李氏朝鮮時代の仏教弾圧

李氏朝鮮時代に入ると、一転して儒教が国教となったため、仏教は徹底的に弾圧された。
初期には王族の保護を受けたが、士林派の集権で弾圧が強化された。僧はソウルに入ることを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。

また、全国に1万以上もあった寺院は、国家的に保護を受けるべきものが240に限定され、その他の寺院は所有地と奴卑を没収され、また多くが破壊された。さらに、第3代の大宗王7年(1407年)には12宗が7宗に、次の世宗の治世(世宗6年・1424年)にはその7宗派も禅教の2宗派に統合、さらに240の寺院は18寺院を残し破壊されるなど、この時期に仏教の勢力は著しく衰退した。以降仏教は朝鮮王朝の末期に至るまで強い迫害を受けた。

しかし、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は、仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信仰としても保存された。
6500円の予算で仏国寺を修復した朝鮮総督府
仏国寺修復に6500万円の予算を組むと書かれた当時の新聞記事
出展:時事新報 1913.5.26-1913.5.27(大正2年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00472187&TYPE=HTML_FILE&POS=1

画像の内容
仏国寺と云う古刹がある其背後の嶺上に□ること更に二十町で石窟庵がある。千百余年前に作る所の丈余の釈迦石像は、穹隆円筒形の石窟中に安置せられて周壁には三十六体の彩色せる肉彫像あり結構。
壮大技巧を極めて真に東方稀に観るの巨作である是等の遺跡は、悉く関野博士等の学術的研究を経て居るものであるが、鶏林に遊ぶ者は必ず一たびは此地を訪うて東洋美術の趣味を養い、若くは考古の資料となすべき価値が充分ある。
石窟の天蓋は、先年半ば墜落した儘になって居るが、寺内総督は其大破せぬ前に是非今年は修覆を加えたいと言って居られた。仄に聞けば既に六千五百円とかの予算が組であるそうだ誠に結構なことである
出展:時事新報 1913.5.26-1913.5.27(大正2) 神戸大学附属図書館 電子図書館





