慰安婦の実態 当時検診した95歳の元軍医が証言
http://www.sankei.com/column/news/180128/clm1801280007-n1.html
旧制平壌一中に「●江(ばいこう)」という同窓会誌がある。昨年秋に発行した続編第一号で『“従軍慰安婦”虚報・払拭のための朝鮮在住者の意見具申書』を募集した。
冒頭に趣旨が書かれている。《私たちは戦前、戦中、戦後を通じ、現在の韓国及(およ)び北朝鮮に在住しておりました。当時の真実と事実を知るものとして、今のように“慰安婦”に関する嘘や捏造(ねつぞう)がまかり通っている現状は見るに忍びず、看過することは出来(でき)ません。祖国日本の名誉を回復し、子・孫まで誇りある日本の歴史を伝えるためにも、最後のご奉公として、真実と事実を具申します》と。
平壌は現在の北朝鮮首都だ。同中は日本統治下の大正4(1915)年、京城中(場所は現在の韓国ソウル)の平壌分校として創立。平壌中、平壌一中と名前を変えながら終戦で幕を閉じるまで、京城中などと並ぶ朝鮮の名門中学として多くの人材を輩出してきた。●江は平壌の中心を流れる大同江の別名である。
高齢化によって同窓会は3年前に解散したが、交流の場を残したいという思いで、昨年、有志によって続編が発行された。「慰安婦問題」に関する意見具申を盛り込んだのは、昨今のあまりにもひどいウソやデタラメが世界中で喧伝(けんでん)され、日本人の名誉が毀損(きそん)され続けていることに強い憤りを感じていたからだ。
編集を担当した長尾周幸(かねゆき)(88)=30回生=は「世界中に慰安婦像が建ち、事実でないことがまかり通っていることは到底容認できない。今こそ実際に当時のことを見聞きしている人間が立ち上がり、声を上げねばならないと思った」と力を込める。
そして、この呼びかけに、元軍医の先輩から興味深い証言が寄せられた。
◆経営者は民間人業者
高地(たかち)俊介(95)は同中の20回生。卒業後の昭和14年、平壌医専へと進む。高地が入学したときの医専は1学年の定員70人のうち、朝鮮人が25人、日本人が45人。教授陣は外科が東大系、内科・小児科は九大系で、レベルが高かったという。
高地は17年秋に卒業、陸軍の短期現役軍医試験を受けて合格した。短い教育期間を経て、翌18年1月には、中支・漢口(現中国武漢市の一部)近くの陸軍第39師団へ軍医として派遣される。「戦争が激しくなるにつれ軍医も不足し、私たちはインスタント養成され、すぐに前線へやられた。戦死したら補う“消耗軍医”だったわけですよ」
軍医少尉となった高地はまだ20歳、同師団野砲兵第39連隊に配属となり、4人の軍医で兵士の健康ケアや、前線で負傷者の治療にあたった。19年3月には中尉に昇進、戦死した軍医の後任として歩兵連隊へと移っている。
高地によれば、「慰安所」は、各部隊ごとに設置されていた。軍がつくったのではない。「女衒(ぜげん)のような年配の日本人が経営していました。(日本人を名乗る朝鮮人ですよ)
日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦がいたが、連れてきたのはその経営者。民間人の業者が仕切り商売でやったということです。軍が関与したのは性病の蔓延(まんえん)を防ぐために、軍医が定期的に慰安婦の検診を行うことだけです」
初めて検診に訪れたとき、高地は、朝鮮人慰安婦から明るい調子で誘われたことを覚えている。「遊びに来てぇ、タダでいいから!」。20代半ばの慰安婦の方が高地よりも年上で、からかわれたことに心穏やかでなかったが、若い高地には婦人科検診のやり方すら分からない。平壌医専の先輩だった高級軍医に頼み込んで初回のみ手ほどきを受け、手順を覚えるのに懸命だった。検診は週に1回。病気の発生が分かれば、程度によって営業停止を命じるケースもあったという。
◆日本への非難は不当
「軍隊と性」の問題は、今さら言うまでもなく、古今東西、あらゆるところに存在している。1991年の韓国映画『銀馬将軍は来なかった』(張吉秀監督)は、朝鮮戦争を舞台に米軍兵士を相手にする韓国人売春婦を主人公にした名作だ。韓国軍は、ベトナム戦争に参加し、現地女性との間に「ライダイハン」と呼ばれる多数の混血児をもうけ、国際問題を起こしている。先の大戦の終戦直前、満州(現中国東北部)へなだれ込んできたソ連軍(当時)は、邦人女性を見境なくレイプし、塗炭の苦しみを味わわせた…。
日本軍に慰安婦は存在した。ただし、高地の証言にあるように民間業者が連れてきた慰安婦を使って商売をし、軍はそれを監督した。それ以下でもそれ以上でもない。もとより、恥ずべきダークサイドの問題であり、大っぴらに語るべき話ではない。80年代以降、朝日新聞や一部の日本の政治家、知識人らが火をつけて煽(あお)るまでは韓国でもそうだった。悲惨な話だが、貧しい家の娘たちがお金のために身を売られ、慰安婦となったのは朝鮮人だけではない。日本人にもいた。
平壌一中の同窓会誌のように日本統治時代の朝鮮で過ごした当事者から、真実を求める声が上がったことは遅まきながら評価していい。他の旧制中学の同窓会からも追随する動きが出てきている。
実は高地が慰安婦のことを書いたのは今回の同窓会誌が初めてではない。2000年代後半に自身のブログでも軍医としての思い出を何度かに分けてつづっている。「子や孫のためですよ。私も年をとって記憶が薄れてゆく。ちゃんと戦争のこと、自分のことを書き残しておきたいと思って」
日本人によって世界にばらまかれたデタラメ、毀損された名誉は、日本人自身の手によって打ち消す、取り返すしかない。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
(`・ω・´) 慰安婦は売春婦
酷いのは売った朝鮮人親だ。