2017年、日本経済はどこへ向かうのか。経済学者である星理事長および八田名誉研究員両氏が、アベノミクスの現状を整理・評価し、これからの日本経済の行方を論じました。これまでの金融政策、財政政策、成長戦略を精査したうえで、日本が今後、力強く成長するために必要となる構造改革の焦点は何か、また世界経済の環境が変化する中で、日本が課題先進国から課題解決先進国になるためには何が必要なのか、前編・後編(次週)2回にわたり展望していきます。
【出席者】
星 岳雄 東京財団理事長
八田達夫 東京財団名誉研究員
「失業率が下がったのに賃金が上がらないのはなぜか」
星 2016年にはブレグジットとトランプ次期米国大統領の誕生という予想もしなかったことが起こりました。今日は世界経済の環境がどう変化しているか、そして日本をはじめ各国の経済政策、経済状況が2017年にどう変わっていくのかを考えます。
最初に、日本経済の現状を整理します。過去4年間、アベノミクスのもとでさまざまな経済政策が講じられてきました。アベノミクスの3本の矢、つまり金融政策、財政政策、そして成長戦略をどう評価できるでしょうか。
八田 まず、マクロ政策全体では、失業率が低下したことが大きな成果だと思います。
一方、「失業率が下がったのに、賃金が上がっていない」とよくいわれますが、これは問題ではないと思います。景気の回復面で非正規雇用が増えた結果、雇用者全体に占める非正規雇用者の割合が増えたために、その分平均賃金が下がったのです。やがて非正規労働者の待機者数が少なくなると、非正規雇用者の賃金は上昇します。いままで賃金が上がらなかったのは、まだ調整過程にあったためです。時間の問題です。現実に、いまアルバイトやパートの賃金は上昇しています。今後、雇用者全体として賃金は上がっていくとみています。
星 正規・非正規雇用者それぞれでみると、最近は両者とも賃金は上昇している。ただ、その構成比率が変わっているので、全体的には下降しているということですね。
それにしても産業による違いはあると思います。例えば、建設業と介護サービス業で、正規雇用者と非正規雇用者の比率の変化は大きく違わないけれども、建設業では平均賃金が上がっているのに、介護サービス業では上がっていない。
八田 介護サービス業では、賃金が規制されているため、人手不足が生じても、需給に反応して賃金が上昇しないのです。保育も同様です。
星 政府はいま、減税をするから賃上げをしてほしいと企業に要求しています。それよりは、景気の波及効果の及びにくい規制産業の賃金の引き上げ、あるいは規制緩和を始めたほうがいい、ということでしょうか。
八田 ええ、例えば介護保険サービスに付加できる自由料金サービスの範囲を拡げて、実質的に賃金を引き上げられるようにしていくことが有効だと思います。
金融政策の難しさ
星 そうすると、アベノミクス第一の矢、金融政策でやれること、日銀のやれることはあまりない……?
八田 金融政策が実体経済に影響を与えるまでにはある程度の時間が必要です。いま、不動産価格が上昇し始めています。それは徐々に担保価値を増やし、投資を増やすでしょう。いまの政策を続ければよいと思います。そのうちいろいろなことがいっせいに動き出しますから、そのときにコントロールする方策を整えておくことのほうが重要だと思います。
星 ミルトン・フリードマン氏(米国のノーベル経済学賞受賞経済学者)が“long and variable lags”と言い表したように、金融政策は時間的な遅れを伴い、しかも不安定。うまくコントロールするのが難しいわけですね。
八田 ひとつ心配していることがあります。1970年代米国のカーター政権の時代、インフレ率も名目利子率も20パーセントだったことがあります。そのときには実質利子率がほぼゼロだったのですが、課税は名目金利にかかってくるので、利子所得に対する実質税率が100パーセントをはるかに超える結果になり、貯蓄も投資も減退してしまった。
そこにマーティン・フェルドシュタイン氏(ハーバード大学教授、全米経済研究所[NBER]名誉会長)が、資産所得課税にインフレ控除をして、実質所得に対して課税しなければならないと主張しました。いわゆるサプライサイド経済学です。1980年代、レーガン政権の時代にはそうする代わりに、キャピタルゲイン税を骨抜きにして、法人税率自体の大幅な引き下げをやって資産所得の税率そのものを下げることによって、この問題を回避したわけです。しかしその結果、税収不足で悩みました。正しい対策は、資産所得税の本体税率自体をゼロに近くするのではなく、インフレ控除をすることでした。
