1910年の韓国併合後、大勢の日本人女性が韓国人男性と結婚し、夫の母国で生きることを選択をした。
だが戦後、多くの女性が不遇な目に遭い、故郷に帰りたいと願いながらも韓国で暮らすことを余儀なくされることとなった。
運命に身を委ね、いまは静かな余生を送る彼女たちの“終の棲家”で米紙の記者が見たものとは──。
ここは、韓国の慶州にある老人介護施設「ナザレ園」。
カツラ・スズエ(96)は、自分がこんなところで老後を迎えることになるとは夢にも思わなかった。ここにはいま、彼女のような19人の日本人女性たちがひっそりと暮らしている。
終戦後、日本が韓国の支配権を失うと、韓国人からの報復を恐れて日本へ逃げ帰る女性もいた。だが、多くの日本人妻は夫と共に韓国に残った。
スズエのように、日本から夫の母国に渡って来たケースもある。
だが、植民地支配後の韓国人の反日感情は強く、女性たちに対する社会の目は冷ややかだった。夫の親が息子のため、韓国人の新しい配偶者を連れてくることも珍しくなかった。
また、1950~53年に起きた朝鮮戦争で、多くの韓国人女性と同様に、日本人女性も夫を亡くした
日本と韓国の歴史的な対立は根深い。特に韓国人は、太平洋戦争中の従軍慰安婦の問題について語るとき、感情を昂ぶらせる。
だが、スズエのように、韓国社会で忘れ去られた日本人女性に対する配慮はなく、彼女たちは両国から見放されている。
車椅子に座っているスズエは、日本の北に位置する北海道の江別市の出身だ。
彼女は70年も前に地元の発電所で、どうやって「韓国人の紳士」と出会ったかを話してくれた。
その表情は、明るさに満ちていた。
だが、韓国での生活の様子を尋ねると、あっという間に口数が減ってしまった。
スズエの夫は、アルコール依存症で何十年も前に亡くなった。その後、彼女は韓国の南西部でタバコや家畜を育てたり、ソウルで野菜を売ったりして、何とか食いつないでいたという。9年前に体力の衰えを感じて、この介護施設に入ることにした
「私は早くに息子を亡くしたからね」