, 미・된장・알등이 지급되고, 숙박지의 주방에서 자취하고 있었습니다.
그들은, 지급되었지만 쳐, 필요 없는 것을 팔아 좋아하는 것을 사거나 윗사람의 명령에 의해 은밀하게 반입한 조선국의 인삼을 일본의 상인에 팔고 돈을 얻거나 했습니다.이러한 행위로부터 일본의 서민의 사이에 가공의 조선 통신사「조달해 중국인 」의 이미지가 태어났습니다.

「조달해 중국인 」는, 조선국의 인삼을 팔기 위해서 사용하는 천칭(뿐)만과 매매를 기재하는 장부를 가져, 말안장에는, 구매한 토끼나 닭이 들어간 롱을 붙이고 있습니다.

일본 각지의 제례로 행해진 가장 행렬로, 조선 통신사 가장 행렬의「조달해 중국인 」는, 익살꾼역으로서 구경꾼을 즐겁게 하고 있었습니다.



화상을 봐 주세요.
말안장에게 토끼가 괄붙여져 있습니다.
그리고, 왼손에 닭을 가져, 오른손으로 당겨 뜯은 날개를 구에 넣으려 하고 있습니다.
이 토끼나 닭은 진짜가 아니고, 과자로 만든 모조품입니다.

조달해 중국인 은, 일본의 서민이 가지고 있던 한반도인에 대한 이미지를 표현하고 있습니다.
은밀하게 조선국의 인삼을 팔아, 배가 고프면 날고기를 탐욕스럽게 먹어 어지른다.
이러한 육식의 야만스럽고 우스운「조달해 중국인 」는, 에도시대의 일본인이 안고 있던「한반도인의 이미지」의 하나입니다.

실제로, 진짜 조선 통신사가 통과한 마을에서, 『고양이는 조선 통신사의 좋아하는 음식으로, 온 마을의 고양이를 그들이 잡아 요리해 먹고 있으므로, 마을로부터 고양이가 없어진』라고 하는 소문이 끊은 적도 있습니다.

이상한 시민 단체가, 일본 각지에서 조선 통신사를 본뜬 중국인 행렬을 부활시켜도, 조달해 중국인 은 결코 부활하지 않을 것입니다.

지금, 조선 통신사는 일한 우호의 상징인 것과 동시에, 한국인, 재일 한반도인의「자존심」와「우월감」그것입니다.소.








역사 투고 그 3 「조선 통신사 살해 사건 전편 」





조선 통신사 살해 사건에 대해서 씁니다.

그 전에, 「조선 통신사와 닭」에 대해서, 좀 더 써 더해 두려고 합니다.
실은, 이 닭강탈 사건과 살해 사건과는 관련이 있다로부터입니다.

내가 지난 주의 주말에 쓴 스렛드에, 한국인의 csk3451씨가 좋은 레스를 붙여 주었습니다.



http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72306&st=writer_id&sw=ushirock


csk3451 10-30 02:30----일본 막부의 극진한 대우를 받은 조선 통신사무엇이 부족하고 도둑 행위를 하는 거야? 조선왕의 국서를 전달하는 임무를 수행한 조선 통신사가 돈이 부족 헷우르리도 없어서? 그런 임무를 수행한 조선 통신사가 도둑질을 헷다는곤 상식적으로 이해가 안간다..



이것은 중요한 지적입니다.
csk3451씨의 레스대로, 일본측은 조선 통신사에게 막대한 비용을 사용해 극진한 대우를 주고 있었습니다.
상급의 신분의 사람에게는 고급 요리를 내, 하급의 신분의 사람에게는 미, 된장, 란, 어, 야채등을 지급했습니다.그것은, 충분한 양이었다고 생각합니다.

그러나, 고기의 공급량은 적었다고 생각됩니다.일본인에 있어서 육식은 일반적이지 않았는데 더하고, 조선 통신사의 숙소가 절인 것이 많았기 때문입니다.
조선의 절에서는 육식 하는 것입니까?일본의 절에서는 육식은 금지되고 있었습니다.승려는, 조선 통신사가 절에서 육식 하는 것을 싫어하고 있었습니다.당연, 고기의 공급량은 적었을 것입니다.조선 통신사는 고기에 굶주리고 있던 것이지요.

