韓国ゼネコンによって建設され崩壊した建造物
韓国ゼネコンのSK建設がラオスで施工中だったダムの崩壊事故後。犠牲者を出す大水害が発生し、国際的な賠償問題に発展しています。これまで、安価な建設費で請負う姿勢を武器に国外攻勢をかけてきた韓国ゼネコンですが。度重なる施工物件の倒壊事故によって、その勢いは減速しつつあります。
漢江の奇跡が生み出した建設業の歪み
国土に資源の少ない韓国にとって。海外の巨大建造物入札は、自国経済の発展させるため。長年、最重要視してきた事業でした。「アジアで建設施工した建物の崩壊で追い詰められる韓国ゼネコン」でなぞった通り。これまで韓国ゼネコン各社は、国際情勢の変化を巧みに利用して。東南アジアや中東国家と関係を築き、受託費用の安さを売りにして多くの公共インフラを建設してきています。
しかし、漢江の奇跡による70年代の経済成長によって、勃興した建設企業間による。悪しき安請け合い競争は、海外進出が加速した90年代に入っても続き。海外の大型入札案件の競争にも、色濃く反映されてきたのです。また、東南アジアの財政事情が芳しくない国々では、インフラ開発に多額の投資を回すことがままならず。進出が容易と踏んだ韓国ゼネコン各社は、東南アジアのインフラ建設入札に注力してきました。費用を抑えて施工する訳なので、必然的に手抜き工事が横行していたと。考えるのにも無理がありません。事実、ラオスのダム崩壊だけでなく、韓国ゼネコンが過去。建設した建物が国内外問わず倒壊している事例は枚挙に暇がありません。
崩壊事故は90年代から多発していた
韓国ゼネコンが建設した建築物が不安視されていたのは、今に始まったことではありません。1987年に行われた民主化宣言も相まって。韓国の財閥は建設業を成長産業とみなし、中東の石油化学プラント開発から国外事業を拡大していきます。他方、国内では多数の犠牲者を出した崩壊事故が2件連続して発生。韓国ゼネコンに対する国際的な信用が揺らぐものの。低予算で建設を引き受けてくれる。韓国ゼネコンにインフラ開発を任せる風潮は、財力に余裕が無い国々で広まっていきます。
聖水大橋崩落事故

崩落した旧聖水大橋
※Wikipediaより
東亜建設産業グループが1979年に完成させた。ソウル・漢江に架かる聖水大橋の崩壊は、韓国建設業の信頼を揺るがず大規模崩壊事故でした。朝の通勤ラッシュで込み合っていた聖水大橋は、1994年10月21日7時38分ごろ。橋の中央部分が突如崩壊し、死者32名、負傷者17名を出す事故建造物に成り果てたのです。
崩壊の原因がトラス接合部分の接合不良による手抜き工事と判明した上。錆びなどの経年劣化に、適切な点検を怠っていた経緯が明らかになると。批判は過熱していき、ソウル市長は更迭。開会中の国会は一時中断され、時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領がテレビで国民に謝罪する。異例の事態となったのです。さらに翌年、東亜建設産業トップの崔元碩(チェ・ウォンソク)会長が、前任大統領の盧泰愚(ノ・テウ)との間で秘密資金を融通し合っていた問題が浮上すると。東亜建設産業の経営状態は傾きはじめ、その後のアジア通貨危機に耐え切れずグループは崩壊しました。
聖水大橋は崩壊後、現代建設によって新たに建造され、1997年に再開通されたものの。橋脚のセメント構造物の厚さがまばらだった手抜き工事が発覚し、再びソウル市民の不安を駆り立てました。一度だけでなく。二度も安全性に疑念を持たれた聖水大橋は、今でもソウル市内に架かっていますが。当時を知る人々にとって、崩壊事故の記憶は拭えずにいます。
三豊百貨店崩壊事故