インフレの弊害は、主として税制から起きます。日本でインフレの可能性があるならいまから手を打って、資産所得税に関してはインフレ控除をきちんとやっておくことが必要です。そうすれば、20パーセント程度のインフレが弊害を起こすことはないと思います。
星 そうですね。インフレのコストについては昔から経済学で議論されていますが、その大きな部分が税制度や金融契約が名目価値について決めてあって、インフレと連動していないということからきている。こういった制度面が十分インフレに適応するようになれば、残るコストは“メニュー・コスト”や“シューレザー・コスト(銀行に行くコスト)”というさほど大きくないものに限られてくる。最近では、いろいろな便利な支払手段が普及してきたので、現金を下ろしに銀行に行くという行動そのものが不要になってきている。
八田 税のコストは大きいですよね。
星 そうですね。制度をインフレに適応させる必要があるというわけですね。ただし、ここでインフレはまだ日本では起こっていないことを確認しておかなければならない。日銀の金融政策がようやく効いてきてこれからインフレになるという可能性はあります。しかし、いままではなかなかインフレにならなかったという経緯もあるわけです。
日銀としては、いまインフレの問題を論じ始めるというのは時期尚早である。デフレからの完全な離脱に向けて、いままで以上に緩和的な金融政策の模索を続けなければならない。その一方で、最終的にインフレが起こってくるときには、それに速やかに対処しなければならないし、その前からある程度インフレのコストを下げるような制度改革も考えておかなければならない。そういう難しい時期にあるのだということだと思います。
八田 同感です。
不況をもたらさずに消費税増税を実現するには
星 次に、アベノミクス第二の矢「財政政策」についてです。金融政策は、さきほどの“long and variable lags”で、いつ効果が表れるか、どれくらい時間がかかるかみえにくいところがある。一方、財政政策は、教科書的にはわりとすぐに効果が表れるといわれています。アベノミクスの財政政策というのは、少なくとも当初は「機動的な財政政策」といって、景気対策の財政出動と同時に長期的な財政規律を確立する、ということを謳っていましたが、どう評価しておられますか。
八田 長期的な財政規律を大事にしていないですね。2つの問題があると思います。
第一は配偶者控除についてです。配偶者控除を、所得控除から税額控除にすれば、低所得者に負担をかけずに財政再建に結びつきます。しかし結局、制度温存、配偶者控除の水準の引き上げで最終決着しました。2017年初の衆議院解散が取りざたされ、増税となる専業主婦世帯などの反発を招きかねないと判断したためでしょう。選挙がこれほど頻繁にあると、拡張的な財政にならざるをえないのかもしれません。安定した政権であれば、そこをなんとかしてもらいたいですね。
第二は、財政規律を消費税増税に担わせるためには、日本の消費税の仕組みを改良する必要があります。
消費税は、1997年と2014年に引き上げられましたが、いずれの場合にもその後、景気が悪化しました。2014年の引き上げの前には、財務省は、「日本で消費税増税をしても景気後退することはない」と主張して、その根拠として、ドイツで付加価値税を上げたときに景気が悪化しなかったことを引き合いに出したのです。でも財務省は、増税の経済効果の予測に失敗しました。多くの人が「消費税増税をしたらその度に2回続けて不況になったじゃないか。今度税率を引き上げるときには、不況にならない対策を示せ」と考えていると思うんですよ。
消費税率が引き上げられると、消費者は各財の消費量を減らして増税額を賄います。その際、食費や衣料に関しては、消費者が望むならば、税込み支出額が税率引き上げ前の支出額と同じになるように減らした消費量を、購入できます。仮に年間100万円の食費を支出していた人は、11.11%の消費税が新設されれば、食費の支出を90万円まで減らせば、税を払えます(説明の簡単化のために、消費税が新設されるケースを考えます)。ところが、住宅に関しては、日本の消費税制の仕組みのもとでは、以前は1億円の住宅を買おうと考えていた人が、11.11%の消費税のもとで9,000万円の住宅を買うことは一般にできません。