그러면, 왜, 조선 통신사는 돈을 지불하지 않고 , 닭을 훔쳤는지요.그것은, 조선에서는 귀족이 평민으로부터 물건을 빼앗는 것이 일반적이었기 때문에입니다.

한국의 사람들도, 양반의 횡포에 대해서는 지식이 있다라고 생각합니다.

한국 국내 한정으로 조선의 루소로 불리고 있는 정약鏞는, 지방관의 마음가짐을 쓴「목민심서」 중(안)에서「왕명을 받아 지방관이 된 이상, 사람들이 미개인 금수의 역에 빠져 있는 것을, 자리 해 구하려고 하지 않는다고 하면, 그것은 자기에게 줄 수 있었던 근무를 완수하지 않게 되는」라고 썼습니다.

일독하면 훌륭한 일을 쓰고 있는 것처럼 생각됩니다만, 통치해야 할 사람들을 미개인 금수라고 적는데 주목하면, 이 문장은 양반이 자국의 민중을 금수시 하고 있던 것을 여실에 나타내고 있습니다.(『조선에서 본 화이사상 』 야마우치 코이치 야마카와 출판사)

양반은, 조선의 민중을 인간이라고는 생각하지 않았습니다.게다가 양반은, 일본인을 야만인으로 하는 코나카화사상을 가져, 조선으로 하고 있던 것을 그대로 일본이라도 갔습니다.

그러한 본디부터의 습성에 가세해 csk3451씨가 지적한「막부가 극진한 대우」가 조선 통신사를 한층, 오만하게 해, 거만한 태도를 취하게 하는 원인이 되어 있었습니다.

일본측의 외교 자세에도 문제가 있었습니다.

에도시대, 오나들은, 집의 격을 지키기 위해서 막부에 충성을 다할 필요가 있었습니다.전쟁이 있으면 무공으로 충의를 나타낼 수 있습니다.그러나, 에도시대는 전쟁이 없는 시대입니다.오나는, 막부에 명할 수 있던 일을 열심히 완수하는 것에 의해서 밖에 충의를 나타낼 수 없게 되고 있었습니다.

막부는, 조선 통신사의 접대를 오나들에게 명했습니다.오나들은, 막부를 위해서 열심히 조선 통신사를 접대했습니다.
또, 오나끼리의 허세의 경쟁으로부터, 막부의 상정을 훨씬 더 넘은, 과잉인 접대를 해 버렸습니다.
즉, 조선 통신사에게의「극진한 대우」는, 조선 통신사에게의 경의나 소중하게 생각하는 기분으로부터가 아니고, 오나의 막부에의 충성심과 오나끼리의 견제로부터 행해졌습니다.

이러한 오나와 막부의 사정은, 조선 통신사들은 모릅니다.그들은, 스스로가 훌륭하기 때문에 일본인이 극진하게 접대해 주면 오해했습니다.
에도에의 여행으로, 과잉인 접대를 계속 받은 조선 통신사의 일행은, 응석부린 아이와 같이, 교육을 하고 있지 않는 개와 같이, 자꾸자꾸 오만하게 되어, 매우 기뻐하게 되고 방약 무인인 태도를 취하도록(듯이) 되어 갔습니다.그것은, 이미 불량 중학생의 수학 여행의 일행이었습니다.


그런 조선 통신사였지만, 「바보와 가위는 사용나름」라고 말하도록(듯이), 이용가치가 없는 것은 아니었습니다.

