李承晩ラインによって拿捕・殺害された日本の漁民たち
李承晩(りしょうばん)という名前はほとんどの人が聞いたことがあると思います。そう、韓国の初代大統領です。でもこの大統領、実はそうとうヒドイ人物だったということはあまり知られていません。日本が朝鮮を統治していた時代、彼はアメリカに亡命していました。奥さんはアメリカ人です。日本が戦争に負けると朝鮮に戻ってきてアメリカの後押しで大統領になりましたが、国民に支持されていたわけではありません。
日本は大東亜戦争敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下にありましたが1951年、サンフランシスコ講和条約を連合国との間に結び、独立を回復しました。実はこの年の8月、李承晩はアメリカのラスク国務次官補に対してトンデモナイことを要望しています。韓国は日本と戦って勝った連合国の一員だということにしてほしい、というのです。これがいかにトンデモナイことか、皆さんにはお分かりですよね? だって朝鮮は日本領だったんですよ。朝鮮人は日本人だったんですよ。本来、日本人と共に朝鮮人も戦ったんですから朝鮮人も敗戦国民のはずです。それがどうして戦勝国民になれるんでしょうか?
この時、李承晩はもう一つ、トンデモナイことを言っています。竹島(韓国名は独島)は日本が武力で奪った領土なんだから、日本の敗戦と同時に竹島は韓国に戻るべきだ、ということです。これは事実ではありませんからラスク国務次官補はこの二つの要望を拒否しています。これが、いわゆる「ラスク書簡」です。
竹島を日本から奪うことに失敗した李承晩は実力行使に出ます。1952年1月、海の上にいきなり「李承晩ライン」という線を引いてしまったのです。もちろんこの線は目に見えません。ですから漁民はこれまで通り、船を出します。すると韓国軍は竹島の近海で操業している日本の漁船に対して発砲し、拿捕するという暴挙に出ました。日韓漁業協議会の調べによると、1965年に日韓基本条約が締結されるまでに拿捕された日本の漁船は328隻、抑留された漁民は3,929人、負傷者39人、殺された漁民はなんと5人に上っています。
1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は主権を回復します。それなのに、なぜ政治家はこれだけの犠牲者を出しながらこの問題を放置していたのでしょうか? また、なぜこんな無法者国家と国交を結んだのでしょうか? これも日本の戦後史の謎であり、闇の一つです。
「隠岐郷土館」に一枚の写真がありました。これは昭和29年(1954年)5月3日、久見(くみ)漁業協同組合の漁師11人が竹島に向かって出航する時の写真です。漁師さんたちの表情がちょっと緊張しているのが分かりますか? この日、彼らは銃撃されることも覚悟の上での出航だったのです。海上保安庁の護衛艦5隻が守ってくれて無事に漁を終えることができましたが、これが竹島への最後の漁業活動になりました。

竹島近海はアワビの豊かな漁場でしたが韓国の漁民が出没するようになると、乱獲でアワビはほとんど捕りつくされてしまったそうです。アワビで潤っていた隠岐の島の漁民たちは島を奪われ、海を奪われ、生活の糧を奪われたのです。
文部科学省は「李承晩ライン」によって日本人漁師が殺害されたことをきちんと教科書に載せるべきです。長年、自分の庭のように慣れ親しんだ海に漁に出ただけで殺された漁師さんたちの無念を私たち日本人は決して忘れてはいけないと思います。