日本の消費税は、土地を除く住宅購入額のすべてを課税対象にしています。家を買う場合は、たいていの人はローンを組みますが、そのためには、ローンの一定割合(これを4分の1としましょう)の頭金が必要です。例えば、2,000万円の頭金を用意できるので、消費税新設以前には8,000万円のローンを組んで1億円の家を自分の土地の上に建てようとした人を考えます。この人が、消費税率新設後に9,000万円の家を建てようとすると、消費税分である1,000万円は、もともと頭金として用意していた2,000万円から全額支払わなければならなくなります(税金部分には担保価値がないので借りられないからです)。このため、頭金として残せる額は1,000万円になり、4,000万円しか借りられなくなるので、9,000万円の家は買えません(当初用意した2,000万円で頭金も消費税も賄うとすると、6,000万円台の家しか買えなくなります)。この消費税の新設の結果、ほかの財は1割減らした額を購入できますが、住宅に対しては、支出の減少率がはるかに大きくなります。
このように、消費税率引き上げは、住宅に対してほかの財以上に大きな消費抑制効果をもちます。これが原因で、日本では、1997年にも2014年にも、税率引き上げを契機に住宅の購入が長期的に落ち込みました。住宅の購入額は大きいため、これが不況を引き起こしました。それに対して、ドイツの付加価値税では、住宅購入額は基本的に非課税なので、この問題が起きません。
この問題の解決策は、住宅購入時での消費税はやめて、その代わりに固定資産税の上物部分で消費税税率にあわせて毎年徴収することです。このように住宅消費税を保有税にシフトすると、消費税の引き上げが、長期的には、現在の住宅消費税と同じ増収をもたらす一方で、これまでと違って不況を引き起こすことはなくなると思います。
星 なるほど。そうすれば、景気への悪影響を最小限にして消費税の増税ができるというわけですね。
まずは所得税の改善を
八田 そう思います。それから、所得税の改善に関してもやることはたくさんあります。日本の課税最低限は国際的にみて高すぎるし、最高税率は歴史的にみて低い水準です。1980年半ばまで、日本の最高税率は88パーセントでした。松下幸之助氏や本田宗一郎氏、盛田昭夫氏はこのような高い税率のもとで働いていました。いまより最高税率を引き上げたところで、労働意欲の減退はそれほどないと思います。海外に移住する人はいるにはいるでしょうが、子どもの教育や親の介護、自分自身の治療などを抱える大半の日本人にとってはハードルの高い選択肢です。また日本の安全性や清潔な都市環境は、所得が高い人ほど失いたくないものだと思います。税収増が相殺されるような移住が起こるとは考えられません。ただし、資産所得税は現在の20パーセントのまま据え置くべきだと思いますが。
星 資産所得税の税率を上げるべきではない、とはどういうことでしょう。
八田 まず「生涯の生活水準が等しい人には、同額の生涯課税をすべきだ」という課税原則は誰でも受け入れると思います。次に、この原則のもとでは、利子所得に課税するのは二重課税だということを、復習させてください。
生活水準を決めるのは、効用です。効用は、所得ではなく支出、すなわち消費額と遺贈額の和から直接的に得られるので、生活水準の指標としては支出が向いています。
生涯の各時点での支出の現在価値の総計を「生涯支出」といいます。ここで、現在価値は、リスクフリーの預金利子率で評価します。ある与えられた生涯支出(例えば2億円)に直面する人は、対応する生涯予算制約のもとで、預金したり借りたりすることによって、生涯の各時点での支出額の組み合わせを自由に選び、自分の生活水準を最大化できます。したがって、この与えられた生涯支出が、その人の生涯の生活水準の指標となります。
所得の源泉が賃金と預金利子で、しかも若年時の賃金も老年時の賃金も等しい二人を考えましょう。二人は同一の予算制約に直面しますから、生涯支出は同一です。つまり生活水準も同一です。もしこの国では賃金だけが課税されるならば、この二人の課税額は必ず等しくなります。しかし、もし利子所得にも課税されると、「貯蓄好き」の人は、賃金税に加えて利子所得税も支払わなければならなくなるので、一切貯蓄をしない「貯蓄嫌い」より生涯課税額が大きくなります。つまり、生活水準が同じ二人の生涯課税額が異なってしまいます。
したがって、本源的所得である賃金所得のみに課税するのが公平に課税する方法です。派生的所得である利子所得に対する課税は、二重課税なのです。
星 資産所得税が二重課税だというのは、よくいわれますが、すると資産所得は非課税にすべきだということですか。
