通信使について当時の日本人は「朝鮮が日本に朝貢をしなければ将軍は再び朝鮮半島を侵攻するため、通信使は貢物を持って日本へ来る」などという噂もしていた
数十年おきの楽しみ
通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった。大名行列とは異なり、朝鮮通信使は正使や副使などの外交官の他に、美しく着飾った小童や楽隊、文化人、医師、通訳などが随行員に加わっており、数十年に一度やってくる異国情緒を持った一種の見世物として沿道の民衆にも親しまれていた
摩擦
通信使一行の中には、屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする、酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す、席や屏風を割る、馬を走らせて死に至らしめ、供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませる、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したり、予定外の行動を希望して、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりといった乱暴狼藉を働くものもあった。
事件
藩士が第11次通信使の随員を殺害した唐人殺しと呼ばれる事件も起きている。事件の舞台は大坂の客館で、対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が通信使一行の都訓導・崔天崇に杖で打ち据えられて、夜中に槍を使って崔天崇を刺殺した。発端は、朝鮮の下級役人が鏡を紛失したと聞いた崔天崇が「日本人は盗みが上手い」と言ったのを鈴木伝蔵が聞きとがめ、かねてからの朝鮮人の窃盗行為を非難したことによる。