1990年代末日本経済のバブルが裂けながら ‘忘れてしまった 20年’を経験した.
これは日本国民としてはあまりにも狼狽する事だった.
そのようにうまく行く日本に対する自負心があったが,
実はそれはバブルに過ぎなかったという見窄らしい自分たちの現実を直視するしかなかった.
すると過去の高かった自負心は一瞬に劣等感に変わってしまった.
が劣等感という心理が社会全般で広がって行きながらこれは日本人たちの文化になってしまった.
立てることが消えた日本国民の心には過去に対する郷愁が育ち始めたし,
抑圧された心が怒りに表出され始めた.
日本人たちに一番頭に来ることはひととき植民地支配下の住む事ができない国
韓国がこれから自分たちを追い抜いているという事実だ.
日本の既成世代は寒流文化に沸き返えるお子さん世代の姿を見ながら普通不便ではない.
それだけではなかった
SAMSUNG, LG などのブランドは全世界を荒しながら自分たちのブランドをつまんでのんでしまった.
そこに韓国の驚くべきなデモクラシー意識, 市民たちのデモなどに
対して ‘われらは何なの?’という考えをするようになった.
政治にあまり関心がないといえども, 大統領まで変えてしまう韓国の姿で
日本の劣等感はもっと深くなって強まったと見られる.
そこに中国まで世界的な位相を高めて見るともう過去の日本の姿を捜すことは大変になった.
日本はその自ら国際的な孤立を選択したという剃りある.
過去日本は ‘私たちどうし’という情緒が強かった. 自らの孤立を自ら招いたのだ.
それで甚だしくは日本人たちは ‘グローバル化しないで’という認識まで生じてしまった.
ところでこのような安楽な生活の追求が結局には ‘存在感ない日本’を作ってしまった.
もう国際社会で日本は大国としての位置よりは
歴史紛争, 福島汚染数を放出する ‘問題児’になってしまった.
過去のように日本ブランドは好む人もあまりいなくて日本人をあまり好まない.
このような押えつけられた感情は自分の怒りを外部でこぼし出す嫌韓の重要な心理的な土台になっている.
押えつけられたことはいつでも裂けるものと決まっている.
人の心理度同じだが, 一国民の集団的な情緒も同じだ.
うまく行きたいのに, 格好よい国家になりたいのにそれにならない状況だ.
この時できることがまさに ‘誰かを憎む感情’を作り出してそれ
のを向けて怒りを爆発させることで自分の慰労をするのだ.
そしてすぐこれが今日嫌韓の文化的で心理的な背景になると言える.