
ハチ食品は、1845(弘化2)年に今村弥兵衛が創業した。もともとは現在の大阪市中央区瓦町で薬種問屋「大和屋」を営んでいた。古くは江戸時代から道修町界隈には、中国や東南アジアからの唐薬を扱う薬種問屋が軒を連ねていた。
現在でも田辺三菱製薬や塩野義製薬、大日本住友製薬など大手製薬メーカーの本社がこの界隈に集中し、「くすりの町」として知られている。
その後2代目今村弥兵衛に代替わりし、屋号も「今村弥」と改めた。2代目弥兵衛は漢方薬の原料となる鬱金(ウコン)の栽培に注力するなど研究開発に勤しんだ。
1903(明治36)年には内国勧業博覧会でウコン粉が有功褒賞に選ばれている。
このウコンを含め、蔵にしまってあった漢方薬の香りが、カレーの匂いに似ていることを発見した弥兵衛は、鬱金粉をつかったカレー粉の調合に着手する。試行錯誤の末、1905(明治38)年に日本初となるカレー粉の国産化に成功、「蜂カレー」と名付けて売り出した。
ちなみに、蜂カレーの名称の由来は、薄暗い蔵の中でカレー粉の調合をしていた弥兵衛がふと顔を上げたときに、窓から射し込む朝日に照らされた蜂が美しい輝きを放っていたことに感銘を受けたことがきっかけだという。
大正4年、大阪市北区鳴尾町で薮内光治が缶詰問屋・広木屋商店(メタルカレーの前身)を開業し、カレー粉の製造を始めています。
1913年(大正2年)ハウス食品の前身「浦上商店」、大阪市松屋町筋に創業
1926年(大正15年)ハウス食品の前身「浦上商店」が「ホームカレー」の製造・販売を開始

このように、昔からの問屋との関係で、国産カレー粉の開発は関西が先行していました。他方関東は舶来志向が強かったのか、輸入品が多く、国産カレー粉としては後発メーカーになります。
◆国産初のカレー粉製造に成功
しかしそれは、カレー粉とは何かが皆目見当もつかない当時のこと、想像以上に困難が連続する作業となりました。
近所からは変人扱いされながらもくじけず、一つ一つカレー粉の秘密を解き明かしていったのです。
カレー粉の製造には4つのポイントがありました。
① … どのように粉にするのか
② … どんなスパイスをどんな比率でブレンドするのか
③ … 焙煎(煎ることで香り立ちをよくし、全体をまとめる)
④ … 熟成(寝かして、さらに香りを渾然一体としたものに仕上げる)
の4つです。
それらを大変な辛酸をなめながら、時には偶然に一つ一つ発見していったのです。
生産機械を独自に開発するなどの努力の結果、ついにカレー粉の製造法を確立し、1923年(大正12年)浅草七軒町に、エスビー食品の前身となる「日賀志屋」を創業したのです。

1930 ヒドリ印カレー粉
日本で初めての家庭用カレー粉「ヒドリ印カレー粉(38g)」を発売。
