ウィキペディア「八田與一」より抜粋
評価
日本よりも、八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。
また、現在烏山頭ダム傍にある八田の銅像は、ダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民の民意と周囲意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、郷里加賀出身の彫刻家都賀田勇馬に制作を依頼し碑文や台座は無く地面に直接設置された。
その後、国家総動員法に基づく金属類回収令の施行時や、中華民国の蒋介石時代に、大日本帝国の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際も、地元の有志によって守られ、銅像は隠され続け、1981年(昭和56年)1月1日に、再びダムを見下ろす元の場所に設置された。
今では、台座上に修まる銅像の経過や、八田が顕彰される背景、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危 険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、八田の人柄によるところも大きく、エピソードも 多く残されている。
中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に八田の業績が詳しく紹介されている。2004年(平成16年)末に訪日した李登輝台湾総統は、八田の故郷・金沢市も訪問した。2007年5月21日に陳水扁総統は、八田に対して褒章令を出した。
また当時の馬英九総統も、2008年5月8日の烏山頭ダムでの八田の慰霊祭に参加した。翌年の慰霊祭に参加し、八田がダム建設時に住んでいた宿舎跡地を復元・整備して「八田與一記念公園」を建設すると語った。2009年7月30日に記念公園の安全祈願祭、2010年2月10日に着工式が行われ、2011年5月8日に完成した。
完成式典には、馬英九総統や八田の故郷・石川県出身の元内閣総理大臣・森喜朗が参加した。記念公園は約5万平方メートルだが、約200棟の官舎や宿舎のうち4棟は当時の姿に復元された。宿舎は一般公開されている。
顕彰事業は、妻の外代樹にも拡大され、2013年9月1日、八田與一記念公園内に、外代樹の銅像が建立された。
八田の業績と、嘉南の人達との触れ合いを取材した、テレビドキュメンタリー番組「テレメンタリー96 たった一つの銅像 〜衷心感謝八田與一先生〜」が 1996年(平成8年)6月30日に、テレビ朝日系列で放送された。2008年には、八田を描いた長編アニメ映画「パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜」が制作された。
しかし2017年、烏山頭ダムに置かれた八田の銅像は無惨にも破壊されてしまう。4月16日朝、八田の像の首から上が切断されているのをダムの関係者が発見し、警察に通報した。犯人は中華統一促進党に所属し、以前新党の市議会議員として台北市議会議員を務めた李承龍(中国語版)で、翌4月17日に警察へ出頭した。当時台湾各所で多発していた蒋介石像に対する悪戯への反発心が八田に向けられたとされている。台南市政府からは、八田の命日である5月8日までに銅像を修復する意向が示された。
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上の文章を読めばお分かりかと思うが
故八田氏に対する台湾人の感謝の念と友情は並々ならぬものがある。
たかだかひとりのキチガイが八田氏の像を傷つけたからといって
日本と台湾の友情が揺らぐものではないのだよ。