막부는, 조선 통신사를「조공사」로서 오나나 민중에게 보이게 하는 것으로, 막부의 권위 부여에 이용했습니다.
현대로는, 외교교섭의 결과는 공동 성명이라고 하는 형태로 공으로 되고, 교섭의 과정도 매스컴에 의해서, 있다 정도, 밝혀집니다.
그러나, 400년전의 세계에서는, 외교교섭의 결과 등은 지배자층의 일부 밖에 알 수 없습니다.
조선과의 외교의 자세한 것은, 막부와 쓰시마번의 상급직의 사람 밖에 몰랐기 때문에, 오나도 포함하고, 일본인의 거의 전원이, 조선 통신사를 조공사로서 인식하고 있었습니다.

리처드・콕스(Richard Cocks  1623년의 폐관까지 히라도의 영국 상관장)의 일기에는, 「있다 사람들(그것은 서민이지만)은, 그들(조선 통신사)이 온 것은 신종의 예를 나타내, 공물을 헌 위 하기 위한(해)로, 만약 그렇게 하지 않으면 황제(장군)는 다시 그들에 대해서 전쟁을 장치했을 것이다라고 소문하고 있는」1617년 8월 31일과 있어요.

조선 통신사를 조공사로 하는 견해는, 이미 1617년의 제2차 조선 통신사의 일본 방문무렵에는 있어, 그것은, 진구 고고의 삼한 정벌이나 히데요시의 한국 출병과 결합되면서, 일반용의 서적을 통하고, 서민의 사이에 급속히 퍼지고 갔습니다.

한국의 역사학자중에는, 「18 세기 중엽부터 국학이 발달해 나가, 일본 서기적인 역사관이 다시 두각을 나타내면서, 통신사를 조공 사절시 하는 경향이 일부에 있어 대두한」 등이라고 주장하는 사람이 있습니다만, 상기의 리처드・콕스(Richard Cocks)의 일기로 분명한 것 같게, 완전하게 잘못된 주장입니다. 17 세기 초두에는, 이미 대다수의 일본인은, 조선 통신사를 조공사라고 보고 있었습니다. (일한 역사 공동 연구 위원회 제 2 분과(안근세) 제2부 한국측 보고 제 1편 연구사 정리 논문 『통신사연구의 현황과 과제 』 장순순 )


조선 통신사가 돈을 지불하지 않고 닭을 훔친 사정과 일본인이 조선 통신사를 조공사로서 인식하고 있었던 것에 대하고 썼습니다.


그런데, 조선 통신사가 훔친 것은 닭만이 아닙니다.그리고, 그것이 살해 사건의 원인이 되어 버립니다.

후편에 계속 된다.












역사 투고 그 4 「조선 통신사 살해 사건 후편 」





전편에서는, 코나카화사상과 일본측의 과잉인 접대에 의해, 조선 통신사의 일행이, 응석부린 아이와 같이, 있다 있어는, 교육을 하고 있지 않는 개와 같이, 매우 오만하게 되어, 마침내, 일본인으로부터 물건을 훔치는 것도 아무렇지도 않게 되어 있던 것을 썼습니다.
이것은 최대중요 포인트이므로 잘 기억해 둬 주세요.


『에도시대를「탐험」하는 』 야마모토 히로후미 신쵸오샤에는, 다음의 기술이 있어요.

「통신사의 수행원안에는, 그러한 취급에 익숙해 점점거만한 행동을 하는 사람도 나타났다.출범때에, 전야 나온 침구를 훔치고 배에 싣거나 식사에 트집 (을)를 붙이고, 물고기라면 큰 것을, 야채라면 철에 맞지 않음의 것을 요구하거나라고 하는 사소한 일로부터, 예정외의 행동을 희망해, 거절한 수행의 쓰시마번의 사람에게 침 (을)를 토해 가거나 하는것 같은 일도 있었다고 하는 」

현재, 많은 일본인, 한국인은, 몇명의 조선 통신사와 일본의 유학자와의 사이에 친교가 있었다고 생각합니다.그것은, 확실히 하나의 역사적 사실입니다.그러나, 동 시간에, 조선 통신사의 오만하고 거만한 태도와 무례하고 무법인 행위의 여러 가지를 불쾌하다고 생각해, 분노를 느끼고 있던 일본인이 많았던 일도, 또 역사적 사실입니다.