八田 資産所得のタイプによります。例えば、若いときに株を購入して、リスクフリーでの利子率を超える収益率の「超過利潤」を得た場合には、生涯支出は、賃金と「超過利潤」の現在価値の生涯総計に等しくなります。したがって、預金だけした場合に比べて、生涯支出は増加します。「超過利潤」の部分は、賃金と同じく生涯支出に影響を与えるので、本源的所得です。投資の才覚に対する報酬のようなものです。したがって、生活水準に基づいて納税者に課税するためには、資産所得のうち、リスクフリーの利子所得は非課税にするが、超過利潤には課税する必要があります。資産所得には、元来ならばこのようにメリハリのある課税をしなければなりません。
現在の日本が採用している、すべての資産所得への20パーセント一律課税は、このようなあるべき資産所得課税方式を将来導入するまでの、大胆な近似だと見なせます。そういう理屈の詰めをしておけば、資産所得を総合課税対象に含める必要がないことが明らかになるので、所得税率の引き上げから資産所得税率を隔離できます。
星 さきほど、選挙がたびたびあるので、増税しにくい、と指摘されました。消費税増税は実際、2回延期されました。今後、どこかの時点で上げることはありうるでしょうか。
八田 消費税増税をしても不況に陥らない対策を構築すれば、可能だと思いますよ。しかしそれができるまでは、所得税の改革を優先すべきだと思います。所得税率の引き上げには、消費税率引き上げのような強い景気抑制効果がありませんから。
星 財政規律の問題としては、収入不足のほかに、制度導入時に想定されていたよりはるかに大きい社会保障関係費の増加があると思います。今次国会で年金給付抑制法案(いわゆる年金カット法案)が成立したわけですが、これは支出側での必要な改革の第一歩と考えていいのでしょうか。
八田 当然あるべき改革が始まったと思います。年金がそうですし、医療保険も適用範囲や混合医療の是非など精査すべき問題が山積しています。
星 そうですね。現在のままでは、日本の財政がいずれは破綻することは明らかです。消費税増税は延期しますが、2020年度のプライマリー・バランスの黒字化は予定どおり達成します、と政府はいっているけれども、誰も信じていないと思う。歳入面も歳出面もすべて精査して、日本の財政を維持可能にすることは最重要な問題ですが、アベノミクスは景気刺激策にだけ集中して、財政規律の回復はほとんど進んでいないといっていいでしょう。
構造改革は進んでいるものの……
星 アベノミクスの第三の矢、いわゆる成長戦略、構造改革についてはどう評価されますか。八田さんが関わっておられる部分もありますが。
八田 「第三の矢は進んでいない」と批判する人もいますが、これまでの内閣と比べると、かなり規制緩和を進めていると思います。
第一は電力改革です。2016年4月1日以降、電気の小売業への参入が全面自由化され、家庭や商店も含むすべての消費者が、電力会社や料金メニューを自由に選択できるようになりました。さらに、20年には発送電分離、つまり電力会社の発電事業と送電(配電を含む広義の送電)事業を分離します。
電力会社が政治にもつ力は強大です。自由化に抵抗する勢力には、電力会社だけではなく、電力会社に資材を高値で販売する周辺の多くの企業も含まれています。いってみればオールジャパンだったわけです。それらが総括原価方式で守られていた。でも、非常に不幸なことではあったけれども3・11東日本大震災があって、電力会社が信頼を失って改革を迫られた。安倍政権下で自由化を完成させた。大きな成果だと思います。
第二は農業改革です。JA全中の改革など農協の力を削ぐ改革をしました。戦中戦後をとおして農協は特別な地位が与えられてきましたが、それをはずしたわけです。もうひとつは、改正国家戦略特区法で企業による農地の保有が認められました。その結果、アルバム大手、ナカバヤシが、本業の閑散期に兵庫県養父市内でニンニク栽培を始めました。
以上のような改革は行われ始めているわけで、今後それぞれ大きなインパクトをもっていくと思います。
星 確かにこれまでの内閣に比べれば、よくやっているということはいえると思います。僕もこれまでの例から類推してアベノミクスの構造改革にもあまり期待していなかったので、期待した以上のことはやっている。でも、今度は逆にあまりにも多くのことを並行してやろうとしていないかと心配になります。八田さんが指摘されたように、見込みのありそうな政策もある一方で、旧態依然とした産業政策的なものも成長戦略のなかに入ってきている。