倒壊した三豊百貨店
※Wikipediaより
韓国政府も、聖水大橋の崩壊を反省して。急ぎ、建造物の崩壊や倒壊による災害対応を明確に定める。災難管理法の審議に入りました。ですが、法案が制定される直前の1995年6月29日17時57分ごろ。三豊財閥系の三豊百貨店が突如として倒壊し、死者502名、負傷者937名、行方不明者6名と。聖水大橋崩落事故よりも多くの犠牲者を出す大事故が発生したのです。
この倒壊事故の原因も、親会社である三豊建設産業の方針による施工計画の変更。及び、手抜き工事によるものだと判明し、国民の建設会社に対する嫌悪感が再燃することになりました。倒壊事故後、三豊建設産業トップの李鐏(イ・ジュン)と所在していた前ソウル市瑞草区長が逮捕され、災難管理法も1995年7月に制定されますが。三豊建設産業は翌年に倒産。住宅不足解消を目的として、ソウル近郊に80年代建てられた高層マンションは。完全性への不安から軒並み売却され、不動産価格は大幅に下落しました。アジア通貨危機で大打撃を呼び込む遠因にもなった。とも、捉えられるでしょう。
三豊百貨店の倒壊事故は、2013年にバングラデシュの縫製工場ビルが倒壊するまで。史上最大規模の巨大建造物倒壊事故として、韓国ゼネコンに暗い影を落としました。反面、アジア通貨危機による借入金を回収するため。韓国企業は海外市場開拓への道を選択せざるを得なくなり、ゼネコン各社はアジア市場へ攻勢を強めていきます。
コロール・バベルダオブ橋崩落事故

崩落した旧KB橋
※Wikipediaより
韓国で建造物の崩壊が相次いでいた時期、国内で建設されている高層マンションへの信頼が揺らいでいたのと同じく。既に、海外で建造されていた韓国ゼネコンの建築物も、崩壊する可能性があるのではと。主たる顧客であった、アジア各国の国民から叫ばれはじめました。その不安は、1994年にアメリカ委任統治から独立したばかりの小国家。パラオで現実となります。
漢江の奇跡によって経済が昇り調子だった頃。当時の統治政府が、パラオの中心部である。コロール島とバベルダオブ島をつなぐ橋の建造を入札案件として、外国ゼネコン向けに募集しました。これに手を挙げたのが日本の鹿島、韓国のSOCIOでしたが。SOCIOが鹿島の半額で橋を建造すると提案したため。資金の工面が難しい統治政府は話に乗り、1977年にコロール・バベルダオブ橋(通称:KB橋)がSOCIOによって建設されます。しかし、橋は間もなく中央部の凹みが目立つようになり、1990年から230万USドルをかけて補修するも改善せず。1996年9月26日17時45分、橋は中央部から崩壊しました。
重大インフラを失ったパラオ政府は非常事態宣言を発令。後に「暗黒の9月」と呼ばれる国家の危機に、国際社会からの援助を要請しました。結局、これに応じた鹿島が日本政府の開発援助により、橋を無償で再建することとなりました。パラオ政府は、国家の財政事情を優先して。韓国ゼネコンに建設を委ねた結果、自国の最重要インフラを再建できない事態に陥ったのです。
海外へ広がる手抜き工事
90年代の韓国建設業界は、国内外の自社建設物の倒壊が相次いだだけでなく。アジア通貨危機によって、大宇建設などの巨大ゼネコンが体制崩壊するなど。大きなダメージを負いました。その結果、IMFから注入された借入金を回収するため。韓国ゼネコンは、無理強いでも海外進出へ突き進んでいくことになります。
マレーシアの競技場が崩壊

2度目の倒壊事故の写真
※Wikipediaより
前出の「アジアで建設施工した建物の崩壊で追い詰められる韓国ゼネコン」でも語った様に。00年代に突入して韓国ゼネコンは、ブルジュ・ハリファなど。アジア圏内で巨大高層ビルや化学プラントの建設を増して進めます。一方、韓国ゼネコンの手抜き工事体制は改善されることなく。建造先の国々では、歪んだ企業文化の被害に悩まされることになります。
マレーシア・トレンヌガ州では2009年6月2日7時30分に、完成して1年しか経たない競技場。スルタン・ミザン・ザイナル・アビディン・スタジアムの屋根が崩壊しました。幸い、早朝に倒壊したため、死傷者は出なかったものの。スタジアムの修復に約89億ウォンもの費用がかかると試算される大規模倒壊となったのです。すぐに、施工した韓国の小規模建設会社Sは責任を追及され、屋根の修繕が試みられたものの。2013年2月20日に、建設中の屋根は再び倒壊。再建は諦められ、現在は日差しよけの無いスタジアムとして運営されています。
折しも、建造当時の国王であったミザン・ザイナル・アビディンの名を冠した。マレーシアを代表するはずの建造物崩壊に。マレーシア国内では、首都クアラルンプールにそびえる。サムスン物産が建設したペトロナスツインタワーが傾きかけている状況と併せて、建築物に対する不安が増幅されたのです。
ベトナム建設作業現場の崩壊