조선 통신사는, 마치 머리의 나쁜 불량 중학생과 같기 때문에, 일본의 서민이, 조선 통신사는 고양이가 좋아하는 음식이라고, 그들을 웃음거리로 하는 소문을 해도, 당연하고 짊어진다.이불과 같이 커지는 것 조차 훔치니까, 운반하기 쉬운 것 등은, 재빠르게 훔친 것이지요.바야흐로 조선 통신사는 국가 사절의 가죽을 감쌌다 절도단이었습니다.



, 여러분 , 오늘의「그 때」가 해 가겠습니다.

그 때, 1764년 4월 6일.

이 날의 낮, 에도로부터의 귀도, 오사카는 나가하마의 짐싣기장에서, 조선의 하급 관리가 거울을 분실했습니다.
통신사의 수도 훈도(중급 관리), 최천종이라고 하는 사람이, 이것을 비난해「일본인은, 도둑질의 방법이 능숙하다」라고 하는 욕을 했습니다.

이것에 대응한 스즈키전장(Suzuki Denzou)라고 하는 쓰시마번의 통사(통역)는, 분실한 것만으로 어떤 증거도 없게 일본인이 훔쳤다고 들은 것은「일본의 치욕」가 된다고 느껴 또, 평소부터 통 (뜻)이유로서 조선 통신사의 곁에 있고, 그들의 고식적인 절도에 진절머리 나고 있었으므로, 「일본인을 그처럼 말하지만, 한반도인도, 식사 시에 나온 장식의 물건들 (식기등)(을)를 가지고 돌아가지 아니겠는가.이것을 어떻게 생각하는지」라고 말해 돌려주었습니다.


그렇습니다.조선 통신사는, 식기도 훔치고 있었습니다.

당연, 접대역의 무사는, 이러한 조선 통신사의 도벽을 알고 있었지요.무사들은, 나라를 대표하는 사절이 연회에서 나온 요리의 접시를 훔치는 것을 보고, 놀라움보 라고 끝낸 것이지요.이런 유치한 사람들에게 서투르게 관련되는 것보다도, 빨리 타령에 배웅하면 그것으로 좋다고 생각했다고 해도 무리 없습니다.있다 있어는, 조선 (은)는 청의 속국인 것부터, 한반도인을 낮게 보고, 불쌍하기 때문에와 너그럽게 봐주었을지도 모릅니다.그러나, 이러한 태도는 결과적으로, 조선 통신사를 더욱 더 증대 시키게 되었습니다.물건을 훔치는 것은 범죄이라고 가르쳐 주는 편이, 조선 통신사를 위해서도 좋았다고 생각합니다.


스즈키전장(Suzuki Denzou)에 아픈 곳을 찔린 최천종은, 기억이 있었기 때문에지요 머리에 피가 올라, 사람들이 보고 있기 전으로, 스즈키전장(Suzuki Denzou)을 지팡이로 몇번이나 쳤습니다.

스즈키전장(Suzuki Denzou)은, 하급의 무사라고 해도 무사입니다.이대로는, 무사로서 살아갈 수 없습니다.깊은 생각에 빠진 스즈키전장(Suzuki Denzou)은, 어쩔 수 없이 최를 죽이는 것을 결심합니다.

그 밤, 스즈키전장(Suzuki Denzou)은, 최천종의 목을 창으로 찔러 살해했습니다.



쓰시마번에 있어서는, 조선과의 무역은 큰 이익을 가져왔습니다.
또, 일본과의 무역으로 대량의 은을 얻고 있던 조선은, 일본과 무역을 하지 않으면, 청과의 조공이나 나무역으로 사용하는 은에 부족해, 더욱 더 가난국이 되어 갔지요.

한편, 쓰시마번을 고려외로 하면, 일본은, 조선과 외교 관계를 가지고 있는 것에 무슨 이익도 없었습니다.
일본과 청과는 국교가 없어도, 무역 관계가 있어, 나가사키의 중국인 저택이나, 그 주변에 중국인이 체재하고 있었습니다.오바쿠종의 승려를 시작해 화가, 학자등의 문화인도 일본 방문하고 있었습니다.중국 문화는, 조선 경유가 아니어도, 직접, 항상적으로 들어 오고 있었습니다.

