○通信使朴瑞生具可行事件以啓: "一。 臣到日本, 自對馬島至兵庫, 審其賊數及往來之路。 若對馬、一歧內外大島、志賀、平戶等島, 赤間關以西之賊也, 四州以北竈戶、社島等處, 赤間關以東之賊也。 其兵幾至數萬, 其船不下千隻, 若東西相應, 一時興兵, 則禦之難矣。 其西向之路, 則對馬島爲諸賊都會之處, 赤間關是四州諸賊出入之門, 如有西向之賊, 宗貞盛下令其民, 不許汲水, 大內殿下令赤間關, 禁其西出, 則海賊不得往來矣。 且志賀、竈戶、社島等賊, 大內殿主之; 內外大島, 宗像殿掌之; 豐後州海邊諸賊, 大友殿治之; 一歧、平戶等島, 志佐、佐志、田平、呼子等殿分任之, 使彼諸島之主嚴立禁防, 則賊心無由啓矣。 大抵其俗不知禮義, 小不合意, 不顧其身, 雖御所之命, 拒而不從。 由此觀之, 修好御所, 雖爲交隣之道, 而於禁賊之策, 猶緩也。 且日本有所求, 則遣使請之, 如無所求, 雖賀新弔舊之大節, 漫不致禮。 今臣等奉命而至, 接待亦不以禮, 恐因其國舊史所書而然也。 願自今國家不得已之事及報聘外, 不許遣使, 而於上項諸島之主, 厚往薄來, 以悅其心, 間或遣使, 敦諭至意, 以爲禁賊之策。 一。 日本尙浮屠, 交好所贈之物, 無踰佛經。 考閱諸處佛經, 審其成帙與否, 補舊成帙藏畜, 以備後日通好之資。 一。 日本農人, 有設水車, 斡水灌田者, 使學生金愼, 審其造車之法。 其車爲水所乘, 自能回轉, 挹而注之, 與我國昔年所造之車因人力, 而注之者異矣, 但可置於急水, 不可置於漫水也。 水砧亦然。 臣竊料之, 雖漫水, 使人踏而升之, 則亦可灌注矣。 今略造其形以獻, 乞於各官可置之處, 依此造作, 以助灌漑之利。 一。 日本自國都至沿海, 錢之興用, 勝於布米, 故行者雖適千里, 但佩錢緡而不齎糧。 居路傍者各置行旅寄宿之所, 如有客至, 爭請接之計, 受客錢以供人馬, 關梁則大江設舟橋, 溪澗設樓橋, 其傍居者掌其橋之稅, 令過客人納錢十文或五文, 酌其橋之大小而納之, 以爲後日修補之資。 至於土田舟車之稅, 無不用錢, 故使錢之術廣, 而人無負重致遠之勞矣。 一。 日本以竹爲大索, 繫于兩岸, 削全木爲舟, 鐙子竹索, 下於舟上, 立柱架梁, 排板成橋, 使津吏輕取過涉之稅, 後日橋毁, 用以修補。 我國漢江、臨津, 南北大關也。 乞依此例構橋收稅, 隨毁隨補, 則非惟用錢之術廣, 而南北人馬履險困踣之弊, 亦絶矣。 一。 院宇之設, 所以寄行旅也。 構者旣歿, 而修葺不繼, 故年久頹圮, 令人嗟惋, 如沙平、板橋院者多矣。 近來僧之營繕各司及橋梁者, 皆除職授寺, 故僧皆樂之。 願自今分各處程途緊緩, 定寺院多少, 擇僧之能修創者, 差爲住持, 分管院宇。 守令考其營構及供辦能否報監司, 監司更驗其實, 以憑黜陟, 如有功効卓異者, 陞授大寺院, 以勸後來。 一。 旣差住持, 給陳米豆, 使供行旅。 客至則隨納錢多少饋之, 每月季輸錢于官, 受米豆以供之, 禁行旅載米炊飯者。 如此不已, 以廣用錢之術。 一。 各處魚梁之稅, 除司饔、司宰監供上外, 皆令納錢, 至於各道鹽場鹽價、各處船稅與外方各司奴婢之貢, 除緜布, 竝令納錢, 使其興用。 一。 日本之俗, 無少大好沐浴潔身, 故大家各置浴室, 每閭閻亦累置浴所, 其浴室之制, 甚巧而便穩, 溫湯者吹角, 聞者爭納錢浴之。 