最初の指摘にもあったように失業率が低下してきているなか、力強く成長するためには、構造改革が最重要です。アベノミクスの成長戦略というのは、どうも焦点が定まっていないような気がしますが、八田さんは電力市場自由化、農業改革に続いて、どこに焦点をあてていくべきだとお考えですか。
補助金供与ではなく規制を変えることで
八田 ひとつは、シェアリングエコノミー(個人が保有している遊休資産の貸出を仲介するサービス)です。
これまで禁じられていたサービスに、特区で風穴が空きました。例えば、AirBnB(エアビーアンドビー)など民泊を営むことは、以前は「旅館業法」に反していましたが、特区法のもとで決められた要件を満たし、認定を受ければ部屋を貸せるようになりました。
しかし、Uber(ウーバー。スマートフォンやGPSなどのICTを活用し、移動ニーズのある利用者とドライバーをマッチングさせるサービス)に対するタクシー業界の政治的抵抗は強力で、ほとんど動いていません。最も需要があるのは過疎地です。タクシーが少ないうえに、移動には車が必要です。しかしここでもうまくいっていません。
もうひとつは、無人航空機(ドローン)、自動運転技術、ロボット技術、人工知能(AI)など新技術です。
ここまでの技術発展を想定していないため規制がたくさんあって、実験もままならない状況です。先日、千葉県の海岸でドローンを700メートル飛ばす実験に立ち会いました。ドローンは限界費用が安いので、将来的に、物品の運搬に活用することを見込んでの実験だったのですが、海上を飛ばすのにも20個ほどの規制があるということでした。
これまでは、仕様規定でやってきましたが、新技術に対しては、性能規定、目的規定でやっていくべきだろうと思います。規定の目的が安全を確保することであれば、そのためのアイディアを開発者や当事者に考えてもらって、目的を満たすならどんな仕様も認める、という方法をとるべきです。
星 規制のやり方を変えるということですね。
八田 そうです。
それから、ロボットの活用です。北九州市は政令指定都市のなかで最も高齢者の割合が多く、かつ、産業ロボット大手の安川電機が本社を構えています。そこで、2016年4月「高齢者の活躍や介護サービスの充実による人口減少・高齢化社会への対応」というテーマの特区に認定されました。例えば、介護施設の間取りには国の規制があり、広い空間を確保することが難しいのです。しかし特区に存在する介護施設では、ロボット活用のために部屋の壁を取り払うことが可能になり、例えば自動歩行器が広い空間で利用できるようになりました。リハビリテーションの先生が不在でも歩行訓練ができるようになって、それがどの程度効果を上げるのかをみようとしている段階です。
星 規制が新しい技術の活用を邪魔している、その規制のやり方を変えていく必要があるということですね。アベノミクスは新しい技術には注目していて、ロボット、AI等の産業を伸ばすことが明記されていますが、その内容は、補助金を与えるとか技術を支援するというまさに旧態依然とした産業政策で、規制を変えることで技術を伸ばすという視点はあまりないような気がします。
八田 おっしゃるように、補助金で伸ばそうとしても、短期のことでしかないから効果は薄いと思います。規制改革で、例えば、農業に株式会社を入れる、ロボットを利用するといったことが必要だと思うのです。
問題はグローバル化それ自体ではない
星 成長戦略のなかで、もうひとつ重要で、しかもこれは僕の期待をはるかに超えて進展したものに、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加があります。国際貿易・国際投資を自由化して日本経済を世界に開いていくことは、通常いわれているような主に消費者にとっての貿易の利益を拡大するだけでなく、日本の産業を国際競争にさらし、優れた企業にはより広い市場を提供することによって、成長に重要な生産性の拡大にもつながる、ということは、僕がアニル・K・カシャップ氏(シカゴ大学教授)と執筆した『何が日本の経済成長を止めたのか』でも重視した点です。アベノミクスの成長戦略でもTPPは、それ自体日本の消費者の利益になるだけではなく、さまざまな規制改革を加速させる契機にもなるとして、期待されている。でも、ここにきて、TPPの先行きが怪しくなっています。
