韓国の国宝第1号の、南大門(ナムデムン)を日帝が決めた、けしからん!
そんなこと言ってたら火事になって望みどうりになってしまった。w
70年の歳月が流れる間、よその国が決めた国宝第1号を、皆が誇らしく思い、覚えていたわけではない。 特別な意志を持っている人々が、国宝第1号を変えよう、との意見を数回にかけて表明した。 植民地時代が残した一種の文化的烙印を、独立した後も額に押されたままの格好、だというそれらの主張は妥当だった。 だが、大韓民国の文化的自尊心を取り戻そうという進言は受け入れられなかった。
それなら、韓国の堂々とした国宝第1号の候補は何だろうか。 学界と文化界の人物が口を揃えて、取りあげている宝物が『訓民正音(ハングル、1446年に朝鮮時代第4代王・世宗が公布)』だ。 世界で最も若い音字として、優れた科学性が認められている『訓民正音』が、国宝第70号に押されているのは、残念なことだ。 「国の言葉が中国とは異なり、漢字と互いに通じず...」から始まる世宗(セジョン)大王の創製精神は、民族の自主性を節ごとに刻み込んだ、一種の文化独立の宣言だった。
この貴重な文化財も、ややもすれば消え去ってしまいそうな危機があった。 1930年代末、『訓民正音・解例本』を家宝に保管してきた所は、慶尚北道安東(キョンサンブクド・アンドン)の李漢杰(イ・ハンゴル)家。 時は、朝鮮総督府が各級学校で朝鮮語教育をなくし、日本語だけを使うよう強いていた1938年で、『訓民正音』は見方次第では危険な所蔵品だった。 その時、動いた人物が、澗松・全蛍弼(カンソン、チョ~ン・ヒョンピル、1906〜62)だ。 十万石とされる家産を、日本に抜け出されるところだった韓国文化財を守るのに捧げた同氏が、その名品を見逃すはずがなかった。 ソウル仁寺洞(インサドン)骨とう通りの商人から『訓民正音』の話を聞いた澗松は、感激と興奮で、当時、住宅数軒の値段にあたる金額を惜しまず支払ったという。
『訓民正音』をはじめ、まだ、手入れ作業が終わっていない澗松の所蔵品が集まっている所が、ソウル城北洞(ソンブクドン)の澗松美術館だ。 毎年、春と秋に、企画展示会を設け、韓国伝統文化の優秀さを広く知らせている同美術館で、現在、42回目の正規展示会として「玄斎(ヒョンジェ)大展」が開かれている。 韓国人の心の中の国宝第1号『訓民正音』が息づいている家だ。鄭在淑(チョ~ン・ジェスック)文化部次長
2004.10.19 20:54:2
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56888&servcode=100§code=100