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大韓民国の世界文化遺産(全部)
●石窟庵 世界文化遺産

1909年、郵便配達員が配達のため吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込んだ。その洞窟の中に偶然仏像を発見した。当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがあった。天井が抜け落ち、仏像に直接雨が当たり、周囲の仏像の配置もすでに不明で、全体の半分以上が土に埋もれていた。
日本統治時代の1913年から1915年にかけ、日本により三度にわたる大規模な修復工事が行われた。
仏像の配置は日本がデタラメに並べたとして、仏教の経典に照らし合わせ、独自の並べ替えを行った。しかしその補修後、発見当時の石窟庵の写真および事前調査の詳細な配置図が見つかり、日本が行った補修・配置が正しかったことが発覚した。しかし配置は今なお復元されていない。
●仏国寺 世界文化遺産
現在の仏国寺

日本の朝鮮統治時代から復興が始まる以前

2010年には日本の仏師の福井照明が製作した四天王像など12体の仏像が寄贈され、仏国寺・聖宝博物館に常設展示された[2]。
●海印寺大蔵経板殿 世界文化遺産


海印寺のある、高麗八萬大蔵経の版木から印刷された大蔵経は、室町時代に大内盛見の勘合貿易により日本にも持ち込まれている。
増上寺(東京都)と大谷大学(京都市)には、ほぼ完全に揃った高麗八萬大蔵経の版木から印刷された大蔵経を所蔵している。
●宗廟 世界文化遺産

1592年に豊臣秀吉の侵略に際して日本軍がソウルを
占領したときに破壊され、1608年に再建された。
「王宮守門将交代儀式」は、1996年より行われており、イギリスの近衛兵交代儀式に比肩する(真似した)、華やかさと格調ある雰囲気を楽しめます。
●昌徳宮 世界文化遺産

日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。
1910年の日韓併合後も李王となった純宗の住まいとなった。その後、朝鮮総督府により改築されている。
●慶州歴史地域 世界文化遺産

●高敞、和順、江華の支石墓群 世界文化遺産

●朝鮮王陵 世界文化遺産


●南漢山城 世界文化遺産

日本統治時代
1919年3月27日南漢山城から近隣の中部面丹垈里・炭里・寿進里の住民300余人が万歳運動をし、1930年代には抗日民族運動の中心地として浮上。1930年鄭永培、石惠煥らが組織した南漢山労働共助会が南漢山城を中心地に活動を始めたが、1936年
●百済考古遺跡 世界文化遺産

※真ん中の小さな石塔のみ。周りの建物は最近、建設。


百済 (前方後円墳)
391年の高句麗の広開土王の碑は史実を伝えていることが、中国側の碑文の写しなどから確認をされるようになった。
4世紀の韓半島は倭人により征服されていたことが示されている。高句麗はその後、倭を韓半島南端(伽耶)に追いやることに成功をするが倭国は百済と新羅から人質を差し出させて、高句麗勢力からの 両国の独立を助けているのだ。
高句麗という北方朝鮮系という韓半島の人々とは異なる出自の征服を受けた韓半島を、倭人たちは自らの影響力を韓半島に残しながら、両国の独立戦争をともに戦ったのである。
高句麗はその後も韓半島の人々への干渉をし続けたが、倭人勢力が残った伽耶は新羅に組み入れられることとなった。