正月を前にした1903年2月5日、ソウル・孔徳洞の万里峙路で投石戦が開催された。9000人を越える参加者が集まり、野次馬の数も数万人に上った。
投石戦を観戦していた雲山金鉱で働くアメリカ人の従業員、クレア・ヘス(Clare W. Hess)は、足元に転がってきた石を投石戦が行われている会場に向かって投げた。これが不幸なことに、参加していた韓国人に当たってしまった。ヘスの周りには6人の西洋人がいたが、6人とも、石をぶつけられたことで激怒した群衆がその腹いせに襲い掛かってくるのではないかと恐怖を感じていた。しかし、幸いなことに韓国人は罵声や抗議などは行ったものの、それ以上のことはしなかったという。これはイタリアの外交官、カルロ・ロセッティが残した記録である。
投石戦は高句麗時代から存在していたとされており、当初は国家行事的な扱いを受けることもあった。朝鮮時代には正月や端午の日に行われた遊び。内容はその名の通り石を投げ合い戦う遊びであり、村と村が野原や川を挟んで戦った。勝負は一方が降伏するまで続けられるため何日間も続く場合もあったという。死傷者が多数出る危険な遊びだけに当局から禁止されるがしばしばあった。日本が韓国を併合した1910年に禁止されその後は行われていない。

▲1902年2月8日に紹介された投石戦の描写
▲投石をする様子
互いに石を投げあい、どちらの頭が先に割れるかを競う未開な朝鮮文化を日本帝国が撤廃した
朝鮮では、優れた朝鮮の男性的な文化を日本軍が脅して撤廃したと主張しているが、実状は、毎年この未開文化の遊びで死者が続出し、通りすがりの通行人も被害を受けると、日本が危険だと撤廃したのだ