てかw 一体何が違うのか!!!というのはそこではないんじゃね?w
2018/04/20 11:01
【コラム】李明博・朴槿恵・文在寅政権、一体何が違うのか
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、金融監督院長の退任について書面で見解を表明した。気になっていたことの一つが解消した。金融監督院長の進退は政権の生死とは無関係の問題だ。にもかかわらず韓国大統領府(青瓦台)は、無理な手や苦し紛れの手を何度も打った。事態はどん詰まりまで追い込まれ、事が大きくなった。なぜそんなことをしたのかというと、思った通り背後には大統領の判断があった。大統領中心制の国はたいていそうだが、大統領が決意を固めたらブレーキは利かない。ガードレールにぶつかって、ようやく止まる。人事の問題では、なおのことそうだ。李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クンへ)政権でも、こういう例はよく見られた。「韓国的」大統領中心制の実情だ。
大統領の公式見解には、共感できる部分と、同意し難い部分とが混在している。人事は難しい。「人事が万事」と称し、人事の道理を会得したかのようだった某大統領の人事も、いざとなると全然そうではないということが多かった。無難な選択は、当該分野の官僚出身者を選んで任せるというものだ。そういう選択をした大統領は、十中八九すぐに後悔した。大統領の国政の方向に100パーセント共感するとしていた人々が、数カ月もしないうちに、その部処(省庁に相当)の既得権を守ることにばかり熱中した。もし官僚の既得権にメスを入れようとする長官がいたら、後輩から仲間外れにされて、寂しい老後を過ごすことは免れ難かっただろう。そういう意味では、「根本的改革が必要な分野は外部からの果敢な起用で衝撃を与えなければならない」という大統領の判断は正しい。しかし、正しいことだが、成功させるのはもっと難しい。
金起式(キム・ギシク)金融監督院長に背を向けたのは、金融の知識があまりない人々だ。銀行に毎月お金を預けていながら、金利が何%なのかも知らない。銀行だからと単純に信じ、任せているのだ。こういう人々の信用は、一度失ってしまうと、それで終わる。金院長は、こうした人々の信用を失った。大統領は「果敢な(人事)選択であればあるほど、批判と抵抗が恐ろしい」と語った。見方によっては、「現在の流れからは、既得権の組織的抵抗のにおいがする」という意味にも取れる表現だ。これは間違っている。
大統領は、金院長を退かせるケースとして2点挙げた。一つは「国会議員時代の行為について、違法という客観的判定が下った場合」だ。もう一つは「当時の国会議員の慣行に照らし、道徳性の面で平均以下と判断された場合」だ。最初のケースであれば、任命撤回ではなく捜査の指示をすべきだ。候補者の選択と検証の過程でそうした重大な瑕疵(かし)を見つけられなかった、大統領府の関連首席や秘書官も併せて問責されなければならない。
道徳性の「平均以上と平均以下」を挙げた第2のケースは、現在の状況と完全にズレている基準だ。現在問題になっているのは金融監督院長のポストだ。新任の金融監督院長には、金融界の古い慣行と長年の積弊にメスを入れ、手術する役目を託すという。公正性、透明性、国民の信頼による裏付けを得た人事でなければ実現しない。道徳性の面で落第点を免れたからといって、メスを握ることはできない。誰がそんな医師を信用して手術台に上ろうと思うだろうか。
金院長をめぐる疑惑は、監査を受ける機関や会社のカネで行楽じみた出張をしたというものから政治後援金の不当処理に至るまで、10項目余りに上る。しかし金氏が、重要な公職を任せるにはふさわしくない人物だと批判されるより根本的な理由は、言葉と行動の不一致にある。言葉と行動が、あまりにも遠く隔たっている。金氏の国会発言録を見ると、監査を受ける機関の資金乱用、浪費的な出張、巨額の講演報酬、財団の後援を受ける他団体の海外研修の問題点などを一つ一つ理路整然と追及していた。感嘆するほどだ。それでいて本人は正反対の行動をしていた。言葉が不器用だったなら、あまり憎まれなかったかもしれない。だが金院長は「不正請託および金品授受禁止法」(金英蘭〈キム・ヨンラン〉法)の代表発議者だ。
金院長は、「折れたメス」だ。大統領が知らないはずはない。幾つもの教訓が残った。一つは、制度が変わらなければ、李明博・朴槿恵政権と全く同じ轍(てつ)を踏むほかないということだ。憲法改正問題を前にして、熟考してみるべき一件だ。多くの人が、金院長の言葉と行動の隔たりを見ながら、一部市民団体の権力と傲慢(ごうまん)を読み取った。「監視する者を誰が監視するのか」というジレンマは、市民団体にも当てはまる。現政権に人材を供給する最大の「水源地」、そこの「水質」汚染がひどいという事実を確認できたこともメリットだ。現政権がこの点を悟るだけでも、残る4年を食いつなぐ、貴重な糧となる。