막부 권력이 확립해, 조선 통신사를 조공사로 짓는 것으로 대외적인 힘관계를 다른 오나에 과시할 필요가 없어지면, 조선 통신사는 무가치가 되기 때문에, 조선과의 외교를 멈추어도 좋았습니다.
그것은, 조선 통신사의 와 력을 보면 압니다.에도시대 265년간에, 조선 통신사의 파견은 12회였습니다.그 중 반수의 6회가 1655년까지의 에도시대 초기의 50년간에 행해져 마지막 1811년은 에도에는 오지 않고 대마도 정지의 일본 방문이었습니다.



1607년, 1617년, 1624년, 1636년, 1643년, 1655년, 1682년, 1711년, 1719년, 1748년, 1764년, 1811년


1636년, 제4회의 조선 통신사가 일본 방문했을 무렵 막부 권력이 안정되어, 조공사의 역을 시키는 조선 통신사의 가치는 저하하기 시작해 선례로서 타성으로 계속되었지만, 1764년로서 조선 통신사는 완전하게 무가치가 되어, 그 사명을 끝냈습니다.


일본은, 무역에 의해서 쓰시마번과 가난한 조선을 구하기 위해서, 조선과 외교를 하고 있던 것에 지나지 않습니다.

요컨데, 조선 통신사는, 외교적으로 전혀 의미가 없는 나라로부터 온, 이상한 음악을 연주하는 절도단이었습니다.








역사 투고 그 5 「조선 통신사에게 장난 」



조선 통신사의 행렬을 그린 병풍에는, 축제 기분으로 행렬을 구경하는 서민의 모습을 볼 수 있습니다.

병풍은, 앞의 와타나베 젠우에몬이 그린 것 같은 기록그림과는 달라, 화가의 상상을 기초로 그려지는 것이 많습니다만, 화가나 당시의 사람들의 조선 통신사에 대한 지식이나 의식을 반영하고 있다고 말할 수 있습니다.




젊은이 놀이로 술을 마시면서 구경하는 파계승




통신사를 봉으로 두드리려고 하는 젊은이




『조선 통신사 슨슈 행렬 병풍 』


이것은, 『조선 통신사 슨슈 행렬 병풍』로, 1682년의 사절을 그린 것입니다.

볼만하게 모이는 서민의 님 아이가 그려져 있습니다.

약속의, 웃어, 손가락 마주 앉음 외에, 젊은이 놀이로 술을 마시면서 구경하는 파계승, 통신사를 봉으로 두드리려고 하는 젊은이의 모습이 그려져 있습니다.

유감스럽지만, 칼라 화상이 없습니다만, 아마가사키시 교육위원회가 관리하고 있고, 가끔 시의 미술관에서 전시되는 것으로, 기회가 있으면 보고 싶습니다.









조선 통신사와 재일


도서관에서「조선 통신사」관계의 도서를 검색하면, 대부분이 재일의 조선 한국인의 저작입니다.

1970년대부터, 재일의 조선 한국인의 사이에 조선 통신사의 연구가 시작되어, 1988년의 서울 올림픽을 계기로 일한 우호의 기운이 높아졌기 때문에입니까, 1990 년 전후에 조선 통신사 붐이 일어났습니다.

『오늘은 통신사붐이며, 많은 사람들이 각각의 입장으로부터, 흥미롭게 쓰고 있다.(안)중에는, 조금 고개를 갸웃하고 싶어지는 간행물도 있다.붐이 되면, 화려함만이 강조되는 것 같다.』 (『근세의 일본과 조선』미야케 히데토시 1993)

당시 , 연구에 대해 선행하고 있던 재일의 조선, 한국인들이 필사적으로, 조선 통신사의 책을 마구 내고 있었습니다.