乞於濟生院、惠民局、わ館、汗蒸、廣通橋等處及外方醫院等人多處, 皆置浴室, 以助用錢之術。 一。 日本街市之制, 市人各於簷下用板設層樓, 置物其上, 非惟塵不及汚, 人得易觀而買之, 市中食物, 無貴賤皆買食之。 我國之市, 則乾濕魚肉等食物, 皆置塵土, 或坐或踐。 乞自雲從街左右行廊東至樓門, 自鍾樓南至廣通橋, 皆構補簷, 其下設層樓置物之處, 分某間爲某所, 以次懸額, 令其易知。 一。 日本往還, 恐遇風浪與海賊, 晝望夜警, 心不少懈, 自伴人至格軍, 無一人不執役, 常自秉槳搖棹, 或一周或再歲而返, 辛勤困悴, 倍於陸行, 其以船上有能率行者, 至再至三, 或有未蒙上恩者, 誠爲可悶。 願自今許奉使者, 第其功勞, 分其才品以薦, 伴人以下, 竝賞職。 一。 臣等到日本博大, わ人望古羅自琉球國來言: ‘貴國被擄人, 近因飢饉, 懷土益切。’ 其國王欲乞米于我國, 歲丁未六月, 刷五十餘人載船, 逆風未發, 適有國亂, 不果行。 臣語司正藤次郞曰: ‘汝去率來何如?’ 答云: ‘如蒙上命, 我必行矣。’ 伏望遣人刷還, 以紓積年懷土之苦。 一。 司譯院生徒李生言: ‘甘蔗味甛美, 生食之, 令人解飢渴, 又煮爲沙糖, 琉球國得于江南, 多種之。 又有薯藇, 大者如柱, 小者如椽, 亦得于南蠻, 種之。’ 伏望竝令採來, 以廣其種。 一。 日本凡金銀銅鐵珍物所産之處, 不立防禁, 使居其地者世專採用之利, 而歲貢於國者有常數, 無他差役, 故主者不怠, 寶産無窮, 公私皆賴其利。 願自今依日本例, 凡珍物産處, 不立禁法, 許編民專利, 制其歲貢, 蠲免差役, 俾永爲世業。 一。 わ賊嘗侵略我國, 虜我人民, 以爲奴婢, 或轉賣遠國, 俾不永還, 其父兄子弟痛心切齒, 而未得報讎者, 幾何人乎? 臣等之行, 每泊舟處, 被虜之人爭欲逃來, 以其主枷鎖堅囚未果, 誠可愍也。 日本人多食少, 多賣奴婢, 或竊人子弟賣之, 滔滔皆是。 一岐島, 今因兵亂, 穀盡食絶, 明春尤飢, 若不爲盜, 則賣人營生者, 益多矣。 近因我國之禁, 來賣沿邊者絶矣。 竊念以直報怨, 古今之通誼也。 彼旣虜而使之, 我當買而賤之。 願自今男十歲、女二十歲以下, 皆許來買, 又令適日本者皆得買來, 永爲奴婢, 以示爲民報仇之義。 若曰聚居沿邊, 恐爲後患, 則許傳賣深遠處, 勿令居海邊。"
命下禮曹, 與政府諸曹同議。 議云: "除不得已事及回禮使外, 不許遣使、宗貞盛等處厚往薄來條、佛經整秩以備通信條, 今所擧行, 各道造置水車條, 僉曰: ‘可試之。’, 能修院宇僧, 授住持條, 或言可、或言不可, 通信使隨從人賞職條, 僉曰: ‘騎船軍, 則比他例倍數給到, 隨從人, 則以來往度數, 量宜賞職爲可。’, 其餘條件, 僉曰: ‘不可。’ 命僧人賞職, 勿令擧行。
http://sillok.history.go.kr/popup/viewer.do?id=kda_11112003_005&type=view&reSearchWords=&reSearchWords_ime=

日本で日本水車をよく見るようにしたという記録,
世宗 11年 12月 3日の記録から, 元々 造船で作る水車があったし, 日本で取り入れた水車も新たに作って試したと記録されている.
