世宗が15世紀にハングルを考案(モンゴル文字のパクリだが)
普及することも無く19世紀には死文字化
李氏朝鮮末期の1880年に福沢諭吉により派遣された井上角五郎は「朝鮮の独立と朝鮮 人の啓蒙の為には、朝鮮語による新聞の発行が不可欠」という福沢の教えを実現するためにハングル普及に努める
そして1886年1月、井上の尽力により発行された「漢城周報」は朝鮮の歴史上、初めてハングルが使われた公文書だった。
つまり死に体だったハングルを普及させたのは日本人だったわけ。
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世宗が15世紀にハングルを考案(モンゴル文字のパクリだが)
普及することも無く19世紀には死文字化
李氏朝鮮末期の1880年に福沢諭吉により派遣された井上角五郎は「朝鮮の独立と朝鮮 人の啓蒙の為には、朝鮮語による新聞の発行が不可欠」という福沢の教えを実現するためにハングル普及に努める
そして1886年1月、井上の尽力により発行された「漢城周報」は朝鮮の歴史上、初めてハングルが使われた公文書だった。
つまり死に体だったハングルを普及させたのは日本人だったわけ。
세종이 15 세기에 한글을 고안(몽골 문자의 파크리이지만)
보급하는 것도 없고 19 세기에는 사문자화
이씨 조선 말기의 1880년에 후쿠자와유키치에 의해 파견된 이노우에 카쿠고로는 「조선의 독립과 조선인의 계몽을 위해는, 조선어에 의한 신문의 발행이 불가결」이라고 하는 후쿠자와의 가르침을 실현하기 위해서 한글 보급에 노력하는
그리고 1886년 1월, 이노우에의 진력에 의해 발행된 「한성주보」는 조선의 역사상, 처음으로 한글이 사용된 공문서였다.
즉 죽은 몸이었던 한글을 보급시킨 것은 일본인이었다 끓어라.
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