그것들 재일의 조선, 한국인들과는, 신기수, 이진희, 강재언으로, 특히 중심이 되고 있던 것은, 신기수입니다.신기수는 학자가 아니고, 영상 작가입니다.
(참고, 일한 역사 공동 연구 위원회 제 2 분과(안근세) 제2부 한국측 보고 제 1편 연구사 정리 논문 『통신사연구의 현황과 과제 』 장순순의 각주 15)

어느 책을 읽어도 일관해서 있는 그들의 주장은, 다음과 같습니다.

1.조선 통신사는 에도시대에 있어서의 일한 우호의 증거이다.

2.조선 통신사는, 조선의 선진 문화를 일본에 가르쳐 주었다.

3.일본인은, 조선에서 온 사람들을 존경의 생각을 가져 열광적으로 환영했다.

4.중국인 행렬이나 당자 춤은, 본래, 조선 통신사에게 유래하는 것으로, 조선 통신사에게의 감사를 나타내고 있다.

5.중국인 행렬이나 당자 춤이 진구 고고의 삼한 정벌에 유래한다라는 전승은, 메이지 시대에 제국주의적 망상으로부터 날조 된 것이다.


조선 통신사 붐이 일어나면, 보통 역사학자가 통신사연구에 참가해 옵니다.사료에 뒷받침된 연구에 의해서, 재일의 조선 한국인의 연구는 어이없고 무가치 물건으로 되어 버렸습니다.재일의 조선 한국인의 연구자는, 고문의 이해가 불충분한 위에, 「민족적 자존심」를 가지고 곡해 하므로, 문장에 의미 불명, 모순이 다 구, 읽고 있어 머리가 아파지는 것이 자주 있습니다.

재일의 조선, 한국인의 조선 통신사 관련책은, 역사 날조책(톤 데모책)으로서 도서관의 한쪽 구석에서 헛되이 죽어 가는 운명입니다.

찬미했고, 찬미했고 …

반대, 유감스럽지만, 그래서 끝나지 않는 것이 재일의 조선 한국인의 집념입니다.

그들은, 저작 활동을 하면서, 축제 개변 활동을 실시하고 있었습니다.

상기의 그들의 주장

4.중국인 행렬이나 당자 춤은, 본래, 조선 통신사에게 유래하는 것으로, 조선 통신사에게의 감사를 나타내고 있다.

5.중국인 행렬이나 당자 춤이 진구 고고의 삼한 정벌에 유래한다라는 전승은, 메이지 시대에 제국주의적 망상으로부터 날조 된 것이다.

이 주장보다, 일본 각지에 남는 중국인 행렬, 중국인 춤으로부터, 삼한 정벌적 요소를 소거하는 작업을 실시하고 있었습니다.


에도시대에는, 많은 일본인은, 진구 고고의 삼한 정벌을 사실이라고 생각했습니다.

조선 통신사나 류큐 사절의 행렬을 눈으로 한 사람들은, 단지 그것을 흉내내는 것이 아니라, 거기에, 스스로가 즐거워지는 요소를 더해 축제의 모임으로 했습니다.종 (이)라고, 중국인 행렬, 중국인 춤은, 발생시에는 이미 삼한 정벌이나 히데요시의 한국 출병과 연결시킬 수 있고 있었습니다. (『일한중의 교류』야마카와 출판사)

그런데 , 재일의 활동가들은, 「중국인 행렬이나 당자 춤이 진구 고고의 삼한 정벌에 유래한다라는 전승은, 메이지 시대에 제국주의적 망상으로부터 날조 된 것이다.일 한우호를 위해서 올바른 모습에 되돌리지 않으면 안 되는」라고 하는 거짓말의 주장을 소리 높여 말하는 것으로, 중국인 행렬이나 중국인 춤이 남는 지방의 자치체에 압력을 가하고, 축제의 의미 지어를 바꾸고 갔습니다.




