膝を ‘卓’ 打つしかない. ‘線を超える’ 韓国人と ‘線を引く’ 日本人の備えだなんて. 実力のない文章の中に両国の対照的な特徴をとかし出した腕前が尋常ではない. 果して韓国人と日本人はいくら似ていて, いくら違うか.
![[本の村] 韓国人は](https://img.hankyung.com/photo/202201/AA.28647055.1.jpg)
《線を超える韓国人線を引く日本人》は文化心理学者が韓・日両国国民の集団心性を暴いて紹介する赤裸裸の解剖島だ. 表で現われた両国人々の行動様式とコンテンツを比較・分析しながらその根本にある情緒的・文化的差を説明する.
本は終始一貫対比される両国国民の特性を圧縮的な話題を通じて見せてくれる. ‘墨部屋の国韓国’と ‘アダルト動画の国日本’を備えて, ‘テチァングする韓国人’と ‘鑑賞する日本人’を比べる式だ. 韓国仮面(河回の仮面)は表情が大きいが日本仮面(ノ−メン)は表情がない理由を掘り下げて, 韓国で ‘ガブジル’で人々をいじめて日本で ‘いじめ’で人々を弾き出す文化が形成された理由を説明する.
西欧の文化人類学者たちは韓国と日本を皆 ‘儒教集団株の’ フレームに大ざっぱに入れて分析したわけに両国の間に別に差がないと思った. しかし実際は両国が違っても特に違って, 文化の間隙は広くて広い.
一番目立つことは私と他人の境界に関する両国人の認識だ. 日本人は内部と外部, 自分と他人を明確に区分するのが好きだ. 自分の領域を確かに守ることと同時に他人の領域を侵犯することを極度に憚る. 一方韓国人は絶えずお互いに影響を及ぼしてフィードバックして一緒に何かを作って行こうとする. 私と他人の境界はいつでも出入りすることができると思う.
両国の間文化差の多くの部分がまさにこの地点でもたらす. 他人に ‘メイワク(迷惑・民弊)’をかけないという日本人はゲーム機と 1 対 1 プレーをするコンソールゲームを好む. 一方 PC方途一人で行きたがらない位に似合いたい欲求が強い韓国ではダズングゾブソックヨックハルスヘングゲ(MMORPG)に上手い人々が多い. あらゆる材料が似合うビビンパ, 魚肉とご飯の境界の明らかな寿司が両国食べ物を代表することも同じな理由だ.
人を信じる韓国人とシステムを信じる日本人の分かれ道が始まる地点もまさに私と他人の境界に関する部分だ. 甚だしくは社会不適応者の様態も妙に差がある. さしでがましい人が多い韓国では山に入って行く自然人で, 他人の生に干渉しない日本ではおなら席に埋めた秀明コモ里形態で現われる.
こんな性向は韓・日の伝統と現代文化で繰り返されて再現される. 韓国の鬼は恨みを抱いた悔しい事情を聞き入れて解決してくれれば易しく消えるが日本鬼は明らかな自分の領域があって, その所を侵犯した人々を害する. 日本人はアニメーションを通じて現実にない幻想の世界へ逃避しようと思って, 韓国人はドラマと映画で不便な現実世界と対面する道を選ぶ.
本は不慣れで理解しにくかった日本の多くの姿を細心によく見て, その間無心に越した私たちの姿を返り見る. その過程で隣り国に対する理解の糸口を尋ねる. 書棚を覆ってからは遠く感じられた日本との距離が少しは狭められたことだけ同じだ.