日本で海苔が食されていた歴史は古く、701年の法律書「大宝律令」にも、調停への調(租税)の品目として、30種類に及ぶ海藻のうちに「海苔」という文字が記されている。当初は、現在の佃煮のように加工された食品で、養殖技術は確率していなかったために、貴族向けの高級品であったとされる。

987年の書物「宇津保物語」には、「甘海苔」や「紫海苔」といった、現在でも使われる名称も登場している。

海苔の養殖が始まったのは、1717年のことで、浅草の漁師だった弥平(Yahei)が、魚を採るための竹細工に、海苔が良く付いていたことから販売し始めた。やがて、18世紀中期には、和紙を生産する日本固有の漉き紙法を利用した、「板海苔」が誕生する。

このことから、当初は「板海苔」は、「浅草海苔」と呼ばれ、江戸の名産とされていた。

(総督府の釜山水産試験場は、現在の釜慶大学)
さて、朝鮮半島で海苔の養殖を始めたのは、半島の物産生産力を高めようとした日本総督府である。釜山に設置された水産試験場では、主任技師・富士川きよし(Fujikawa Kiyoshi)と、全羅南道所属の水試技師・金子政之助(Kaneko Masanosuke)の両氏が苦労して海苔の養殖技術を高め、「浮きヒビ漁法」という新しい技術を1928年に獲得する。釜山水産試験場では年間200万株が15年後に10倍の生産量になるなどし、この漁法は日本各地にも広まっていった。

(総督府が開発した、浮きヒビ養殖)
もともと、釜山の海苔はほとんどが朝鮮在留の日本人移民向けのものであり、韓国人は日本食に親しむ一部の人にしか流通されていなかったため、日本総督府から水産試験場と養殖地を取り上げた韓国政府にとっては、この海苔をどのようにするのかが悩みの種だった。そのために、「三角海苔巻」という名称で、日本風のおにぎりが生み出されたとも言われている。もっとも、その後も60年代、70年代を通して、板海苔は日本人観光客向けのお土産として多くが消費されていた。

その後、いよいよKimbapが登場する。開発したのは、日本人の秋山栄一(Akyama Eiichi)氏だ。ロッテが韓国で初めてとなる百貨店「ロッテ百貨店」を1979年にオープンするにあたり、日本で百貨店業務に携わっていた秋山氏を統括責任者に抜擢。秋山氏は、まだ所得の低かった韓国人だけを対象にするのではなく、日本人の観光客向けの商品開発に乗り出し、その中から生み出された商品の1つが、朝鮮産のごま油を塗った「海苔巻」、つまりKimbapだった。Kimbapは、韓国人の所得が上がるにつれ、韓国人の食生活にも定着していったという。
つまり、Kimbapは、1979年に日本人が生み出した、日本の「太巻き」の亜流なのです。