「吉田清治氏長男、銃殺仕方ないと韓国警察に答えた」ウソ慰安婦謝罪碑書き換えで拘束の奥茂治氏が明かす全真相
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インタビューに応じる奥茂治氏=韓国・天安市(桜井紀雄撮影)
朝鮮半島から女性を強制連行したと偽証した故吉田清治氏が韓国の国立墓地に建てた謝罪碑を勝手に書き換えたとして、韓国警察に一時拘束された元自衛官の奥茂治氏(69)が出国禁止となってから50日以上が経過した。拘束されると分かっていながらなぜ、韓国に来たのか。そもそも謝罪碑を書き換えた動機は何か。出国禁止生活はどんなものか。奥氏に疑問をぶつけてみた。(聞き手 ソウル 桜井紀雄)
(※8月18日にアップした記事を再掲載しています)
金刑事との約束 入国目的は「警察出頭」
--6月24日に韓国警察に一時拘束されましたね。拘束される恐れがあるのになぜ韓国に来たのですか
「周囲からは『韓国警察に逮捕されると、何をされるか分からない。強引な取り調べで自供をさせられるかもしれない』とさんざん止められましたが、約束もありましたし」
--約束とは
「謝罪碑を書き換えた翌月の4月、『金(キム)』という刑事から出頭を求める電話がありました。書き換え後に国立墓地の管理事務所に出した手紙に連絡先まで記していたので、それを見てかけてきたのでしょう。私は金刑事に『行きます』と約束しました」
「外国であっても刑法に触れるというなら、その国の法律で罪を償う必要がある。逃げも隠れもしません。日本人として恥ずかしいことはできない」
--拘束された状況は
「韓国に向かう航空機内で客室乗務員から『一番先に降りてください』と告げられ、拘束されるかなと思いました。拘束も覚悟し、入国カードの目的欄には『天安(チョナン)西北警察出頭』と書きました」
《そう話し、携帯電話のカメラで撮った入国カードの写真を見せてくれた。天安とは、謝罪碑が建立された国立墓地「望郷の丘」がある韓国中部の都市だ》
「空港に到着すると、警察官から公用物損壊と不法侵入容疑の拘束令状を示された後、手錠をかけられ、天安西北署に連行されました」
--取り調べの様子は
「警察で2回、検察で2回取り調べを受けたのですが、(取り調べを録画する)可視化も行われており、警察、検察ともに非常に紳士的で、法律に沿った手続きを重視する姿勢が見受けられました」
「拘束の翌日未明には、拘束を解かれましたが、警察は時間を気にしていて、早く拘束を解こうとしているなと感じました」
「警察や検察から、なぜ出頭したのかとも聞かれ、こういう人はいないと、『勇気に敬服している』とも言われました」
負の遺産が残る-長男にとって耐え難いこと
--そもそもなぜ謝罪碑を書き換えたのですか
「15年ほど前から慰安婦問題について調べ始めましたが、ここまで日韓関係をこじれさせた原因を探ると、いつも『女性を強制連行した』という吉田清治氏の嘘に突き当たる」
「5年前、古本店で偶然、吉田氏の長男が書いた本を見つけたのをきっかけに長男とも知り合ったのですが、長男の口から出たのは『ソウルの日本大使館前の慰安婦像を撤去してしまいたい』との言葉でした」
「それほど父親がついた嘘に苦しめられてきたのでしょう。『原因は親父だ。負の遺産を取り除きたい。死んでも死にきれない』とも話していました」
「さすがに大使館前の像を撤去するわけにはいかず、1983年に吉田氏が著書の印税で建てた謝罪碑なら撤去できると思いつきました」
--実際には、撤去ではなく、謝罪碑の上に「慰霊碑」と刻んだ石板を貼り付けた
「実際、国立墓地に行ってみると、礎石に固定され、重機でなければ撤去できない。それで、3枚に分けた石板を貼り付けることにしました」
「3月20日夜11時ごろに現場に着いたのですが、石板1枚が約35キロ。休み休み担いで運ぶだけで約2時間かかりました。作業が終わったのは翌日未明の3時半になっていました」
「『もう一度やれ』と言われても、もうできません。今から振り返ると、よくまあ、やったと思います」
--管理事務所に事前に書き換えを申請せず、事後に手紙で伝えたのはどうしてですか
「最初は、申請しようと思いましたが、政治的なことから許可されない恐れがあった。そうすれば、嘘の碑がずっと残ってしまうことになる。それは吉田君(吉田氏の長男)にとって耐えられないことだと思いました」