『海遊禄』という本がある。18世紀初頭、徳川日本が招待した形式の外交官(通信使)として来日した申維翰の日本紀行文である。
ここでは「群衆」ということばさえ「倭衆」と書かれている。衆とは多数の人間という意味だが、日本人はpeopleでさえない。これが儒教の華夷における文明意識である。
申維翰は卓越した儒学者であったが、価値観は華夷意識しかなく、それがかれの聡明な目を曇らせ、18世紀の日本社会の本質を見落とした。私がもし維翰先生の従者であったなら、こう助言するだろう。
「倭奴の社会体制は儒教ではありません。しかし国民の識字率は70%を越えています。国民の10%は氏族で、これは識字階級です。問題は、農、商、工の人たちが文字を知っていることです。維翰先生がごらんになった商工都市の大阪がその好例です。この都市の私塾が使っている初等教科書だけで、1万種類程も刊行されているのです。かれらはあるいは聖賢の道を知ることは少ないかもしれませんが、文字とソロバンを知らなくては、商店に勤めても番頭(幹部)になれず、商船に乗っても船頭(船長)に出世することが出来ないのです。だから文字を学びます」
またこうも助言しなくてはならない。
「日本は、武士が支配する封建社会である反面、同時代のヨーロッパよりも精密で旺盛な商品経済が発達しています。それは、前期資本主義とでもいうべきものです。資本主義が人類に教えたものは個人の確立と自由ですが、無論ヨーロッパほどではないにせよ、この18世紀初頭の日本にもかすかにその萌芽が見られます」
さらに私は大観察者である維翰先生にこうも助言したいのである。
「日本には270ほどの藩があって、たがいに産業と学問を競い合っています。藩には、儒官がいます。かれらは朝鮮の朱子学者のようにイデオロギッシュではありません。かれらのあいだに、徂徠学という一種の人文科学的思考法がはびこっています。物を見るのに、宋学的な観念論で見ず、もっと裸眼で見ようという考え方です。これは商品経済の照り映えというべきものかもしれません。なぜなら、商業は人間に意外な智慧をつけました。物を見るについて質と量と流通で見ようという習性です。この習性がまわりまわって学者や思想家を刺激したのでしょう」
またこうも言いたい。
「倭奴どもは儒教の家族絶対主義を薄くしか持っておりませんので、町人もまた、番頭になれば店のために自分の家族をも犠牲にして忠義を励みます。それは、各藩の藩士が、自分の家族を顧みずに藩のために働いているのと同じです。倭は”華”ではありませんが、それなりの価値観をもつ社会ということが出来ます。幸いにも倭は鎖国をしております。将来、万が一、かれらが鎖国をすてたとき、鎖国下で蓄積され続けていた石のようなエネルギー(energy)がおそらく大きく爆発するでしょう。その時我が国に害をもたらすかもしれません。我が国としては倭の社会の本質をよく見、よく対応せねば、大変な事になります。我が国が”華”であることに安住していてといのでしょうか。儒教もまた時代とともに替わるべきものです。儒教の短所は人間の知的好奇心を抑圧するところであります。朱子学的瑣末主義に陥っている朝鮮教養人たちに、少し野蛮ながら、風穴を開ける必要があるのではないでしょうか」
ここで気分転換のために近景を述べる。
私の友人に在日朝鮮人がいて、時々散歩を共にする。疲れると、そのあたりの喫茶店に入ってコーヒーをのむ。この友人は光復(1945年)のとき28,9歳 大いに政治に熱中し、中年になって熱が冷めた。あるとき話題がかれの母国の国語のこととなった。
「北(平壌)は、日本語を一掃しましたよ。いっさい使っていない」
「日本語って、どんな日本語です」
「日本製の漢語」
というので私は首をかしげた。朝鮮民主主義人民共和国という国号そのものが「朝鮮」を除いて全部日本人が明治維新後につくった西洋語の対訳語なのである。民主主義も人民も共和国ももそうである。
韓国にもそういう傾向があるらしい。republic の対訳を辛亥革命のとき中国は「民国と訳したが、韓国は日本語訳の共和国よりもその方を採った。
私がもし日本人でなく宇宙人なら、
「どちらでもいいことじゃないか」
といったろう。が、侵略の前科をもつ日本人だから、いくら友人に対してでもそうは言えなかった。が、別のことをいった。
「中国は清末以来、日本が明治維新後、訳した西洋語を無制限に導入したよ。特に新中国樹立後はその傾向は圧倒的になった。私が1941,2年に習った中国後ではschuoolは学堂だったが、新中国は日本式に学校とあらためた。私はphilosophyのことを理学と習ったが、いまは日本式に哲学となっている。しかも未来に向かって刻々導入していくいきおいだ。高分子化学、免疫化学。・・・科学用語は全部そうだといっていい」
漢字は文明なのだ、と私はいった。
「逆説的にいえば、漢字は中国だけの”文化”だったが、三国時代の古い朝鮮で使用され、さらに日本でも使われることによって”文明”になったといえる。”文明”は他の文化圏で使われなければ”文明”でないのだ。新中国の中国人も本能的にそういう道理を知っているのではないか」
-中略-
「文明はその運動律として交流がある。交流なくして文明など成立しないし、その国の進歩もない。日本が憎いという感情はわかるが、本来共用されるべき文明まで拒否することはない」
そこまでいって、
「そんな弱いことを言っていては、国の体質はつよくならない」
とまで言おうと思ったが、遠慮をした。
司馬遼太郎 著 『司馬遼太郎が考えたこと』13 新潮社文庫73頁~78頁「日韓断想」より抜粋

そうした日本人の遠慮と優しさが
朝鮮人をして道を誤らせたのであろう・・・(嗤)


あひゃひゃひゃ!