이원식


『그러면, (이웃나라와 선린우호였던 역사가) 언제쯤부터 뒤틀려 가는가 하면, 대체로 에도막부 말기부터 메이지 시작해에 걸친 같습니다.』

『20년 가깝게 전『이조의 통신사』를 썼을 때는, 이만큼 선린우호의 훌륭한 사실을, 정반대에 멸시의 수단으로서 사용하는 것이 참을 수 없어, 완전한 아마추어가『이조의 통신사』를 썼습니다.』

(『조선 통신사와 일본인』학생사 1992 21 페이지)




신기수


『오카야마현의 우시마도에서는, 작년 은퇴된 마에쵸장의 신치 이사무씨가 자주(잘) 개탄 있어졌습니다.
우시마도에서는, 젊은 사람이 나와 있어는, 인구8천칠백명이 되어 고령자가 눈에 띕니다.「노인들은, 어째서 당자 춤을 신궁 황후의 삼한 정벌에 연결시키고 생각하는 것인가. 이것을 불식하기 위해서는 어떻게 하면 좋을까요.상담에 실렸으면 좋은」라고 하는 이야기가 있었습니다만, 본인도 7, 8년전까지는 완전히 그 포로가 되어 했다.최근에는 조선 통신사, 일한 교류에 가장 열심히 되어 계십니다.역사의 견해가 바뀌었습니다.』

『일찌기 국제 도시・외교 도시에서 만난 우시마도는, 산요오 철도가 대로이고라고, 바다의 교통 수단이 쇠퇴해져 버리면, 진구 고고의「삼한 정벌」라고 하는 신화에 에도시대의 조선 통신사의 선물을 연결시킬 수 있어 왜곡되었습니다.』

『진구 고고의 망령을 어떻게 퇴치하는가 하는 것으로, 신치씨에게 말씀드린 것은, 「여기만 보고 있으면, 고립해서 모르게 되지만, 오카야마로부터 접시 에 발길을 뻗쳐 미에현의 진, 스즈카, 오카이의 타케시마쵸에 남아 있는 당자 춤추어, 중국인 행렬을 쭉 이어 가면, 메이지 이후 왜곡되어 무례한 부분을 전부 숨겨, 비밀의 베일에 싸 온 역사의 윤곽이 보이기 시작하겠지요.통신사자료관을 만들거나 심포지엄을 개 있어 (이)라고, 일동을 모일 기회로서 어떻습니까」라고 하는 것입니다.』

(『조선 통신사와 일본인』학생사 1992 146 페이지에서 147 페이지)





우시마도의 당자 춤의 2명의 당자는, 진구 고고의 삼한 정벌때, 데려 온 신라의 왕자라고 하는 전승이 있었습니다.

에도시대에, 이미, 그러한 전승하에서당자 춤은 행해지고 있었습니다.

그런데 , 신기수씨가, 역사에 서먹한 어리석은 노인, 신치 이사무씨에게, 「당자 춤이 진구 고고의 삼한 정벌에 유래한다라는 전승은, 메이지 시대에 제국주의적 망상으로부터 날조 되어 것으로, 일한 우호를 위해서는 올바른 모습에 되돌리지 않으면 안 되는」라고 말해 속여, 마침내, 공식의 해설로부터, 삼한 정벌의 전승을 삭제시켰습니다.

확실히, 우시마도의 당자 춤의 기원은 역사학적으로 보고「진구 고고의 삼한 정벌」에 있는 것은 아닐 것입니다.그러나, 그렇다고 해서 전승을 잘라 버려도 좋은 것일까요.
우시마도의 당자 춤은「진구 고고의 삼한 정벌」라고 하는 전승과 일체가 되어야만, 우시마도의 전통 문화라고 생각합니다.전승을 버리게 된 당자 춤은, 에도시대부터 계속 되어 온 당자 춤이 아닙니다.

지금은, 당자 춤을 추는 것 2명의 아이들은, 스스로가 무슨역으로 무엇을 위해서 춤추는지 알게 되지 않은 채, 「조선 통신사로부터 배운 춤」라고 하는 거짓말의 설명을 받아 당자 춤을 놀아나고 있습니다.



당자 춤의「의미」가 소멸했습니다.


보시타 축제의「이름」가 사라져

당자 춤의「의미」가 사라져

그리고, 시텐노우지 왓소가 태어난다.

