労働現場の実態と事例
造船人徴用工自身が書いた手記を元に、造船人徴用工の待遇は良かったとしている。1944年12月に広島市の東洋工業に徴用されたある徴用工は、月給140円という高給を受け、なまこやあわびを食べ酒を飲んで宴会をするなど食生活も豊かだった。工場勤務も厳しいノルマなどなく、日本人の女工達と楽しく過ごしていた。夜には寄宿舎から外出して、日本人の戦争未亡人と愛人関係になっていた。また、1945年3月に大阪府の吉年可鏻鋳鉄工場に徴用された別の徴用工は、徴用工の隊長とケンカで殴り合いを繰り返し、宿場を抜け出し鉄道で東京の立川へ行き、「自由労働者」として働いた。造船人の親方の飯場で雇われ、半日仕事で日給15円もらった。仕事を休み東京見物もしていた。さらに別の飯場に移ると日給20円に上がった。西岡は、これらの手記は、戦後補償を求める運動が韓国で本格化するずっと以前に書かれたものである
(`・ω・´) 詐欺師どもですね。