それから何日かたったある日の明け方、プンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音を忍ばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました…行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。
包みをそうっと開けてみると、本当に赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。私を入れて娘たちが全部で5人いました。そのまま駅に行って汽車に乗り、慶州で一軒の旅館に入りました。
オンマは、生まれたばかりの弟のいる部屋の方にいました。わたしの家はわらぶき屋根の家で、後ろに小さな窓がありました。何か物音が聞こえたようなので窓の方を見ました。すると、数日前、ヨモギ採りにさそってくれた友だちが手招きしています。
「なんだろう」
外に出てみると、友だちのそばに目深に帽子をかぶった軍人が立っていました。友だちは、その男から手招きされるようにいわれたといい、わたしに風呂敷包みを渡しました。さわってみると、そこには靴と服が入っているようでした。
「いっしょに来い」
軍人はそういうと、歩き出しました。怖くなって逃げようとしたのですが、友だちが「行こう」といって歩きだしたので、わたしも風呂敷包みをもってついて行きました。近くの踏切まで行くと、そこに三人の女の人が待っていました。そして、そのまま駅につれていかれ、五人は汽車に乗せられました。わたしはそれまで、汽車に乗ったことがありません。怖さと不安と乗り物酔いで、わたしは吐きながら叫びました。「オンマ!オンマ!」
軍人はわたしを黙らせようと「チョウセンジン!」「チョウセンピー!」と怒鳴りながら、わたしの髪をつかんで床にたたきつけました。
韓国国内では元慰安婦女性は(銅像も含めて)神聖にして侵すべからざる存在であり、その証言は聖書の聖句のように、一字一句疑わず押し頂かなければならないものなのである。そうでない輩は「親日派」「売国奴」として、糾弾され、社会的に抹殺される。