이것들은, 일련의「활동」의 성과입니다.



문

filippa_j씨 11-12 23:53

재미있는 투고라고는 생각합니다만 2매째의 화상에 대한 설명은 그림으로부터 읽어낼 수 있는 내용과 크게 다르다고 생각해요. 젊은이가 봉으로 위협하고 있는 상대는 통신사의 오른쪽의 젊은이로 보입니다.
어차피라면 다른 화상으로 설명을 실시하는 것이 좋았기 때문에는 없습니까?


답

그 부분은, 『역사를 다시 읽는 행렬과 구경거리 』 아사히 신문사로부터의 인용입니다.
젊은이를 위협하도록(듯이)도 보입니다만, 토바티끌을 피하려 하고 있는 바람에도 보입니다.
젊은이를 위협하는 의미가 어디에 있는가 하는 점을 생각하면 대답은 분명하다고 생각합니다.








이하, 한국의 사람들로부터, 조선 통신사 살해 사건의 사료등을 나타냈으면 좋다는 것이었으므로, 참고 자료도 포함해 정리해 둡니다.

조선 통신사 살해 사건의 참고 자료 일람

조선 통신사 살해 사건 전편
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=9&nid=72538

1 조선 통신사가 닭을 훔친 사건.

1748년, 조선 통신사의 접대역 , 요도번의 가로, 와타나베 젠우에몬이 쓴『조선의 사람 와 빙기』 부도『조선빙례사 요도성착 와 그림 』(『일한중의 교류 』 야마카와 출판사)

2 조선 통신사에 대한 과잉인 접대.

『에도시대를「탐험」하는 』 야마모토 히로후미 신쵸오샤

3 막부가 조선 통신사를「조공사」로서 오나나 민중에게 보이게 하고 있던 것.

조선 통신사, 종사관, 리경직이 쓴『후소록』에, 막부가 조선 통신사에게「4배례」를 강제했던 것이 기술되고 있다.

「4배례」란, 복종을 맹세하는 조공의 님 식이다.

조선 통신사, 정사, 조?하지만 쓴『해 사일기』, 김 히토시겸의『닛토장유가』에도, 막부가 조선 통신사에게 4배례를 강제한 기술이 있다.

(『근세의 일본과 조선』미야케 히데토시 코단샤, 『닛토장유가』김 히토시겸헤본사)
일한 역사 공동 연구 위원회 제 2 분과(안근세) 제2부 한국측 보고 제 1편 연구사 정리 논문 『통신사연구의 현황과 과제 』 장순순의 본문 및, 각주 46

「근세의 일·북 관계」황야태전『일·북 관계사를 생각하는』청목 서점 1989

4 일본의 민중이 조선 통신사를 조공사로서 보고 있던 것.

리처드・콕스(Richard Cocks)의 일기 (「근세의 일·북 관계」황야태전『일·북 관계사를 생각하는』청목 서점 1989)

에도시대에 발행된 다수의 조선 통신사 구경용 가이드 북에 있어서의 기술

노랑 표지



조선 통신사 살해 사건 후편
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=9&nid=72539

1 조선 통신사가 침구를 훔치고 있던 것.불량 행위.

『에도시대를「탐험」하는 』 야마모토 히로후미 신쵸오샤

조선왕, 영조가 계론 중(안)에서, 조선 통신사 사절단에 대해, 「잠매, 음주, 강만, 불경」를 지적한다.(『근세의 일본과 조선 』 미야케 히데토시 코단샤)

2 조선 통신사는 고양이가 좋아하는 음식이라고 하는 소문

『일한중의 교류 』 야마카와 출판사

3 조선 통신사 살해의 경위

『스즈키전장취조서 』(종가 기록 케이오 기쥬쿠 도서관창고)(『근세의 일본과 조선 』 미야케 히데토시 코단샤, 『에도시대를「탐험」하는 』 야마모토 히로후미 신쵸오샤)

http://www.geocities.jp/kusazoshi/jpnchosen01.htm#jpn01top


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