https://gendai.media/articles/-/58305?imp=0
今回の事件の背景には、国際法の要請と、国内法律論との間の「調整」の問題がある。日本も無関係ではない。
そもそも日本政府は、「植民地支配と直結した不法行為」という認定を認めない。そのうえで、包括的に「個人請求権」も請求権協定で扱われた、と理解している。歴代の韓国政府も、少なくとも個人請求権も請求権協定で扱われた、という立場をとっていた。
しかし今回の韓国大法院の判断は、両国行政府の伝統的な協定理解を否定した。「植民地支配と直結した不法行為」に対する「個人の請求権」を、二国間協定で消滅させることはできない、という法理論によっているように見える。
韓国大法院判決の意味は、請求権協定は個人請求を含んでいなかった、と解釈するのではなく、「司法府は、法理論上、二国間の請求権協定では個人請求権を対象にできない、と判断する」というものである。ゆえに、歴代韓国政府の理解を簡単に覆すような判断ができたのだ。結局、請求権協定が無効化されたわけではないが、韓国大法院は、個人の権利を、二国間協定よりも優先させる判断をした。これによって個人救済を重んじる、という韓国司法府の判断が、明白化されたということである。
おそらく原告は、請求権協定によって、日本政府への請求が不可能になっていることを、よく理解している。今回の元徴用工事件は、ある程度はICJ判例を研究したうえで行われているようにも見える。個人と国家は違う存在であるという考え方を理解すると、今回の元徴用工の訴えが、日本政府ではなく私企業に対するものであったことの意味がわかってくる。
補償を要求する相手に新日鉄住金という私企業を選んだことは、「請求権協定は政府間協定なので、個人が私企業を相手に民事訴訟を起こす権利を侵害しない」という法理論に訴えようとする姿勢の反映であろう。そこであえて、個人が、私企業を訴える形をとることによって、請求権協定の枠外と主張する請求権の確立を狙ったのだろう。その戦略が奏功し、韓国大法院は、請求権協定の枠外の請求権だという論拠で、今回の決定を行ったわけである。
政府間協定の効力が、私人間の関係を自動的に無効化するわけではないことは、一般論としては妥当である。しかも三権分立の原則にのっとって行政府が司法府に命令を下せないことにも疑いの余地はないため、司法府が行政府とは異なる法理論にしたがって判断を下すことも、破綻した話ではない。
韓国大法院は、協定が前提としている法理論を否定すること――いわば請求権協定の違憲性の判断――もできた。しかし、請求権協定を否定していない。伝統的な行政府の解釈をただ無視して、ただその適用範囲に関する新しい考え方を補強し、独自の解釈論を展開した。