古代に半島を征服した日本人の墳墓がいたるところにある韓国w
『破墓(パミョ)』さらに墓にはもう一つ棺があって、そこにはその昔、朝鮮侵攻の豊臣秀吉軍の武将が葬られていたという設定
全羅道屈指の国宝級古墳、被葬者は倭人?百済人?
2021-10-05 ハンギョレ
そのような前方後円墳が、全羅道の西南海岸で現在までに14基確認されており、中心格である新徳古墳から、なぜ倭系の金銅冠や最高級品の刀が中心的な副葬品として出てきたのかについては論争になっている。数が少なく、期間も5世紀末から6世紀初めの50年に過ぎないが、被葬者が倭系の実力者だと解釈する余地が大きい。日本の学界で、ヤマト政権が朝鮮半島に影響を行使したという推論に飛躍されることもありうる。廃棄された任那日本府説をあえて提起する学者はいないが、長鼓型墳墓の研究成果の公開は、日本の学界との解釈の摩擦を呼ぶ可能性が高い。韓国内の学界も墓被葬者をめぐり、倭人説と現地人説、百済人説が交錯している。墳墓の形と構造、中心的な副葬品は倭系だが、もう一つの手がかりであるコウヤマキ製の木棺の遺物は、百済高位層の葬法だからだ。