ベトナム民間人虐殺、韓国政府提訴へ 「村人を1カ所に集めては手榴弾を……」残虐な加害の実態
4/30(木) 11:00配信
「ベトナム民間人虐殺」で韓国政府を初提訴
4月21日付の朝鮮日報オンライン版が〈「民弁「ベトナム民間人虐殺について賠償せよ」、韓国政府を初提訴」という記事を配信したのだ。
以下、記事を引用する。
〈ベトナム戦争の際に生き残った女性が、韓国軍に虐殺の被害を受けたとして大韓民国政府を相手取って訴訟を起こした。民主社会のための弁護士会(民弁)の「ベトナム戦争時期の韓国軍による民間人虐殺の真相究明のためのタスクフォース(民弁ベトナムTF)」は21日午前、ソウル中央地裁前で記者会見を開き、グエン・ティ・タンさん(60)=女性=を原告とする訴状を提出したと明らかにした。ベトナム戦争での民間人虐殺の被害を主張して韓国政府を訴えた初のケースとなる。
グエン・ティ・タンさんは8歳だった1968年12月、韓国軍に銃撃されて母親や姉、弟、伯母、いとこなどが犠牲になったとして訴訟を起こした。グエンさんと民弁TFによると、当時ベトナムのクアンナム省ポンニ村で韓国軍青竜部隊に所属する軍人らによる銃撃が発生し、非武装地帯の民間人74人が虐殺されたという〉
慰安婦問題や徴用工問題が太平洋戦争時の論争であるのに対して、ベトナム戦争はより新しい問題であるといえる。日韓歴史問題においては補償についての議論が度々行われてきたが、ベトナム戦争下における韓国軍の蛮行については、未だ公式な補償が行われていない。
韓国軍の蛮行は韓国人女性ジャーナリストであるク・スジョン氏の調査によって1999年、初めて韓国内でも知られるようになった。
私はあるきっかけでベトナム戦争においての、韓国軍の所業を知ることになった。私が取材でホーチミンを訪れることになったきっかけや、ク・スジョン氏との出会いについて拙著の一節を紹介しよう。
ク・スジョン氏とはホテルマジェスティックで待ち合わせをすることになった。
サイゴン川の畔に建つホテルマジェスティックは、1925年に開業したヨーロッパ調の建物で有名なホテルだ。ベトナム戦争時には各国の記者や通信員が宿泊したホテルとしても知られている。作家の開高健氏やジャーナリストの近藤紘一氏も、新聞社の特派員として同ホテルを拠点にしていた。ミーハーな私は、少し心を躍らせながら取材に向かっていた。 「はたして日本人だけが悪いと言えるのでしょうか」
ロビーカフェに現れたク・スジョン氏は、真っ黒に日焼けし、優しい笑みたたえた女性だった。
彼女は自分の肩書きを「平和活動家」と自己紹介をした。彼女が日本メディアのインタビューを受けるのは初めてだという。
ク氏は開口一番、こう話を始めた。
「はたして日本人だけが悪いと言えるのでしょうか。韓国人も過去、ベトナム戦争で凄惨な行為をしていました。しかしその事実を、韓国社会はいまだに受け入れようとしないのです。
私がベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を知った契機は、1997年に手に入れた一通の資料でした。当時、私はホーチミン大学に留学しており、修士論文のテーマを探していた。そこでベトナム共産政府の政治局・戦争調査委員会がまとめた『南ベトナムでの南朝鮮(韓国)軍の罪』という報告書を見つけました。資料には韓国軍が5000人あまりの民間人を虐殺したと書かれていたのです。
私は韓国人として信じられない思いでした。この資料をどうすべきか、最初の数年間は悩みました。やがて私は、資料にまだ書かれていない事実があるかもしれないと思うようになり、行動を始めました。まずは大量の高麗人参茶を買い、ワゴン車に積み込みました。自分で調べよう、お茶を配りながら、虐殺の被害にあったという村の人々を訪ねてみようと決意を固めたのです。現地調査を重ねていくと、それ以上の事実が次々と明らかになったのです」
ク・スジョン氏は留学を終えてもベトナムに留まり続けた。ベトナム戦争における韓国軍の「犯罪」について緻密な調査を続けた。祖国の罪から目を背けることが出来なかったのだ。
「村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた」
韓国がベトナム戦争に参戦したのは、朴正煕政権時代のことだ。内戦に介入していた米国が北爆を開始し、ベトナム戦争が本格化。1964年から支援部隊を送っていた韓国も本格的な派兵を決める。南ベトナム政府からの要請という名目で1965年に集団的自衛権を行使し、朴大統領は延べ32万人もの兵士を投入したのである。
派兵されたのは「猛虎隊」、「青龍隊」、「白馬隊」と呼ばれる3部隊だった。大規模な虐殺が行われていたのは、主にフーイエン、ビンディン、クワンガイ、クワンナムの4か所。いずれも韓国軍駐屯地の周辺だった。
韓国軍はベトナム人から「ダイハン(大韓)」、「朴正煕の兵士達」と呼ばれ、怖れられていたという。
ク・スジョン氏が生々しい証言について語る。
「生き残った方々の証言から、村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた、生まれたばかりの乳児が40人以上も殺された、などという凄惨な話が次々と出てきました。機関銃で殺したり、洞窟に逃げ込んだ村民を催涙ガスで燻りだして銃殺するケースもあった。
なぜ虐殺が起きたのかといえば、韓国軍が基地を作るためでした。基地を作りたい場所の周辺に村があると、敵が潜伏する隠れ家になりやすい。そこで村人を戦略村(事実上の収容所)に送ろうとしたのですが、ほとんどの村人は村を離れようとしなかった。『私は1mmもここから離れません』と標語を掲げたり、木にしがみ付いて戦略村送りを拒否する村人が多かった。
そこで韓国軍が選んだ方法が虐殺だったのです。虐殺の85%は1966年に集中していますが、ほとんどは基地設営のためでした〉
虐殺は「まるでウサギ狩りでもするかのように行われた」とク・スジョン氏は嘆いた。彼女は90年代から現在に至るまでベトナム戦争における韓国軍の問題の調査を続け、問題提起を続けてきた。
だがク・スジョン氏の正義感は裏目に出る。詳しくは拙著で確認して頂きたいが、彼女は行動を起こしたことによって韓国社会から非情ともいえる仕打ちを受けるーー。
戦争という厄災にどう決着をつけるのか。それは日本だけが問われる問題ではなく、数多ある戦争に関わった国すべてに問われるべき問題だ。
文政権が日韓歴史問題を声高に叫べば叫ぶほど、韓国もまたベトナム戦争という「歴史問題」に向き合うことが求められることになる。
赤石 晋一郎
韓国人の残虐性は呆れるばかりだ。いったいいつになったら韓国は謝罪と賠償をするのだろう。