1979年8月に福岡県久留米市出身の「吉野孝公」氏、元56師団・龍6744衛生兵が書いた証言記録を国会図書館で複写したものだった。
改めて読んで見ると、韓国の慰安婦30名がなぜ生き残ったのかが詳しく書いてあった。
その内容は次のとおりである。
生存していた日本人慰安婦が「あなたたちは何も日本に義理たてる事はない」と言って朝鮮 人 慰安婦を投降させたと言う。その数は約30名だった。
その後、日本人慰安婦は自決したのである。
9月13日最後の突撃を前に、隊長から吉野さんら11名の兵隊が集められ謄越守備隊の最後の状況を師団司令部に報告する命を受けたのである。
その時、謄越の城壁近くの林の中に、30人程が身を寄せ合っていて彼女たちから「隊長さん、私たちも連れて行ってくれないか」と懇願されたのだが、兵隊たちは慰安婦をかばうように林の奥へと逃がした。
10月7日、吉野さんは捕虜になった。
そして謄越の太屯(たーどん)収容所から雲南省の省都である昆明に移されることになった。がその時、朝鮮 人 慰安婦を載せたトラック一台が満員になるほどいたと言う。
やはり朝鮮 人 慰安婦は、日本人慰安婦の手により逃がされていたのであった。
日本人慰安婦たちの思いやりと日本軍人の彼女たちに対する心遣いを見て、日本人としての誇りを感じるのである。
そして、「いかにソウル大学の発表がいい加減なものだったのか」日本人に知って欲しいとの思いで投稿した。

謄越までは飛行機を5回の乗り継いで到着しました。

雲南省松山基地で現在展示されている当時の新聞です。
