https://matome.naver.jp/odai/2138667013993204901
https://www.oricon.co.jp/article/382820/
http://d.hatena.ne.jp/risingsun/20050220
小室 哲哉はロシア作家ドフトエフスキーの小説「罪と罰」の主人公ラスコリーにコフのような男ではないか?小室 哲哉も、おそらく、「罪と罰」を読んでいるに違いない。小室 哲哉は「罪と罰」に登場する主人公ラスコリーニコフが自分にそっくりなことに驚いたはずだ。ラスコリーニコフは老婆を殺害したことに何の罪を感じることはなかった。
上のURLの記事にあるように小室 哲哉には自分引き起こした巨額詐欺事件で有罪判決を受けたのにもかかわらず、執行猶予中、罪の意識が全くないような行動をとっている。
「東国原氏は、小室が詐欺罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた当時、すぐに音楽活動を再開したことに違和感を抱いたという。東国原氏は有名人が有罪判決を受けた場合には「せめて執行猶予くらい、あるいは懲役3年なら3年くらいはおとなしくしておきなさい」と持論を展開。「言い分はいろいろあるかもしれないけど、判決は下ったわけです。それは社会的制裁なんですよね、それを食らったにも関わらず3年間も謹慎できないのかな」と不信感を覚えたと語った。」上のURL記事より抜粋
小室 哲哉は「文春不倫事件」で、ひきりに「罪と罰」という言葉を口にして罪の意識を表しているが、実際は、罪の意識など全くなかったかもしれない。小室 哲哉は、会見中「俺は病気なんだ。世話してくれる看護婦と不倫して何故悪いんだ!」と心の中で叫んでいたはずだ。
極端な言い方をすれば、小室 哲哉が一時期、栄光を得たのは、罪の意識を感じることがあまりないことに起因していたのではないか?罪の意識をあまり感じることがないということは、反面、自由な発想ができヒット曲を生み出す大きな要因となっていたのかもしれない。
しかし、同時にそれは、小室 哲哉に大きな蹉跌をもたらすものだったのだ。小室 哲哉は「現代のラスコリーにコフ」ではないのだろうか?
小説「罪と罰」で主人公ラスコリーニコフは最後に愛というものを感じることになるが、ひょっとしたら、小室 哲哉もkeikoに愛というものを感じ始めたのだろうか?