槐山延豊県監 金弘道(キム・ホンド)の朝鮮ルネサンス
前略) キム・ホンドは秘密裏に1789年、日本の地図を描いてくるよう命を受け、師匠のキム・ウンファンと共に、日本密使として向かうことになる。ところが、師匠のキム・ウンファンは病気で亡くなって、一人でテマド(※対馬島)に行って地図を描いてきた。一種の日本に対する偵察が主要目的だったようだ。キム・ホンドが日本に行くことになったのは事実に符合するが、優れていた彼の事件を通じて新たな仮説が出ている。
中略) 日本の代表的絵画と称する絵が「浮世絵」だ。日本料理店に行くとよく見かける侍の姿や、富士山の様子を版画で表現した絵画が浮世絵だ。このような浮世絵の最高峰に挙げられる人が「東洲斎写楽」だ。彼は突然現れると、10ヵ月間で140点ほどを描き、こつ然と姿を消した。そのため、彼は芸名を使って絵を描いて消えた、あるいは他国の人が来て絵を描いて消えた、という話で実体のある伝説になっている。彼の活動期間は1794年5月から1795年2月までだ。
キム・ホンドは足の指が6本だったという説があるが、写楽も足の指が6本だという説、日本に行った期間と完全に合致はしないが近い時期に日本にいたことから、一部の仮説には、キム・ホンドが芸名で10ヵ月間日本で活動して帰国したという説もある。キム・ホンドの晩年に記録がないということも、日本に行き活動し、そうしていたのだろうという推測と想像から、事件を事実のように重ねてくれる。
https://www.inews365.com/mobile/article.html?no=743233
忠北日報って地方紙かな?
最近の記事とは思えない内容で草