崩壊したハノイの建設現場
※Thanh Nien Newsより
東南アジアの国々は、先進国企業からしてみれば成長市場であり。大規模公共インフラの多くは、外国向けの入札事業で選定されます。ただし、東南アジア諸国の中でも比較的GDPが高いマレーシアやベトナムであっても、建設費用の抑制は強く念頭する傾向にあるため。安価な建設費で請け負うゼネコンに仕事を任せた末、建物が倒壊する事故が発生しやすい。劣悪な建設現場が生まれやすい環境なのです。
特にサムスングループが大規模な投資を実施しているベトナムでは、2013年からサムスン物産による。大規模なインフラ開発がベトナム全土で行われており、戦略的パートナーシップに基づいた国家プロジェクトによって。ベトナム建設業界に巨大な影響力を持ちつつあります。しかし、懸念されていた無茶な施工計画が影響してか。2015年3月26日、ハノイでサムスン物産が幹事業者だった工事現場の足場が倒壊。42名の死傷者を出す大惨事となりました。これに対し、ベトナム警察は倒壊現場に関わっていたサムスン物産の社員48人を出国禁止とする。厳しい対応を執り、徹底した聞き取り調査を行ったのです。
ただ、倒壊事故が起きた裏で。ベトナム政府は、サムスン電子の生産開発拠点の建設を推し進め。2017年には、ベトナムの輸出額中24%がサムスン電子絡みの物品となり。韓国経済と密につながる状況を政府自身が主導しました。そのため、今後もハノイの工事現場倒壊事故と同じような。無理な現場監督指示によって、惨劇が繰り返される可能性は一概に否定できないのです。
ラオスのダム崩壊で大災害発生
冒頭で触れた様に。2018年に入って韓国ゼネコンは、ついに国際賠償問題に発展する崩壊事故を引き起こしてしまいました。詳細は「SK建設が施工したダム決壊により追及される韓国とラオス」で記していますが。2018年7月20日から23日にかけて、SK建設が施工していた。ラオスのセーピアン・セーナムノイダムが徐々に崩壊していき。決壊の末、濁流が麓の集落に住む住民たちを襲い。多数の死傷者、被災者を生み出したのです。
無論、ラオス政府は怒りを顕わにしており、SK建設を筆頭に韓国側へ責任追及する姿勢を強めています。これにSK建設側は豪雨による災害だったと主張していますが、ダム崩壊の原因が明白になりつつあり。他の韓国ゼネコンを含め、今後の韓国建設業へ大打撃を与える事態は避けられない様相となっています。
風土を変えねば手抜き体質は改善できない
かつて世界最貧国と言われた韓国が、漢江の奇跡によって急激に経済成長した反面。建設業界の不健全な体質は定着していき、90年代から数え切れないほどの倒壊事件を引き起こしてきたのです。インフラ建設を依頼した国々の関係官僚も、韓国ゼネコンとの付き合い方を考え直す時期に来ている、と。心中思っていても不思議ではありません。ですが、国家財政と建造物崩壊のリスクを天秤にかけた際。どうしても財政的な点を優先せざるを得ない。東南アジア各国のジレンマも、韓国ゼネコンの海外事業問題を考える上で汲み取らねばなりません。
一方、苦しい財務事情を良いことに。自国の手抜き工事文化を海外へ伝播させている韓国ゼネコンの罪は重く。今後、国際社会からの批判が激しくなることは間違えないでしょう。そういった意味では、韓国ゼネコンが体質を省みて。崩壊した建物の施工責任を総じて認めていく潮目が到来しているのです。