TPPはもともと2006年5月に発効したシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ4カ国の経済連携協定(EPA)です。2010年から米国も交渉に加わり、21世紀型の包括的な自由貿易圏の形成を主導してきました。日本も13年から交渉に参加し、16年3月にはTPP協定が署名され、各国が批准するまで進んだわけですが、米国でトランプ氏が次期大統領に決まり、TPPは批准しないといっている。クリントン氏が当選していたとしても、同じようなことになったでしょう。その結果、日本のほうが先に進むようになってしまった。
世界をみると、米国でトランプ次期大統領がTPPから脱退する、北米自由貿易協定(NAFTA)を再交渉するといっていることに反映されるように、グローバリズムに反対する勢力が大きくなって、米国だけでなくいろいろな国が内向きになっている。英国のブレグジットもその例だと思います。
八田 星さんにうかがいたいのですが、そういった反グローバリズムがいま起きていることの本質的な原因はなんでしょう。
星 最も単純な話で、そしてかなりの部分あたっていると思いますが、米国においては、グローバリズムによって中間層が職を失い、貧しくなったとして、格差拡大の原因をグローバリズムに求める人が多いことです。TPPへの反対もこのような理解にもとづいています。
八田 ブレグジットもそうでしょうか。
星 ブレグジットには、それに加えて欧州連合(EU)で協力していくなかで、移民が入ってきて、職を奪われてきたということがあります。移民への反感は米国でも高まっているわけですが。
八田 しかしグローバリゼーションの結果、途上国では賃金が上がったわけですね。いま、途上国で反グローバリズムの動きはないのでしょうか。というのは、以前、米国で反グローバリズムの議論をしていた人たちは、多国籍企業による途上国の搾取を問題にしていましたよね。
星 1999年末、米国・シアトルでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議の開会式がデモ隊の激しい抗議活動によって中止になったころのことですね。
八田 ええ。結局、自分たちのための行動だったのではないか。
星 なるほど。あるいは、反グローバリズムの中身が違ってきているのかもしれません。
八田 格差が生じる要因のひとつに、所得再分配政策の失敗があると思います。貿易を自由化すれば、(移民が入ってこなくても)要素価格均等化定理のために、貿易国間の賃金が等しくなってきます。その結果、先進国では、人的資本をもっている労働者の所得は増えるけれど、低スキルの労働者の賃金は下がります。後者の人たちが不満をもつのは当然です。したがって、貿易自由化を行ったときには、丁寧な所得再分配が必要だろうと思います。レーガン政権以降、そこを怠った面があったのではないか。
星 そうすると、問題はグローバル化それ自体ではなくて、それが直接格差拡大につながる再分配政策、あるいは再分配政策のなさにあるというわけですね。
八田 そう思います。先進国では、貿易の自由化は、人的資本をもつ所得の高い人たちにより多くの利益をもたらします。そこに追い打ちをかけるように、ITの進歩が格差を広げたわけですから、なおさら再分配政策が必要だったのです。
そのうえ、移民の問題があります。低スキル・低所得の移民が楽に入れるようになると、所得分配政策をやればやるほど移民が入ってくるから、所得再分配政策は難しくなると思います。
星 ひとつは、移民政策をどうやるかということでしょう。米国は、家族の移民をほかの経済的需要に応じた移民よりも優先するということで、まさに所得再分配が難しくなる方向で政策をやっている。一方、カナダは点数制で、経済的に需要が高い労働者が移民できやすいようにしている。効率的な移民政策と、そうではない移民政策があるのかもしれません。
八田 カナダのようなやり方なら格差を引き起こさなくてすみますね。
米国不在のTPPをどうするか
星 話題をTPPに戻します。いま、グローバリゼーションがすべての問題の根本にされていて、それを止めようという動きが少しずつ起こっている。そういったなかで日本はどう対応すべきか。TPPを具体例にとると、いま日本はTPPを批准する方向で動いているわけですが、今後どういう選択肢があるでしょうか。米国が賛成しなければ、TPPは成立しないわけですけれども。
八田 成立の要件を変えてしまうということもひとつありますね。
