韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか―
「中立派」文化人類学者による告発と弁明

『学問とは本来、ナショナリズムや愛国主義から脱皮しなければならない。それが真の「学問の自由」である』との立場から、韓国人文化人類学者が「戦争と性」「韓国社会と性」の問題を、韓国のタブーに踏み込んでまで書いた著作。
【本書より抜粋】
本書のテーマは「韓国人」と「性=セックス」についてである。私のセックスに関する考え方の原点は、1950年に起きた朝鮮戦争での体験である。当時私は10歳であった。
朝鮮戦争で国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使のような軍と思われていた。しかし私の故郷の村で、韓国民にとって味方であるはずの国連軍によって行われた婦女暴行は凄惨を極めた。
最初、村人たちはみんな手を振って、背の高いスマートな兵士たちを歓迎した。車などこれまで見たこともない村人にとって、大きな部隊が来て、ジープがたくさん来るだけでも大喜びだった。
さらに、ろくな食べ物も食べてないところへ、彼らはチョコレートやドロップ、ビスケットをバラまくものだからたまったものではない。彼らから配給された缶詰なども腹いっぱい食べ、村人たちの兵士に対する好感度は日に日に高まった。しかし残念なことに、そういう期間は非常に短かった。
彼ら米軍は村人たちが危惧していた通り、間もなく女性たちを略奪しはじめた。ある結婚したばかりの女性は、畑に肥やしをやっているところを兵士にジープで連れて行かれた。彼女は一か月近く行方不明になっていて、ある日、同じ場所にジープから下ろされて村に帰ってきた。米兵たちは軍用犬のシェパードを連れてきて探す。女たちは積んである藁の中に隠れたりするが、たちまち犬に見つけられてしまう。
襲われるのは若い女性だけではなかった。お婆さんと一緒にサツマイモ畑で仕事中の11歳の少年も性暴行を受けた。そばでお婆さんが大声で泣いているのに、平気でそういうことをやっていた。
そのような危機の期間は長くて2か月くらいの期間にすぎなかった。なぜなら村に売春婦たちが入ることによって、性暴行がなくなったからである。儒教的な倫理観が強いその村では、それまで売春婦を置くことなど許されなかったが、戦争という不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦を認めざるを得なかったのである。
これが、慰安婦問題を論じる上で、日韓両国そして国際社会が避けて通れない「米軍慰安婦」の成り立ちである。
しかし、それについて韓国国内で論じることは長きにわたってタブーとされた。私は呉善花氏と対談した本の中で、国連軍によって私の故郷の村が恐ろしい性暴力を受け、それを防衛するために売春村になったことを語った。これに対し、韓国国内から肯定的な反応は全くなかったどころか、韓国のテレビ局などから、容赦のないバッシングを受けることとなった。
いま日韓において不和の火種になっている問題として、いわゆる「従軍慰安婦」がある。最悪の日韓関係の中で、反日や嫌韓などの書物が氾濫しており「従軍慰安婦」に関するものも多い。戦争にはセックスが付きものであるという否定できない事情はあるわけだが、旧日本軍については、朝日新聞の誤報により国際的に「性奴隷」として批判されている。
韓国政府は常にセックスや性倫理を政治に利用しており、今問題になっている慰安婦問題もそのような類に過ぎない。
本書は、性と政治が深く関わっている韓国社会を理解するために、書き下ろしたものである。