作らせようとした段階ですw世宗実録49巻、世宗12年9月27日を祝う5番目の記事1430年 宣德 5年 ○傳旨戶曹:
本國人民, 但知堤堰之利, 不知水車灌漑之益, 遇旱失農, 誠可憐憫。 其令各道監司, 放可置水車之處, 以今所頒水車, 依樣製造, 監司以時考察, 每當殿最, 幷錄勤慢, 以憑黜陟。
http://sillok.history.go.kr/id/kda_11209027_005


命じた段階ですwww
文宗実録10巻、文宗1年11月18日
1451年 名慰 1451年 名慰 2年
ちょうど河川の堤防と灌漑の重大さの遺書を建てる
予聞, 中國盛用灌漑, 多以水車爲功。 又聞, わ邦亦利灌漑, 以故雖小有水旱, 鮮有失農, 民食恒足。 我國自來, 亦多有川防貯水, 而遺利之處多, 故若遇水旱, 民散流亡。 先王念此, 立水車之法。 然本國土性浮踈, 不能載水, 故水車之法, 終不見利。 予嘗思之, 天地之間, 生意流行, 雨潤日烜, 委曲慇懃。 然天地之大, 必有所憾, 或澇或旱, 不如人爲。 故天必假手于人, 而人能栽成輔相, 然後事以成焉。 故盡人之爲以待天, 則天恩可以望矣。 故予念先王留心水車之志, 且遇今年北道民生之艱, 日夜思所以繼志, 救民之術, 莫若事於川防灌漑之爲急。 或者以爲: ‘我國自開闢以來, 立國已久, 若有可以灌漑之處, 則古之人已爲之, 今必無新利之處。 且嘗已驗於京畿所防之處, 皆爲水所毁, 但費民力, 終無所利。’ 予則以爲不然。 若以爲古人皆已爲之, 不復致慮, 則如綿花之種於我國, 今不久矣, 火藥之精盡其利, 在於乙丑。 如此之類非一。 若如或人之說, 則如此等事, 皆不得利用於今日。 至於驗之京畿, 而不利者, 蓋亦人事之未盡, 豈川防之罪哉? 凡治水利, 自古爲難。 當堯之時, 懲於鯀之績用不成, 不復更任大禹, 則天下蒸民, 豈有粒食之功哉? 今但當論人力之多少, 水之可用與否, 審其輕重利害而已, 其防築之牢固與否, 在人爲之如何。 大抵可東可西, 別無巨弊之事, 則當仍舊貫, 不必改作, 若農務則不可緩也。 如下三道, 則本多水田, 民俗力農, 今不更張, 亦云可也, 平安、黃海道, 則近來連荒, 太半流亡, 若有可救之事, 則當急急爲之, 何可緩也? 大凡農事, 水則旱田傷, 旱則水田傷, 而水災之害, 無有救理, 旱災之害, 川防貯水, 可能救之。 故丙寅、丁卯年間, 平安、黃海道, 饑饉尤甚, 水田之處少故也。 至於今年, 兩道亦失農, 而水田之處, 不至太甚。 此予所以汲汲於灌漑, 而作水田也。 故予欲擇勤敏寬簡之士一二人, 專委水利之任。 春秋巡省, 勸民農桑, 諄諄敎諭, 水田之利, 因民情願, 或防川或築淵, 或墾沮洳有泉之地。 如此則新墾初年, 雖不秀實, 數年之後, 得利自倍。 如此而民若興起, 多墾新水田, 則初年二年, 全免其稅, 三年四年, 半納其租, 五年之後, 乃收其全租, 則蓋亦救民之一術也。 予以此意, 議諸大臣, 僉曰: ‘不必遣人。 下諭其道監司, 勸作水田可也。’ 予更思之, 果若大臣之論, 方今民間多事, 而又遣人興作新事, 姑息之民, 不計遠利, 騷然愁怨, 故寖其事。 然詮聞, 其道多有沮洳之地, 而作水田之事, 民不肯爲, 卿知此意, 以予之意, 徧曉村民, 導之以利, 則其中有知之民, 必有相率而應者。 卿可與訪問論議, 多作水田, 或因有泉, 或防川澤, 不害民力, 不起民怨爲之, 則必使堅固, 使其水勢, 可以洩可以蓄, 須使他人, 無有間言。 或者又以爲: ‘平安道川, 皆險大, 不可防之。’ 卿其幷悉此意, 盡心布置, 得宜可行與否, 民情願厭, 隨後詳悉啓達。
http://sillok.history.go.kr/popup/viewer.do?id=kea_10111018_002&type=view&reSearchWords=&reSearchWords_ime=
実録に朝鮮農民が水車を使わない理由がそのまま出ている.
製作, 普及, 施行皆あったが, 韓半島の気候特性の上, 農業に水車を使って得る利得がないから,
水車を作る手数をしたい農民がいなかったのだ.
参照で大部分の地域では使われなかったが, 使用可能な地域では水車が使われていた.
そして水車は日本より韓国で先に作り始めた品物だ.

作れなかったんではなくて、使わなかっただけニダ!

試行錯誤してもやはり失敗していますよwww
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_9/view/id/3479991