星 例えば、米国抜きでTPPを進める。ほかにも、米国に働きかけて、態度を変えてもらう。また、TPPはうまくいかないので、違うアジアの貿易圏をつくっていく。例えば東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を進めるなど、米国を除いたかたちで、自由貿易を積極的にやっていこうとする国だけで新しい貿易圏をつくっていく。あるいは全部やる、などいろいろな可能性が考えられます。ただし、米国は日本にとっての重要な国際貿易・国際投資のパートナーなので、米国が参加しないとなると、日本にとっても魅力に欠けるものになる。できれば、なんらかのかたちで米国が戻ってきやすいような状態にしておくというのも大切かと思います。
八田 日本と米国だけで貿易自由化を進めるということもありえます。それには農業の自由化をもう一段進めるという、日本側の覚悟が必要です。それにはもちろん、農家への補償が必要ですし、農家にとってもウィンウィンになる仕組みでやる。そこを出発点にしてほかの国を入れていくことも考えられる。
星 そうすると、トランプ次期大統領がやろうとしていることと合致します。彼はTPPのような多国間の自由貿易協定(FTA)ではなく、2国間の枠組みを志向するといっています。
ただ、日本の農業問題には、農家からの反対だけではなくて、例えば食の安全の問題もあって、消費者が農業保護を支持する側面もあります。
八田 食品の原産国表示を明確にし、安全性にこだわる人に選択してもらえるようにすることです。
星 それはすでに義務づけられています。それでも、偽装が起こっている現状がある。
八田 ネットで公開するなど、より詳しく表示する必要がありますね。
偽装問題が起こるのは日本の行政一般の問題もあります。入りのところは厳しいのですが、出のところはなし崩しという……。むしろ成果や質に対してお金をかけてきちんと監視をする。そして適切な対処をする。ここは行政の役割のひとつです。
課題先進国から課題解決先進国へ
星 最後に、日本は「課題先進国」といわれてきました。小宮山宏氏(元東京大学総長、三菱総合研究所理事長)が10年ほど前に当時の日本をとらえて言い表した言葉です。それは正しいし理解も深まってきたと思います。ただ、課題先進国とは決して名誉なことではなくて、課題「解決」先進国をめざすべきだと思います。そのためには何が必要でしょうか。
八田 3つのことが考えられます。第一に、日本の経験、知恵を他国に伝えることです。
まず、先進国になった経験をアジア諸国に伝えていく。開発途上では、市場に頼るか、政府の介入に頼っていくかの重要な選択をする局面を迎えます。日本は国に頼った面もあったけれど、結局は、貿易自由化を進めるなどして市場を重視したことが今日をもたらした。こうした経験を伝えることが必要です。
次に、星さんがやってこられたことですが、マクロ金融政策など、国際的な議論の場に日本を巻き込み、そこで日本の経験、知恵を世界中に伝える。他国は日本の経験を貴重だと思っています。
第二に、日本は今後、高齢化が急速に進みます。これにきちんと対処していく。特に、ロボットなど新技術の活用で世界をリードすることができるでしょう。
第三に、若い人の意見をすくいあげられる選挙制度改革をすることです。構造改革が進まないひとつの原因は、既得権者が強力な政治勢力をもっていることにある。しかもそれが地域に根差した政治力であることが多い。であれば、選挙区を年齢別にしてはどうか。例えば20~22歳、22~24歳というようなかたちに。そうすれば、特定の地方の産業や地域の利害を越えた改革が可能になる。さらに、年齢的に若い人の意見が反映されることが必要なときに、投票率が低い若い人たちの意見が吸収されやすくなる。自分たちの代表が選ばれると考えられれば、投票率自体が上がってくるかもしれない。いまは年寄りの意見が通りやすい仕組みなので、あまり投票に行く気がしないのではないか。
そういう仕組みを直ちに全面的に導入するのは難しいでしょうから、例えば参議院の全国区をまず変えてみる。そうすると、国全体の観点、若い人の観点からものをみていけるようになると思います。
星 それはどこの国でもやっていないことですし、既得権益が改革を妨げるのはどこの国でも起こっていることです。日本でやってみて解決につながれば、まさに課題解決先進国ということになりますね。
今日はありがとうございました。
https://www.tkfd.or.jp/research/research_other/5gtj46
https://www.tkfd.or.jp/research/research_other/wld8h2