・日本国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていたこと(鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にあり、そこから南が倭国(日本)と認識されていた。「韓は帯方郡(魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」)
・日本は朝鮮半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには中国大陸と直接交流していたこと
・戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が日本列島の出身者であることなど常識であったこと
・新羅16代の王のうち半数が日本人であったこと(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫)に全文間違いの訳注がある。日本人(倭種)は4代目のみとする訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗)
・新羅と百済の同時代の『唐書』に、「新羅も百済も倭国(日本)を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで、常に使節が倭国に赴いている」との記述があること
・日本の皇室が世界で一番古い家系であること
・青森県の大平山元遺跡が「世界最古」の遺跡であること
・日本の神道のような信仰は世界中にあったが、今は日本にしか残っていないこと
・日本の前方後円墳は3世紀に出現したが、朝鮮南部の栄山江から発見された前方後円墳は5~6世紀のものであること(日本人が朝鮮半島に住んでいた証拠であると知った韓国人は朝鮮半島の前方後円墳を爆破した)
・百済では1世紀になって初めて稲を作るべしとの王令が出たこと
・日本の農業用語に朝鮮由来の言葉がないこと(朝鮮から伝来していないから)
・日本書紀が書かれたのは8世紀だが、朝鮮の三国遺事が書かれたのは13世紀であり、日本の神話が朝鮮の神話よりも古いこと(日本の神話が朝鮮の神話を真似たというのは嘘。朝鮮神話が5000年前の熊太郎(檀君)神話を実話として教科書で教えているのは荒唐無稽)
・朝鮮が属国だったから、朝鮮からの使節が外交使節でなく朝鮮通信使とされたこと
・現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という・屈辱的な隷属の象徴の門だったこと
・朝鮮国王は 中国の王朝の皇帝によって任命されたこと
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならなかったこと
・朝鮮国王の地位は、中国の王朝の廷臣よりも下だったこと
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてなかったこと
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もなかったこと 朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならなかったこと
・新羅が日本の属国であって、新羅の王子が日本に人質にとられていたこと